◼️「Swallow/スワロウ/Swallow」(2019年・フランス=アメリカ)
監督=カーロ・ミラベラ・デイビス
主演=ヘイリー・ベネット オースティン・ストウェル エリザベス・マーヴェル デヴィッド・ラッシュ
「スリラー」とジャンル分けされる映画たち。辞書的には、恐怖でドキドキさせたり、怖がらせたりする要素に満ちた作品が、映画だろうが小説だろうがスリラー。ふた昔くらい前の感覚と言われるかもしれないが、僕はスリラー映画は「恐怖映画」だけど、ホラーとは違うものだと思っている。例えば「サイコ」「何がジェーンに起こったか?」「ミザリー」「羊たちの沈黙」とか、グロテスクな描写に過剰に頼らずに、観客を最後まで怖がらせて精神的に追い詰めてくる映画たち。だけど近頃スリラーとカテゴリーされる映画って、ちょっと違う。怖がらせたり、不安にさせる要素は含みつつ、映画の主眼は別なところにある。つまり表現方法として、観客を怖がらせる「スリラー」なのだ。例えば「ゴーン・ガール」。さんざんハラハラさせておいて、最後は夫婦ってこんなもんでしょ?と開き直る。見せたかったのはハラハラじゃなくて結末。そこが昔のスリラー映画とは大きく違うのだ。
「Swallow」も一般にはスリラーとカテゴリー分けされている。何不自由のない結婚をしたヒロイン。妊娠してから夫とその両親からの過剰な干渉と孤独に追い詰められていく物語だ。ヒロインはそのストレスが原因なのか、異物を飲み込む"異食症"に陥ってしまう。精神的な原因を見つけて対処しようとするものの、目先の行為を抑え込むことに夫も両親も終始する。その為ヒロインはバスルームの中でしか、一人になれない状況に。
確かにこの状況は怖い。しかも彼女が飲み込むものは、ビー玉から始まって、押しピンになり、だんだん危険なものになる。血も流れるため、一見従来のスリラー的に見える。でも怖がらせることが主な目的のスリラー映画とは違う。押しピンを舌の先に乗せる映像から感じる恐怖は、僕らが肌感覚で感じる恐怖だ。従来のスリラーと違うのは、日常的な恐怖、しかも身内の執着とエゴの怖さが描かれていることだ。決してサイコパスや殺人鬼なんかじゃない。「ゴーン・ガール」で結婚なんて御免だと思ったり、「ファーザー」で認知症の不安を感じたりするのと同じ、手法としての恐怖なのだ。
しかし。この映画は恐怖で終わらない。家から逃げ出したヒロインが自由になろうと歩み出すところで終わるのだ。酷い仕打ちをした夫と両親が懲らしめられる訳でもない。だけど、女子トイレを延々と映し続けるエンドクレジットには、爽やかささえ感じる。そこで、僕らはこの映画が自立のドラマだったことを思い知るのだ。
「Swallow」も一般にはスリラーとカテゴリー分けされている。何不自由のない結婚をしたヒロイン。妊娠してから夫とその両親からの過剰な干渉と孤独に追い詰められていく物語だ。ヒロインはそのストレスが原因なのか、異物を飲み込む"異食症"に陥ってしまう。精神的な原因を見つけて対処しようとするものの、目先の行為を抑え込むことに夫も両親も終始する。その為ヒロインはバスルームの中でしか、一人になれない状況に。
確かにこの状況は怖い。しかも彼女が飲み込むものは、ビー玉から始まって、押しピンになり、だんだん危険なものになる。血も流れるため、一見従来のスリラー的に見える。でも怖がらせることが主な目的のスリラー映画とは違う。押しピンを舌の先に乗せる映像から感じる恐怖は、僕らが肌感覚で感じる恐怖だ。従来のスリラーと違うのは、日常的な恐怖、しかも身内の執着とエゴの怖さが描かれていることだ。決してサイコパスや殺人鬼なんかじゃない。「ゴーン・ガール」で結婚なんて御免だと思ったり、「ファーザー」で認知症の不安を感じたりするのと同じ、手法としての恐怖なのだ。
しかし。この映画は恐怖で終わらない。家から逃げ出したヒロインが自由になろうと歩み出すところで終わるのだ。酷い仕打ちをした夫と両親が懲らしめられる訳でもない。だけど、女子トイレを延々と映し続けるエンドクレジットには、爽やかささえ感じる。そこで、僕らはこの映画が自立のドラマだったことを思い知るのだ。