教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

サハラ砂漠で第2次大戦中の英国軍戦闘機を発見 「まさに奇跡」

2012年05月12日 16時40分52秒 | デジタル・インターネット

CNN.co.jp 5月12日(土)13時3分配信

『(CNN) 第2次世界大戦中の1942年6月28日にエジプトのサハラ砂漠に墜落した英国空軍のとみられる残骸がこのほど発見された。
ポーランドの石油会社の社員が発見し、保存状態は極めて良好で、機体、主翼と尾翼、操縦室の計器類の大部分が無傷の状態で残っており、専門家らは「まさに奇跡」と驚きを隠さない。
当時24歳だった英国空軍のデニス・コッピング軍曹は同戦闘機の修理のため、別の空軍基地に向かっていたが、途中で方向を誤り、その後サハラ砂漠に墜落した。
戦史家アンディ・サウンダース氏は、コッピング軍曹は飛行中に頭が混乱したと見ている。
そして軍曹が過ちに気付いた時には、すでに燃料不足で引き返せない状況だった。墜落現場には、日よけとして使ったと見られるパラシュートなど、軍曹が無事に着陸したことを示すいくつかの証拠が残されていた。
しかしサハラ砂漠の猛暑の中で、そう長くは生きていられなかったと見られる。
パラシュートは空から発見してもらうための目印になるし、上空を通過する飛行機に向かって光を反射させるための鏡やわずかながら発煙筒もあったはずだ。それにも関わらずなぜコッピング軍曹は飛行機を離れたのか。
サウンダース氏は「恐らく、誰も助けに来ないと悟って自暴自棄になり、助かる唯一の方法は助けを求めて歩きだすことだ」と考えたのだろうと推測する。
コッピング軍曹の話が知られるようになり、英国当局はこの戦闘機を英国に持ち帰り、ロンドンにある英国空軍博物館に展示したいと考えている。
現在、博物館の代表がエジプトの英国大使館と英国防省と連携して輸送手段などを検討中だ。』
 第2次世界大戦中の1942年6月28日にエジプトのサハラ砂漠に墜落した英国空軍の戦闘機キティホークとみられる残骸がこのほど発見されたのは、サハラ砂漠の人の出入りも少ない場所で、69年間、機体、主翼と尾翼、操縦室の計器類の大部分が無傷の状態で残ったのかも分かりません。裁くの砂に埋もれていたのかも分かりませんが。砂漠で飛行機が墜落した場合の救い求める対策と方法への一つの教訓になると思います。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

カーチス P-40

編隊を組むアメリカ陸軍のP-40

編隊を組むアメリカ陸軍のP-40

カーチス P-40 (Curtiss P-40) は第二次世界大戦期のアメリカ陸軍戦闘機である。愛称はウォーホーク (Warhawk) ・トマホーク (Tomahawk)・キティホーク (Kittyhawk) などがある。アメリカ陸軍のみならず連合国でも多数つかわれた。性能的には平凡な機体であったが、実用性が高く常に量産体制が整っていた事もあり、他の戦闘機の補完に使われた。総数13700余機生産された。

概要

1938年P-36の改造型として空冷エンジンを液冷のアリソンエンジンに換装しXP-40として初飛行した。この機体は、最大速度で原型のP-36よりも70kmも速かったので、直ちに量産命令が出てフランスに援助機として振り向ける事となった。しかし1940年のフランス敗戦により、援英機として、トマホークの名でイギリスに供与された。

日中戦争で日本軍の攻勢に苦しんでいた中華民国蒋介石の妻で、国民党航空委員会秘書長でもあった宋美齢のアメリカ軍への呼びかけにより、中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられたクレア・リー・シェンノートにより、アメリカの「義勇兵」パイロットで編成されたAVG(フライング・タイガース)はP-40を129機装備し、国民党軍を支援するため中国で活動した。

中華民国軍兵士に守られるP-40

日本軍の九七式戦闘機九七式重爆撃機、少数の隼(加藤隼戦闘隊)を相手に一撃離脱戦法で戦い、1941年12月20日~翌年6月12日の解散までに「フライング・タイガース」側の記録では撃墜・撃破171機(日本側記録89機)の戦果をあげ、自らは80機を失ったとされた(この「撃墜記録」は、報奨金獲得のために水増しされているとの意見もある)。

また、1941年12月の太平洋戦争大東亜戦争)開戦時にアメリカの植民地フィリピンに配備されていた同機は、零式艦上戦闘機一式戦闘機「隼」をはじめとする日本機の邀撃に当たったが空戦性能に遅れをとり劣勢に立たされた。

連合軍は後に武装の貧弱さと高度性能の改善をはかり、マーリンエンジン搭載に改良したF型を投入し、これを「ウォーホーク」と称した。P-40Fは高々度において、はるかによい性能を発揮した。しかし、あまり多数のマーリンエンジンは入手できなかった。というのは、よりすぐれたノースアメリカン P-51 マスタング にそのエンジンの優先権が与えられていたからである。

エンジンと武装の改良を繰り返し最終のQ型まで総数13,738機生産された。地味ではあるが大戦の前期に連合国各国へ供与された機体は、日本軍やドイツ軍に対して劣勢な中で重要な使命を担った。

なお、大日本帝国陸軍は完全な状態のP-40を数機鹵獲し、内地に送りテスト飛行や研究用に使用した。なおビルマ戦線のラングーンでは、従来の日本機より迎撃能力が高いと判断され、少数の鹵獲P-40による臨時の防空隊が飛行第五十戦隊の高野明中尉(陸士53期)以下4名の操縦者と整備隊で結成された。しかし初陣の夜間迎撃では飛行第十二戦隊所属の九七式重爆を誤って不時着大破させるなど、活躍することなく、三ヶ月後の5月26日に解散している。[1]

1943年11月当時大学生だった佐々木陸軍少尉は、陸軍航空技術研究所で鹵獲展示されたP-40に搭乗。防弾装備と、小便を機外に排出するため操縦席に備え付けられた蛇腹状の管を見て、人間工学を配慮した設計に感銘を受けている[2]

2012年5月12日第2次世界大戦中エジプトのサハラ砂漠に墜落した英軍の戦闘機キティホークとみられる残骸が大部分無傷で発見された。

派生型

イギリス空軍のキティホーク Mk II
  • XP-40:試作機。
  • P-40:初期量産型。199機中、P-40A(1機)、P-40G(44機)に改修。残りはRP-40と改称。
  • トマホークI:フランス空軍向けのP-40を、フランス降伏によりイギリス空軍が受領した機体。
  • トマホークII:トマホークIの改良型。
  • P-40A:非制式の写真偵察機。1機のみの改造。RP-40とは異なる。
  • P-40B:翼内7.62mm M2機銃を各1挺増、計4挺に。防弾燃料タンク採用。
  • トマホークIIA:イギリス空軍向けのP-40B。翼内武装7.7mm機銃×4挺。
  • P-40C:燃料タンク防弾装備の改良。ただし飛行性能は犠牲となった。
  • トマホークIIB:イギリス空軍向けのP-40C。
  • P-40D:エンジンを換装(V-1710-39(-F3R))、武装・防弾設備の改良などを行うが22機の生産のみ。
  • P-40E:翼内12.7mm M2機銃×6挺に変更。
  • キティホークI:フランス空軍発注のP-40D。イギリス空軍が560機購入。
  • キティホークIA:イギリス空軍向け(供与)のP-40E-1。
  • P-40F:翼内12.7mm M2機銃×6挺。発動機をマーリン28型(パッカードV-1650-1)に換装。F-5から胴体後部を長胴化。
  • キティホークII:イギリス空軍向け(供与)のP-40FあるいはP-40L。
  • P-40G:P-40にトマホークIIAの7.7mm機銃×4挺仕様の主翼、防弾鋼板・防弾ガラスを装備。試作1機+43機改修。
  • P-40J:高高度戦闘機型。排気タービン装備予定。計画のみ。
  • P-40K:E型のエンジン換装型(V-1710-73)。安定性向上のため垂直安定板前縁にフィン追加(短胴型)。K-10から胴体尾部を長胴化。
  • P-40L:F型の軽量化型。期待されたほどの性能向上はなかった。
  • P-40M:K型(長胴型)のエンジン換装型(V-1710-81(-F20R))。
  • キティホークIII:イギリス空軍向け(供与)のP-40K-1あるいはP-40LまたはP-40M。
  • P-40N:軽量化された最終生産型。約5,000機生産。N-2以降新型キャノピーに改装。
  • キティホークIV:イギリス空軍向け(供与)のP-40N。一部ソ連にも渡る。
  • TP-40N:P-40Nの胴体燃料タンクを廃し、複座化した練習機型。
  • P-40P:マーリンエンジンで計画されるが実現せず、P-40N-1/-5となる(のちのN-40、4翅プロペラ化など諸説あり)。
  • XP-40Q:2段式スーパーチャージャー装備のV-1710-121に換装、水滴型風防装備、冷却システム更新など徹底改良された試作機。最高速度680km/hを出すP-40最高性能モデルだがP-51などの新鋭機には及ばないため採用されなかった。
  • P-40R:F型・L型のV-1650-1をV-1710-81に換装したタイプ。計123機の改修にとどまり、主に訓練用に運用。

スペック

(P-40N-20)型

P-40M キティホーク(2005年)

出典:第2次大戦アメリカ陸軍機の全貌[3]

  • 乗員:パイロット 1 名
  • 全長:10.10 m
  • 全幅:11.38 m
  • 全高:3.70 m
  • 主翼面積:21.92m2
  • 空虚重量:2810 kg
  • 運用時重量:-- kg
  • 最大離陸重量:5160 kg
  • 動力:アリソンV-1710-99レシプロエンジン
  • 出力:1200HP
  • 最大速度:565 km/h
  • 巡航速度:467 km/h
  • 航続距離:1740km
  • 実用上昇限度:10,270 m
  • 上昇率:4270m/7.3min
  • 武装:12.7mm 機関銃×6
  • 爆弾: 225kg
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小沢一郎元代表の「暗黒人民裁判」、東京新聞の社説だけが、検察審査会の問題点を炙り出している

2012年05月12日 14時41分34秒 | 国際・政治

2012年05月12日 00時52分42秒
| 政治
◆小沢一郎元代表の「暗黒人民裁判」は、検察審査会法に内在する様々な問題点を炙り出している。それは、日本の民主主義を危険にさらすとともに、基本的人権を危うくするものが含まれているが故に、根本的な法改を促している。
 この問題を鋭く指摘しているのは、東京新聞の5月10日付け朝刊の社説である。全文については、このプログの最後に「参考引用」しておく。この社説は、公正中立な立場で書かれていて、多くの読者が、極めて高い評価を与えている。
 日本のマスメディアは、「公正中立」「不偏不党」を建前に掲げていながら、実際には、「偏向報道」に終始しているのが、実情である。とりわけ、小沢一郎元代表に関する報道は、極端なほど、偏向している。いかに日本国民の多くが勧善懲悪好きだからと言っても、これはかなりひどい。米CIA新聞と言われている読売新聞をはじめ、自民党「清和会」と関係が緊密な統一協会との関係が濃厚な産経新聞、あるいは、朝日新聞、毎日新聞、駐日米大使館と直結していると見られている文藝春秋、それに近年、「反小沢色」を鮮明にでしている週刊現代などのマスメディアは、人権無視の極度な偏向報道を続けている。
◆そのなかで、東京新聞は、5月10日付け朝刊の社説で、極めて冷静かつ論理的に検察審査会の問題点を指摘して、多くの読者ばかりでなく、インターネットのなかでも評判を呼び、大喝采を呼び、この社説自体が猛烈な勢いで全国津々浦々に拡散し、新規読者を増やしている。毎日新聞記者出身の私も、この東京新聞現象には、驚嘆させられている。半面、毎日新聞の社説には失望感が著しい。
 検察審査会の問題点の1つは、検察官役の弁護士が、第一審から第3審までずっと検察官役を務めることが許されているということである。そうだとすれば、検察庁はもう1つ別の検察システムを持つことを意味しているのかという疑問が湧いてくる。しかも、指定弁護士は、報酬として各段階の審理で最高限度120万円を受け取りながら、最終審までボランティアとして検察官役を務めなくてはならない。
 2つ目は、正規の検察庁は、最高検から地検に至るまで「検察官一体の原則」で活動しているのに、検察官役の弁護士は、この原則に拘束されるのであろうか。検察官役の弁護士は、日常業務では私人であるのに対して、検察官役であるときは、国家公務員として扱われるのか。この場合、だれかから現金を受け取った場合、収賄罪にはならないのであろうか。
 3つ目は、公訴権を与えられていることをもって、「控訴権」「上訴権」まで同じ指定弁護士に与えられていると解釈していいのであろうか。この点は、検察審査会法には名文規定はない。いわば欠陥法になっている。
 4つ目は、原点に立って考えてみると、検察審査会が、「白黒」をつけられないので、ともかく裁判で決着してもらおうという程度の感覚で地裁の審理にかけて、判決を得れば、
それ以上のことは、検察官役の弁護士に期待されていないにもかかわらず、さらに、第二審、第三審まで裁判を行い、しかも、被告人を有罪にもって行くことが許されているのか。
 検察審査会に関するあれやこれやの疑問に対して、東京新聞は、文字通り、「良識(コモンセンス)」に基づき、明快な答えを示している。何かとエキセントリックな偏向報道に走り勝ちなマスメディアがあふれている日本において、珍しくまともな新聞であることを改めて感じさせられる。
 小沢一郎元代表の件を検察庁に告発し、また検察審査会に申し立てたのは、マスコミ関係者と称するたった1人の人物と言われているけれど、検察庁や検察審査会は、その正体すら明かさず、秘密にしている。おまけに、審査員11人についても、秘密にしている。これでは、小沢一郎元代表の裁判が、「暗黒人民裁判」というワッペンを貼り付けられるのは、当たり前である。
 【参考引用】東京新聞は5月10日付け朝刊の社説で「小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改正を」という見出しをつけて、以下のように述べている。
 「一審無罪の小沢一郎民主党元代表を検察官役の指定弁護士が控訴するのは疑問だ。そもそも検察が起訴を断念した事件だ。一審無罪なら、その判断を尊重するよう検察審査会制度の改正を求めたい。
 新しい検察審制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、市民が「白か黒かを法廷で決着させたい」という結果だった。政治資金規正法違反の罪に問われたものの、一審判決は「故意や共謀は認められない」と判断している。
 つまり、「白」という決着はすでについているわけだ。検察が起訴する場合でも、一審が無罪なら、基本的に控訴すべきではないという考え方が法曹界にある。国家権力が強大な捜査権限をフルに用いて、有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制するべきだという思想からだ。
 とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。
 小沢元代表はこの三年間、政治活動が実質的に制約を受けている。首相の座の可能性もあったことを考えると、本人ばかりでなく、選挙で支持した有権者の期待も踏みにじられたのと同然だ。
 新制度は従来、検察だけが独占していた起訴権限を市民にも広げる意味があり、評価する。だが、新制度ゆえに未整備な部分もある。検察官役の指定弁護士に一任される控訴判断はその典型例だ。検察でさえ、控訴は高検や最高検の上級庁と協議する。
 指定弁護士の独断で、小沢元代表をいつまでも刑事被告人の扱いにしてよいのか。「看過できない事実誤認」を理由とするが、検察審に提出された検察の捜査報告書などは虚偽の事実が記載されたものだ。どんな具体的な材料で一審判決を覆そうというのか。
 むしろ、「白か黒か」を判定した一審判決を尊重し、それを歯止めとする明文規定を設けるべきだ。最高裁も二月に、控訴審は一審の事実認定によほどの不合理がない限り、一審を尊重すべきだとする判断を示している。むろん被告が一審有罪の場合は、控訴するのは当然の権利だ。
 検察による不起訴、強制起訴による裁判で無罪なのに、「黒」だと際限なく後追いを続ける制度には手直しが急務である」

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本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
枝野幸男経済産業相、その親分筋の仙谷由人政調会長代行が、国民生活第1主義をかなぐり捨てて、東京電力重視に豹変して、ダーティ情報が飛交っている

◆〔特別情報①〕
 東京電力に対して厳しい発言をしていた枝野幸男経済産業相が、このごろは、どうも東電寄りの姿勢にシフトしたかのような豹変ぶりを示している。案の定と言うべきか、永田町界隈で、枝野幸男経済産業相にまつわるダーティ情報が取り沙汰されている。いわゆる風評であるが、国会情報に詳しい筋から伝えられている。

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目次

第2章 日本株の叩き売りと日本企業乗っ取り作戦

―最終的には一部上場企業の大半の株が国際金融資本に握られてしまう

●欧米勢の官民あげての日本金融界「侵略」のシナリオ

 今回の第三の「開国」は、二十一世紀の日本の進路を決定するうえで極めて重要な意味を持っているので、国際金融資本の手口をさらに詳しく見ておきたい。
 この現代版「黒船来襲」とも言うべき途方もない大事件は平成九年(一九九七)に始まった。先に述べたように、帝国主義・植民地主義の時代には欧米列強により日本の領土が侵略される恐れがあったのに対して、今回は大企業や資産、先端技術が主要な夕ーゲットである。したがって、現在活発に行なわれている証券市場や為替市場における外人による「同本売り」は、資本力にものを言わせて安く叩いた後に日本株や円を大量に買い占めるための準備運動と見なければならない。
 彼らの手口はこうだ。

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『政治家の交渉術』2006年5月刊
『カルロス・ゴーンの言葉』2006年11月刊
「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」2007年7月刊


第5回板垣英憲『勉強会』開催のご案内
平成24年5月12日(土)19日(土)
『どうなる日本政治、どう動く小沢一郎』


板垣英憲マスコミ事務所
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引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/
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小川法相「裁判官は退屈、選挙で取り返した」

2012年05月12日 14時10分44秒 | 国際・政治

読売新聞 5月12日(土)7時37分配信 『小川法相は11日、母校の立教大学(東京・池袋)で行われたシンポジウムに出席し、「(裁判官をしていた)3年間は退屈でもったいなかったが、選挙の際、『元裁判官』ということで大変に評価が高く、全てを取り返した」と述べた。国民に裁判員への負担を求める中、裁判官の仕事を軽んじ、選挙の際に肩書を利用したとの批判を浴びそうだ。
 シンポジウムは「現代社会と司法の役割」をテーマに、同大生らが参加。法相は「裁判官は、責任があって大変大切な職業」としつつ、1998年の参院選に立候補した際のことを振り返り、「元裁判官の一言で、小川敏夫は清潔な人だろうと思っていただける。裁判官に対する信用が高いということの表れだ」と述べた。 』

小川法相は11日、母校の立教大学で行われたシンポジウムに出席し、『(裁判官をしていた)3年間は退屈でもったいなかった』と発言したのは、裁判官の在任中、裁判官たる職責をさぼり果たしていなかったと言うことの現れと思います。法の番人たる裁判官が今、日本では問題提起されています。裁判官の横着さと怠慢さへの批判も元裁判官からも指摘され出版されています。日本の国の法務大臣としての『リーガルマインド』が問われます。立教大学法学部law.rikkyo.ac.jp「法的な思考法と政治的な知恵、未来を拓くために不可欠な能力を身につけます」と言う理念を本当に学ばれていたのかと思います。法律家なら身に付けて置くべき「法の常識」と『法の番人』であるべき最高責任者の法務大臣としての自分勝手な思い込みと資質を疑います。民主党の大臣は、大臣としての品格と『将の将たる器』の無い大臣ばかりと言えます。

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日本初!男の坐禅ヨーガ開講 セロトニン呼吸が幸福をもたらす

2012年05月12日 10時28分41秒 | 悩み

被災地に犠牲者の数だけ桜を植える”手あわせ桜”プロジェクトをご支援下さい

人気ブログランキングへ 鎮魂と復興を祈る桜の植樹”手合わせ桜プロジェクト”
テーマ:禅ヨーガで心と身体のリラックス
2012年05月08日(火) 19時41分32秒

ブログ:桜和尚の震災復興応援歌”死を見つめ 今を生きる”

ヨーガなるものに出会ったのは、もう25年も前になります。

「坐禅の呼吸とヨガの呼吸は共通点がある。

ヨガの呼吸を学べば、坐禅にも役立つはず」

こんな、わけのわからないことを、若いころから考えていました。('-^*)/

また今から8年前に、東邦大の有田秀穂先生のセロトニン呼吸法と言う本を読んだところ、坐禅の呼吸法がセロトニンと言う神経物質を出し、これが素晴らしい心の作用をもたらすということを知りました。

セロトニンと言うのは、この10年の間に世に知られるようになり、有田先生も御釈迦様の呼吸はセロトニン呼吸だとも言っています。

禅とヨーガとセロトニン呼吸。益々私は確信を持つようになりました。

よし。今度は昔かじったヨーガをもう一度体系的にやってみようと思いつきました。

それが7年前でしょうか。

そうしたら、一関市に良い先生がいました。

日本ヨーガ療法学会理事の小沢アヤ子先生です。

月一度先生の教室(岩手県北上市)に通って、インストラクターを取得しました。

そして、「この震災でストレスを抱えている人がたくさんいる。役に立てないか・・」

意を決して、仙台青葉カルチャーに応募したところ、採用されたと言うわけです。

そういえば、作家の玄侑宗久師も若い頃、ヨーガを習ったとか

呼吸法をずっと続けているとか・・

そんなことで、前置きが長くなりましたが、6月5日(月1度第一火曜日)

仙台青葉カルチャーで

【坐禅ヨーガ呼吸法入門】

と題して、教室を開きます。

病気を治すものではありません。

もちろん、宗教を教えるわけでもありません。

震災の心のケア・・そんな大それたことでもありません。

ただ、ちょっとだけ自分が興味を持ってきた人生のテーマが

皆さんのお役にたてるのだったらと思っています。

仙台周辺の方々、ご興味がありましたら、ご友人にお声をかけてください。

男の坐禅ヨーガです。

できれば、男どもに来ていただきたいと思っています。

引用元http://ameblo.jp/enisinet-j/


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