◼️「ウエスト・サイド・ストーリー/West Side Story」(2021年・アメリカ)
監督=スティーブン・スピルバーグ
主演=アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー アリアナ・デボーズ リタ・モレノ
ロバート・ワイズ監督の「ウエストサイド物語」を初めて観たのは中学1年。地上波でノーカット放送されたもので、ジョージ・チャキリスの吹き替えが沢田研二だったのを強烈に覚えている。さらに高校時代に地元の映画館でリバイバル上映があり、スクリーンで観る幸運にも恵まれた。バーンスタインの楽曲は吹奏楽部で演奏したこともあるし、サントラ盤のレコードは買ってさんざん聴いた。1961年版は思い入れのある映画だ。
スティーブン・スピルバーグがミュージカルだよ。大丈夫なの?そんな心配はすぐに吹っ飛んだ。
例えばオープニング。61年版はニューヨークの街を見下ろす空撮から主人公たちが住む街へとカメラがズームしていく。大都会の片隅で起こった出来事だと印象づけて、華麗な群舞へとつなぐ。ここでスピルバーグはストーリーの語り部としての巧さをいきなり発揮する。スラム街の再開発地区であることを示すため、空撮とは対照的に地を這うようなカメラで看板と瓦礫を映していく。突然、地下室から缶を抱えた若者たちが現れて街を走り、踊り始める。やがて看板や街の人々が明らかにそれまでと異なる地区に入って行き、バスケットコートの壁面に描かれたプエルトリコの国旗をペンキで汚し始め、人種を二分する騒ぎが勃発する。ここまで無言。割って入った警察官の台詞で、白人側もプエルトリコ人側も、再開発が進みゆく地域にしがみついて住んでいる行き場がない人々だと認識させる。さらにプエルトリコ独立のために歌われた曲を彼からは歌い、対立の深刻さを印象づけるのだ。巧すぎる。これ以外にも巧さは随所に光る。
ミュージカル場面。群舞全体をデーンと据えたカメラで満喫させてくれたのが61年版。カメラが動くのは、一連のダンスや歌唱を切れ目なく映像に収める為で、あくまでもミュージカル自体が中心。スピルバーグ版は、カットを変える編集で躍動感を生む映像になっていて、振り付けを真似したい人には不向きかもしれない。これはキャラクターを印象づけたり、歌の間にもストーリーを着実に進行させる為なんだろう。決闘前夜のそれぞれの思いが異なるメロディを5つ重ねる楽曲Tonight - Quintetは、61年版でも巧みな編集で見事な場面だが、スピルバーグ版でも素晴らしい。
61年版と明らかに印象が違うのは、人種やLGBTQへの配慮だ。こうした規制が厳しい現代ハリウッド。キャスティングには俳優自身の血筋まで考慮されて、リアルが求められたと聞く。ロシア移民の子であるナタリー・ウッドがプエルトリコ人を演じられた時代とは違うのだ。また、ジェット団に入りたがっている女性の扱いも、61年版とは明らかに違ってジェンダーへの配慮を感じさせる。
そして、61年版でアニタを演じたリタ・モレノが、白人に嫁いだトニーの祖母であるプエルトリコ人を演じているのも注目すべき。後半の重要な楽曲であるSomewhereが、リタ・モレノによって歌われ、亡き白人の夫とドラッグストアを開いた頃の回想が描かれる。彼女にとってどれだけ困難な道のりだったのかを無言で示す。
どこかに私たちの場所がある♪
と歌われるのは、トニーとマリアだけのことではないのだ。この改変は物語を味わい深いものにしている。
個人的に気に入らなかったのは曲順。大好きなI Feel Prettyが決闘後になっていることだ。マリアがお針子だった61年版と違って、デパートの清掃係で仕事が夜になるからであろうが、恋に浮かれているマリアを微笑ましく見られないのは残念。トニーとマリアの身長差が際立っていて、マリアがとても幼く見える。まあ、これもキャスティングの難しさなのかも。しかし主役の二人とも熱演。そこは満足。