天木直人のブログ
中国の新華社が「昭和天皇には中国への侵略戦争の主な責任があり、
その後継者である天皇陛下は先の大戦について謝罪すべきだ」と主張す
る記事を掲載したらしい。
とんでもない論評だ。
明仁天皇ほど、国民に率先して、昭和天皇の時代に行われた侵略戦争に心を痛め、謝罪の思いを言動で表現し続けている天皇はいない。
そのことを中国が知らないはずがない。
この新華社の論評は、政治的発言のできない明仁天皇の心を踏みにじ
るものだ。
安倍政権は、間髪を入れず、世界の見ている前で、満身の怒りを中国
政府にぶつけなければいけない。
中国政府は明仁天皇に本気で謝罪を求めているのかと。
それは習近平主席の考えであるのか、と。
天皇制そのものを否定する国民を除いて、この新華社の論評に怒らな
い国民はいないと思う。
あの時もそうだった。
つまり中国の戦闘機が自衛隊の戦闘機にレーダー照射したときだ。
あれは明らかな国際法違反の戦闘行為であった。
日本は即刻国連安保理事会の緊急会議を要求し、中国に対する非難決
議を求めるべきだった。
中国は自ら非を認めるときは反論しないでやり過ごす。
サンゴ密漁の時もそうだ。
誰が見ても明らかな中国の不法行為だ。
だから中国は密漁をやめさせた。
日本は中国に対し、怒るべき時には、間髪を入れず、激しく、正しく
怒るべきだ。
それをせずに、間違った歴史認識のために中国と無用な摩擦を繰り返
して来たから、中国もつけあがるのだ。
日刊ゲンダイ(8月31日)は、岸田外相の抗議を安倍内閣支持率
アップの狙いがミエミエだと批判的に書いている。
違う。
もっと怒らなければいけないと書くべきだ。
何でもかんでも安倍政権を批判すればいいと考えている日刊ゲンダイ
の限界である(了)
主役のいないデモの後に求められるもの
きょう8月30日の東京新聞が「デモの民主主義が来た」という社説
を掲げた。
その言わんとすることは、表向きは、今度のデモの広がりに対する称
賛だ。
もはやデモが議会制と並ぶ第二の民主主義を日本の政治に打ち立てつ
つある、とまで書いている。
しかし、東京新聞が本当に言いたいことは、そのことではないはず
だ。
戦後を代表する政治学者、丸山真男の「議会政治をきずくには」の一
節を引用し、あとは「院内」政治が健全な議会政治を築くためにデモの
声をどう政治に吹き込むか、であると締めくくっている。
これこそが、デモの後に求められる最大の課題である。
そして、東京新聞も、それについては具体的なことは何も語っていな
い。
今度のデモの最大の特徴は何か。
報道されていることが事実なら、それは主役なきデモということだ。
しかし、これこそが「院内」政治にもっとも矛盾することである。
良くも悪くも政治には公約を掲げ、実践する主役が必要である。
安倍晋三にしても橋下徹にしても、ここまで批判されても、主役を張っている。
それに対抗する善役の主役は出てくるのか。
それは憲法9条しかない。
デモの中から新党憲法9条を結成して安倍暴政に対抗しようと言い出すものが出て来ないことが不思議だ(了)