■「アイデン&ティティ」(2003年・日本)
監督=田口トモロヲ
主演=峯田和伸 麻生久美子 中村獅童 大森南朋
※ちょっと長いです。アツくなっちゃいました(恥)
80年代後半のバンドブーム。もしかしたらあの時代を知る30代にこそ楽しめる映画かもしれない。だって、今の若い子たちにしてみれば”インディーズで好きなことやる → メジャーへ”という道筋があるだけに、実感湧かないのではないだろか。もし事務所に嫌われてもCDは出せるじゃない。
10数年前、僕は仕事である音楽好きのお坊さんと知り合った。その方に言われた。「音楽は楽しむもの。仕事にしてはいけません。あなたはせっかく音楽をされていたのだから、何らかの形で続けたらいい。」僕はその言葉に励まされて、DTMでオリジナルを形にしてコンテストに応募することになった。プロこそ目指さなかったけど、この映画と同じ時期に音楽やってた僕としてはかなり感情移入できる部分が多かった。当時、売れ筋のバンドたちを「商業ロック」と呼んで嫌っていた僕。社会人になって音楽活動もしなくなったけど、深夜に帰宅してネクタイ緩めながらオーディション番組を食い入るように見ていた僕・・・。そんな今までの自分が記憶の底から顔を出してくる。主人公が昔の仲間と飲む場面あるけど、あのスーツ姿の男たちこそ今の僕の姿なのかもなぁ。
中島がディランと呼ぶ”ロックの神様”。ああいうキャラを出す発想は、古くはウディ・アレンの「ボギー!俺も男だ」があるし、「トゥルー・ロマンス」のエルヴィス・プレスリーも同様だよね。今回はボブ・ディランの歌詞を通じて、主人公にメッセージを送るところにこだわりがある。ディランを知らない若い観客層も、エンドクレジットで謎解きが待っているから大丈夫。自分らしく生きることがロックだ!というメッセージには感動的だけど、「中流家庭の出だから僕の書くロックには嘘がある。不幸でなかったことが不幸。」という主人公の考え方にはちょっと共感しかねる。ハングリーな奴は反骨精神バリバリの曲書けばいいんだし、リッチな奴はダイヤモンドギラギラの曲書けばいいのさ。それが”自分”なんだからさ。
麻生久美子扮する「彼女」の存在がいいですねぇ!。主人公の理解者でありながら、つかまえておけない自由人。破滅型のマザー。「誰もいなくなっても私だけは味方なのに・・・」そんなこと言われたら泣いちゃうよ!きっと。夢を追う男にとっての理想?として完璧すぎる、嘘くさいという意見もあるだろう。でもね。主人公に”音楽的な啓示”を与える異性って、経験ないですか?。もっと単純に「あの娘が好きなアーティストだから聴き始めて好きになった」というレベルなら、絶対あると思うのよ。僕には(幸福なことに)そういう存在がいた。その女性がいなかったら聴かなかった音楽があるし、行かなかったコンサートもある。この映画の「彼女」は主人公に新たな世界の存在を知らしめた。「あの頃ペニーレインと」のケイト・ハドソンもそういう存在だけど、あなたが音楽好きならこうした存在が今までの人生でいたのでは。それにしても音楽って素晴らしい。好きな人が好きに作った映画だからまた嬉しい。かくいう僕も今まで買うのをためらっていた「追憶のハイウェイ61」を、Like A Rolling Stone 目当てについに買っちゃいました。ああ~、また血がうずいてきそうだよ。