自民党の武藤貴也衆院議員(36)=滋賀4区=が安保関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」について、自分中心で利己的な考えと非難していますが、 戦前の日本国会議員でで戦地で死んだ議員は何人いるのかと疑問を呈します。国会議員は戦地に行かなくてよい、特権階級なので若い自衛官に戦死者が出ても当然では国民は理解しません。自分は、日本の国の為、国民の為に一命を捧げる覚悟と 決意が有るのかと問い正したいです。下記の『特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍 のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のス イッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうで す。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が 「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。』の特攻隊員の死に直面した声を聞くべきです。
「特攻は日本の恥部」と言う表現には、抵抗感があり賛成出来ませんが。いつの時代も命を犠牲にするのは、その国を背負って立つ若者たちです。人間を殺しに行く戦争に行くのが好きな人間などこにもいません。私の亡くなった父は、太平洋戦争、大東亜戦争で、旧大日本帝国陸軍七年間、中支派遣軍の嵐兵団の重機関銃、軽機関銃射手として、毛沢東の八路軍と蒋介石の国民党軍と中国大陸で戦い、連隊長も敵の砲弾で頭ごと吹っ飛ばされ戦死、日本本土爆撃の基地になっていた西安の成都飛行場の攻略作戦の決死隊に志願し頭に砲弾が当たり左目の視力を失い、両肩に迫撃砲弾と両足手榴弾の破片が当たり治療不能で、三日間野戦病院で意識不明になリ助かりましたが。麻酔薬無しで、弾丸の破片を取り出し、ヨーチンだけの消毒でものすごく痛かったと言っていました。戦後身体障害者になり、戦死した戦友に申し訳ないと傷痍尉軍人の申請をしませんでした。従軍慰安施設も無くや中国人民を殺したことは無いねキュウリ一本と腐った玄米を食べ、ヘビまで食べたと言っていました。滋賀県の親戚があんなおとなしい人柄の父が、7年間もよく戦えたと馬鹿にしましたが、戦争お宅ばかりが滋賀県にいますね。過酷な野戦で生きた抜いた智恵と秘訣を生前父から教わりました。古年兵の戦友は、五名だけ生き残ったのです。最前線、日本陸軍では野戦と言います。真夏に食料が無く生前の父は、体を鍛えていない今の若者では務まらすぜ自衛隊で無いと無理と言っていました。ネット右翼の若者も最前戦です。産経新聞は、シルーズをへイトスピーチと批判しています。戦前のマスコミの戦争責任も反省せず、記者は後方支援よりも前方支援で全社員死ぬまで闘うべきです。今内閣総理大臣、日本国の為に死にますかのテレビ番組質問▲で、自民党幹部は自衛隊員は死ねのが任務で、自分たちは日本の政治家なので、死にませんし危険な戦地行きませんでは国民も誰が納得しますか。「SEALDs(シールズ)」の学生達、死ぬのが怖くて震えている言っている頭デッカチに過ぎない戦争お宅の頭マニアの御本人が、日本の若者に代わり豊和の自動小銃を持って米軍の前方支援で闘えと言いたいです。口先だけで人は付いて来るのか、山本五十六元帥の言われたとおり自分が、先ずやって見せないと駄目ではありませんか。国会で自民党が多数の議席を占めていても立憲主義と法の支配を否定したのでは、最近の不穏当な暴言がやまず安倍政権ももう幕引きがまじかと思います。亡き父の最期の言葉、テレビ番組のコンバットと実際の戦争はは違と戦争ものドラマは、生前一切見ませんでした。、野戦で戦ったものしか分からない、兵隊が一番かわいそうだった。零戦の撃墜王で名搭乗員坂井三郎さんと同じことを言っていましたが、二度と戦争はしてはならないが父の遺言です。中国や韓国を仮想敵国にし日本を戦争に再び煽る、選別された2012年11月228万人余、予備役51万人、2011年民兵組織800万人で、日本の戦前の甲種合格並みの屈強な人民解放軍正規軍相手に自衛隊を戦わしますか。実際の数より少な目に公表していると思います。産経新聞によりますとパソコン操作の出来ない若者は、徴兵に取れないと言っていましたが。戦争お宅と変わりません。イスラム国との戦争を見ていますと狙撃兵の活躍です。内戦に参加し戦いになれイスラム教の教えの信念に基づき「聖戦宣言」しているイスラム国の民兵は、なかなか強いです。最新近代兵器を持たなくても戦前の日本軍のように一致団結し、機敏に闘いを繰り広げています。元グーリンベレ大尉柘植久慶氏は、私の亡き父と同じ銃剣術15人抜きです。ヘトナム戦争のように白兵戦になることもあります。柘植氏の言う自動小銃を撃ちぱなしにしても当たらないということは実戦経験者しか分からないことです。亡き父も強い歩兵は、近代戦でも必要だと言っていました。
日本の平和と安全を破壊し、日本の戦争準備や非難施設もなしに日本国と日本国民を滅亡させるのは三代前までの出自の日本人政治家やミリタントの産経新聞の姿勢は、本当の日本人のするべきことではありません。 『なんにも言えず 靖国の 宮のきざわし ひれ伏せば熱い涙が こみ上げる さうだ感謝の その気持ち揃ふ、揃う気持ちが 国護る 』の歌のような御時世に日本がならないように私は願っています。
『戦争を美しく語るものを信用するな、
彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから。』
クリント・イーストウッドの名言
自民・武藤氏、ツイッターで安保法案反対の学生団体批判
2015年8月3日21時47分
自民党の武藤貴也衆院議員(36)=滋賀4区=が安保関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」について、自分中心で利己的な考えと非難する内容をツイッターに投稿していたことがわかった。武藤氏の秘書は朝日新聞の取材に対し、本人が投稿したことを認めた上で、「話すことは特にない」としている。
SEALDsは国会前で毎週、デモをしている学生たちの団体。武藤氏は7月末、SEALDsについて「国会前でマイクを持ち演説をしているが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延(まんえん)したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」とツイートした。
これに対し、「『戦争に行きたくない』という気持ちが『極端な利己的考え』と断罪される社会は、戦時中の日本そのもの」「戦争をしないための安保法案じゃないのですか」などのコメントが投稿された。
武藤氏は安保法案について審議する衆院特別委員会のメンバーで、報道機関への圧力発言などが問題になった、自民党若手の勉強会「文化芸術懇話会」にも参加していた。
mainichi.jp/feature/news/20141024mog00m040003000c.html
2014年10月24日
インタビューに答える評論家の保阪正康さん=東京都千代田区で2014年10月15日、内藤絵美撮影
特攻隊最後の無電を必死で受ける電信兵=撮影場所不詳、1945(昭和20)年4月、早川弘本社特派員撮影
特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】
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ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍 のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のス イッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうで す。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が 「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。
高校時代に「きけわだつみのこえ」を読みました。それが特攻隊について、考えるようになった契機です。その後、生き残りの隊員や遺族らに取材を重 ねてきました。学徒出陣した上原良司氏(陸軍大尉。1945年5月、沖縄で戦死)の妹さんは、兄と仲間たちの会話を手帳に残していました。彼らは「向こう の奴(やつ)ら(=米軍)何と思うかな」「ホラ今日も馬鹿(ばか)共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」と言い 合っていたそうです。取材後の彼女の何気ない言葉は重く、響いています。「指揮官たちは『後に続く』と言いながら、誰も飛び立たなかったそうです。その言 葉を信じた兄たちが事実が分かったら、どんな気持ちになるでしょう」
高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのでしょうか。英国は階級社会ですが、国を守るという点では王族・貴族もありません。戦争で死ぬ ということについて、平等性がある。戦争に貴賤(きせん)なしです。日本でも高松宮さまなどは前線勤務を希望していたようです。ある陸軍大学校出身の元参 謀には「息子を入学させるなら、陸大だよ」と言われました。彼の同期50人ほどのうち、戦死は4人だけだったそうです。エリートは前線に行かず、戦争を美 化するんです。
兵士への危険負担を限りなく、低くすることが本来の指揮官の役割です。国民的バックグラウンドの下で、西洋の民主主義国家にはそれがあった。彼我 の戦力を客観的に分析する。物量主義も、兵士を死なせないためにあるんです。日本にあったのは生煮えの軍事学です。仏独に学んだ上っ面だけの西洋軍事学に “日本精神”である武士道を乗っけた。「武士道と云(い)ふは死ぬこととみつけたり」(「葉隠」)の文言だけを取り出し、都合良く利用した。
特攻は日本の恥部です。命を慈しむ日本の文化や伝統に反することです。命中率99%であったとしても、だめなんです。志願を建前としていました が、実際には強制でした。本人が望んでいない死を要求し、死なせる。こんなものは軍事ではない。国家のため、大義のためという、自己陶酔でしかない。戦争 とは人の生死をやり取りする闘争です。ロマンなどないんです。特攻は米軍に畏怖(いふ)心を与え、日本本土上陸をためらわせた−−との説がありますが、と んでもない。米軍は暗号名「コロネット」「オリンピック」などの上陸作戦を着々と準備していました。一方の日本軍は「義勇兵役法」で国民の根こそぎ動員を 決め、1億総特攻に駆り出そうとしていた。国民一人一人が特攻要員だったんです。
「特攻隊員は我々である」との視点が必要です。あの時代に生きていれば、あの時代が繰り返されれば、自分も特攻隊員になるかもしれない。特攻を考 える時、必要なのは同情ではなく、連帯感です。隊員の苦衷、苦悶(くもん)が分かれば、美化することなどできないはずです。「特攻で死んだ人に失礼ではな いか」「彼らのおかげで今の日本がある」などと言ってくる人がいます。どうして、そんな軽々なことを言えるのか。特攻を命じた指揮官たちと変わりません よ。
クラウゼビッツ(プロイセンの軍事学者)は戦争を「他の手段をもってする政治の延長」と位置付けました。本来は政治こそが、軍事の上になければな らなかった。日本が陥った軍部独裁は政治家たちだけの責任でもありません。国民も軍をもてはやし、甘やかした。勝つことこそが軍の目的ですから、負けると 分かっても戦争をやめることなどできなかった。行き着いた先が特攻です。
特攻について、時に涙が止まらなくなるほどの感傷を持っています。それとともにわき上がるのは軍への怒りです。この二つがあってこそ、特攻に向き 合えるのではないでしょうか。どちらかに傾いてもいけない。特攻は時代を測るメルクマールだと思っています。いたずらに美化することは非常に怖いことで す。集団的自衛権によって、自衛隊が海外派兵される可能性が高まっています。良くも悪くも、軍隊というものには国民性が表れます。今こそ、旧軍について、 十分に検証すべきです。それが無くては、特攻というシステムを採用するような組織が再び、生まれてしまうかもしれません。
◇ほさか・まさやす
1939年、札幌市生まれ。74歳。同志社大文学部卒。出版社勤務を経て、著述活動に入る。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。長年の昭和史研究で2004年に菊池寛賞を受賞した。
2014年10月24日 - 特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】. ◇ ◇. ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませて ...