きのう私は書いた。
私が安倍首相なら、安倍談話で「おわび」の言葉を明記すると。
そうしたら、さっそく読者のひとりから、朝のNHKもそう報じていました、と教えてくれた。
そして今日8月11日の読売新聞は一面トップで報じている。
「おわび」の気持ちを表現することを検討していると。
安倍政権の代弁メディアであるNHKと読売新聞が報じているのだから、これで決まりだ。
私の予想が見事に的中したわけだ。
いや、私の助言に安倍首相が耳を傾けたのだ。
そう勝手に自画自賛しておく。
そして、自画自賛のついでに、究極の助言を安倍首相に献上したい。
谷内正太郎NSC事務局長さえもできない、これ以上ない助言である。
それは、どうせ村山談話を踏襲するなら、徹底的に踏襲すべきだということだ。
その上で、お得意の未来志向に重点を置いて、未来に向けて和解の精神でともに歩みだそうと呼び掛けるのだ。
そして、ここからが、私の究極の助言であるのだが、9月初めに中国が計画している抗日戦争勝利70年記念行事に出席して、安倍談話を繰り返す大演説を行うのだ。
すなわち、招待を受け取ったことを逆手にとって、堂々と中国に乗り込んで習近平主席と会談をするのだ。
習近平主席はもはや首脳会談を拒むことはできない。
そして抗日戦勝記念式典に列席した世界の首脳の前で、堂々と大演説をするのだ。
日本国民を代表して過去の日本の侵略を反省し、お詫びするためにここに来たと。
そして、日本の謝罪と反省は私をもって終わりにしたいと。
これからは、世界のすべての国民が過去の誤りを認め、過去の誤りを許し、マンデラが掲げた和解の精神をもって未来に向かって歩みだそうと。
この演説に反対できる世界の指導者は誰一人としていない。
こ演説の前に、抗日戦争の勝利を喧伝する習近平主席の中国は、自らを恥じ入ることになる。
その中国に歩調を合わせてきた朴クネ大統領の韓国は、言葉を失うことになる。
国内の右翼が騒ぎ出すことを恐れる必要はどこにもない。
すでに安倍首相は4月の米国議会演説で、米国との関係でそれを公言しているからだ。
繰り返していう。
安倍首相は8月14日の70年談話で、日本の過去の侵略を認め、明確に謝罪するのだ。
そしてその談話を携えて、中国に乗り込み、習近平主席と首脳会談し、世界の前で大演説をブツのだ。
ともに過去から決別し、未来に向かってともに歩んでいこうと訴えるのだ。
戦勝国がいつまでも戦勝を祝うことはもう終わりにしようと呼びかけるのだ。
世界は立ち上がって喝采を送るだろう。
世界にスタンディングオベーションをさせた首相。
これこそが、安倍首相が望む歴史に名を残す首相ということである(了)
私が安倍首相なら「おわび」の言葉を談話に盛り込む
14日に閣議決定される安倍首相の70年談話には「おわび」のことばは盛り込まれない。
そう一面トップでスクープ記事を書いたのはきのう8月9日の朝日新聞だった。
安倍首相は7日夜に自民・公明両党幹部に原案を示し、その中にはおわびのことばが盛り込まれていなかった、それがわかったというのだ。
その後、同様の記事を各紙も書き始めた。
本当にそうなのか。
私は朝日新聞がそう大きく書いたとき、私の予想が外れた、いよいよ、安倍首相はなにもかも強気で押し通すつもりだ、と一瞬思った。
しかし、きょう8月10日の毎日新聞の記事を読んで思い直した。
その記事もまた、「おわび」素案に盛らず、という見出しで書かれている。
しかし、私が注目したのは、最終調整の段階にあると書かれていたことだ。
そしてある政府関係者の言葉として、次のように書かれていたことだ。
「首相はおわびの気持ちが十分に出るように考えるだろう」と。
やはり、そうだったのだ。
安倍首相は、かなりまえからそう決めていたに違いない。
表現こそおわびという言葉は使わないが、その趣旨が中国、韓国に伝わるような表現でおわびを示すことを。
谷内安保局長が訪中したのはそれを内報するためだったのではないか。
そのことはまた山口公明党代表の顔を立てることでもある。
明仁天皇の気持ちにも沿うことになる。
こう考えればすべてに合点がいく。
原案ではおわびの言葉をあえて盛り込まず、メディアにあえてそう書かせ、皆にそう思わせておいて、最後にサプライズの形でおわびの気持ちを表現する。
安倍首相の起死回生の手はこれなのだ。
私だったらそうするだろう。
その予想が外れれば、安倍首相はさらなる苦境に追い込まれる。
やはり安倍はバカだったということになる(了)