Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー/山田詠美

2013-09-19 | 読書
 山田詠美の小説を読んだことがなかった。映画化された「ベッドタイムアイズ」のイメージが僕には強くって、まだ若造だった僕にはとっても遠い世界のお話だった。ミドルエイジになった今、直木賞受賞作「ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー」をやっと読む気になった。男と女の話が無性に読みたかったからだ。

 今まで読んだ小説に似たものはない・・・正直、圧倒された。文章がいちいちカッコよくって、しかも人を愛すること、好きになるなったときのどうしようもない感じが活字の向こうから伝わってくる。男心も女心も描写がとても丁寧だ。セックスの描写にしてもいやらしさはまったく感じない。それは行為を表現するのではなく、そこで何を感じているのかがはっきりと描かれているからだろう。先日読んだ石田衣良の「SEX」も同じ性をめぐる短編集だが、あれはそれぞれの登場人物やその物語が魅力的な本だった。でも・・・どこか客観的な視点で行為や状況を描写する、そう、官能小説ぽい文学。「ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー」は違う。同じ活字で描かれた物語なのに、体に染み、心にズカズカ踏み込んでくる。そう、ソウルを感じるのだ。

 ミセス・ジョーンズが「セックスはお菓子のようなもの」と少年を諭す台詞。バリーがジャニールウを思ってする行為。ソニーが死んだ恋人を思ってする行為。苦さを味わって成長するDJブースの若者。抱き合って、絵の具まみれになって床を転げ回るウィリー・ロイと私。男と女の数だけ物語はある。そして、それぞれの物語を彩る音楽。彼にそっくりの声のテディ・ペンダーグラスを聴く、という場面に、ちょっと過去の自分の行動に思い当たるところが(汗)。ラストを飾るのが、パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」というのが素敵。ウィリー・ロイが言うようにこういう音楽流れる貴重な瞬間が人生をつくるのだ。





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エンパイア・レコード

2013-09-18 | 映画(あ行)

■「エンパイア・レコード/Empire Records」(1995年・アメリカ)

監督=アラン・モイル
主演=アンソニー・ラパグリア リヴ・タイラー マックスウェル・コーフィールド

 真夜中まで開店している老舗レコードショップ”エンパイア・レコード”を舞台に、個性的な店員たちの青春群像が描かれる佳作。90年代青春組映画ファンからは、落ち込んだ時にみて元気をもらういわゆる”喝入れ映画”として支持されているとか。80年代組の僕ですがこの評価は納得できた。主人公たちが抱えている悩みは観客にも共感できるものだし、演じている若手俳優もとにかく元気がいい。

 個性が強くて、時に道を外れそうになるけれど、それを暖かく見守るような視線がここにはある。優等生のリブ・タイラー、ちょっとお尻の軽いレニー・ゼルウィガーを始め、自殺未遂までやっちゃうヤツ、買収されかかってる店を救う一心とはいえカジノに売り上げ持っていくヤツ、それで危機に陥る店長アンソニー・ラパグリア等々悩める人ばかり。それが、店の一日だけを描く90分、奇跡的なまでにハッピィに解決。実に都合がいい話なんだけど、観ていて気持ちがいい。これが一番の魅力だ。

 レコード店が舞台の映画だけにサントラは重要。それに関しては、選曲にしても使うタイミングにしてもセンスの良さが光る。エンドクレジット前のキスシーンで流れる 'Til I Hear It From You は短いながらも印象に残るし、チャリティパーティで演奏される Sugarhigh もいいね。80年代組の僕には バグルスの Video Killed The Radio Star やダイアーストレイツの Romeo & Juliette が店内で流れるのは嬉しかった。そうそう、キャンペーンで店に来る元アイドル歌手レックスは、「グリース2」のマックスウェル・コーフィールド!。腰を振りながら Say No More Mon Amour なーんて歌う姿、しばらく記憶に残りそう。店の危機が最後はチャリティで救われるという結末。これはコミュニティの結束とか、経済的強者よりも大衆の方が良識があるということを大前提として信じているアメリカ映画だからこそできる物語なんだろうね。それにしても思うのは、この映画をミュージカルにしたらさぞかし面白いだろうに、ということ。誰か舞台にしないかな。

(2002年筆)




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エレクトリック・ドリーム

2013-09-17 | 映画(あ行)

■「エレクトリック・ドリーム/Electric Dreams」(1984年・イギリス)

●1985年アボリアッツ・ファンタスティック映画祭 観客賞

監督=スティーブ・バロン
主演=レニー・フォン・ドーレン バージニア・マドセン マックスウェル・コールフィールド

※ネタバレあります
 実は初めて観たのだけれど、いいねぇ!。いい物語といい音楽がある。そして何よりも夢がある。まだデスクトップパソコンが珍しい時代。ひょんなことから意思を持ったコンピューターが、言葉を覚え、音楽を奏で始め、恋をする。主人公は次第に生活をコンピューターに干渉され、脅かされるようになる。その様は何ともおかしい。要はHALの延長にあるのだろうが、HALにもできなかったことをこの映画のコンピューターは学ぶ。それは愛情だ。「愛は奪うものではない。与えるものだ。彼女は君に愛を与えた。だから僕は去る。」というコンピューターの台詞には、もう感動せざるを得ない。最後は自殺までするし、「おやすみ」と言われて電気羊まで数えるんだよ!。

 二人の恋の進展があまりにも急で、都合よすぎると感じられる。けれど、それ以外の部分が十分魅力的なので映画自体は成功作と言ってよいだろう。マデリンの心は、音楽によって自分に向いている、本当はコンピューターが奏でているのに・・・そんな冴えない主人公の焦り。その恋を知ったコンピューターが彼女に近づきたいと騒ぎ出すだけに、彼は必死になる。でも彼女は主人公の人柄に惹かれていたことで愛を勝ち得る。今で言う電脳ヲタクが勝利するようなお話だから、観ていて勇気をくれるよね。リチャード・ブライソンが製作総指揮を担当、彼のヴァージン・ピクチャーズ第1回作品だけに、ヴァージンお抱えのアーティストの楽曲がズラリ。歌心を覚えたコンピューターが自作するラブバラードが、Love Is Love (カルチャー・クラブ)、コーラのCFをパクって作ったゴキゲンな(死語)ポップナンバーが Video (ジェフ・リン)。そして思わずニヤッとさせる粋なラストシーンに流れる Together In Electric Dreams (ジョルジオ・モロダー with フィル・オーキー)も楽しい。是非サントラを入手したい。それにバージニア・マドセンのかわいいこと!「ホット・スポット」でお色気ムンムンになる前だけに(そっちも好きだけど)、もうピンナップしたい程だ!。それにつけても、エドガーと名乗ったコンピューターの”意思”は、自爆の後ネットの世界で存在し続けたってことなのかな。80年代半ばにそんな発想で作られていた先見性!目の付け所は「攻殻機動隊」よりも早かったってことか?(笑)。

(2004年筆)




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エデンより彼方へ

2013-09-16 | 映画(あ行)

■「エデンより彼方に/Far From Heaven」(2002年・アメリカ)

●2002年ベネチア映画祭 主演女優賞
●2002年NY映画批評家協会賞 作品賞・監督賞・撮影賞
助演男優賞・助演女優賞
●LA映画批評家協会賞 主演女優賞・音楽賞・撮影賞

監督=トッド・ヘインズ
主演=ジュリアン・ムーア デニス・クエイド パトリシア・クラークソン

 冒頭の街を見下ろすカメラ、タイトル、駅での別離のエンディングとクラシック映画の香りがプンプンと漂う。50年代映画の再現に挑んだ監督のこだわりは見事。エルマー・バーンスタインの音楽も時代を彩る一部となる。監督の前作がグラムロックの時代を切り取った「ベルベット・ゴールドマイン」というから驚きだが、その時代の空気を再現することに長けている人なんだろう。

 舞台は57年のアメリカ。黒人地位向上のための運動も起こっていた頃ではあるが、実際には黒人への差別感情は根が深いものがあった。人種問題は、90年代のO・J・シンプソン裁判でも明かなように、今なお問題である。さらにここでは同性愛の問題も扱われる。ヘップバーンの「噂の二人」でも同性愛者と勘違いされる悲劇を描いていたが、当時の同性愛者に対する見方は一種の病気なんだね。そこにはとても驚いた。ジュリアン・ムーア主演作は思えば初めて観たような気がする。抑えた演技で感情を表現。紅葉の美しい風景も見事だった。

 ところで、今何故ハリウッド黄金期のような色彩を持つ映画で、人種を越えた相互理解を扱った映画を撮るのか。それは異文化を認め合えない、他人と違うことを認め合えない不寛容さが今の世界を不安にしていることと無縁ではないだろう。それを往年のスタイルを借りることで、より説得力を持たせたかったのでは。クラシック好き映画ファンなら、人種偏見と闘った映画の数々が思い出されることだろう。それは「紳士協定」や「十二人の怒れる男」かもしれない。僕は「招かれざる客」のシドニー・ポワチエの台詞を思い出した。
「お父さん、あなたは私を黒人だと思っている。しかし私はそれ以前に人間だと思っている。」

(2003年筆)

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007/リビング・デイライツ - 80's Movie Hits ! -

2013-09-10 | 80's Movie Hits !

- 80's Movie Hits! - 目次はこちら

■The Living Daylights/a-ha
from「007/リビング・デイライツ/The Living Daylights」(1987年・イギリス=アメリカ)

監督=ジョン・グレン
主演=ティモシー・ダルトン マリアム・ダボ ジョー・ドン・ベイカー

 80年代半ばまで頑張ったロジャー・ムーアだったが、そろそろボンド役者に無理が出てきた。そして4代目JBとしてティモシー・ダルトンが登場するのだ。この後の「消されたライセンス」の2本しかシリーズ出演作はないが、僕はある意味5代目ピアース・ブロスナンよりも好きだ。ダルトンのボンド像はあくまでもかっこよくクール。"Bond, James Bond"とダルトンが初めて名乗る冒頭のアクション場面も、ロジャー・ムーア時代にはなかった緊張感とキレがある。「ボンドにハードボイルドな香りが戻った!」と当時評された。しかし他のボンド役者にあるユーモアは、ダルトンのボンドには見られない。あくまでもきっちり仕事をこなし美女と戯れる。かっこよすぎるのだ。でも僕はそこが好き。ボンドカーもアストンマーチンに戻って従来のボンドファンを感動させたが、イアン・フレミングの原作に基づく作品(つーかタイトルだけですけど)は、本作でついに品切れ。次作からはオリジナルストーリーとなっていく。

 主題歌を担当したのはノルウェー出身の3人組a-ha。その名を聞くだけで80年代青春組は懐かしさでいっぱいになるだろう。人々が"a-ha"と口にするのが恥ずかしくなるくらいに売れてやる!という意気込みで、バンド名にしたという話だ。今思うと何て野心的、何て気恥ずかしい。ご存じの通り、デビュー曲 Take On Me がいきなり全米No.1となり、これが半端じゃないインパクトを僕らに与えた。あのデッサン画アニメと実写が融合するPVは今でも忘れられない。ところがこのヒットのせいで”一発屋”のイメージが世間的には強くなってしまった。The Sun Always Shines On TV や Hunting High And Low などいい曲が多いのにね。主題歌 The Living Daylights はジョン・バリーとの共作で、007お約束的なフレーズとa-haらしい哀愁メロが同居する佳作だ。そしてジョン・バリーが手がけた最後の007作品となった。サントラには、プリテンダーズも Where Was Everybody Gone と If There Was A Man の2曲を提供している。





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ぼくは怖くない

2013-09-09 | 映画(は行)

■「ぼくは怖くない/Io Non Ho Paura」(2003年・イタリア)

監督=ガブリエーレ・サルヴァトーレス
出演=ジュゼッペ・クリスティアーノ アイタナ・サンチェス・ギヨン

 イタリア南部の貧しい小さな村。主人公ミケーレ少年は廃屋のそばに掘られた穴の中で、鎖で足をつながれた少年を見つける。何故彼はそこにいるのか?彼と村の大人たちとの驚くべき関係とは・・・。「エーゲ海の天使」のサルヴァトーレス監督がイタリアのベストセラー小説を映画化した本作は、厳しい現実と少年の純粋さを見事にしかもスリリングに描いている秀作だ。

 イタリア映画のお家芸は家族を描くところだと僕は思う。そして貧困を描かせたらイタリア映画は実に巧い。「鉄道員」や「自転車泥棒」などはその代表である。イタリアは北部と南部との間に経済的な格差があるとよく聞く。穴の底にいた少年が、村の大人たちによって身代金目当てに誘拐されたのだと知ったミケーレの衝撃。自分と同い年の少年を助けたいと思う純粋な気持ちと、大好きな両親への思い。一方でその誘拐が大人には生活のためだったりもする。「この”仕事”が終わったら海に行こう」などと言う父親の涙ぐましさ。「裸のマハ」のアイタナ・サンチェス・ギヨンが演ずる母親も、善悪の狭間で苦しむ大人のひとり。「大きくなったらこの村を出るのよ」の一言は、観ているこっちまで胸に迫るものがあった。自分の一途な思いと大人の事情のギャップが少年を苦しめる。そしてクライマックスで少年が選んだ方法は・・・そして皮肉な結末・・・。

 戦場で決死隊を決める方法と父親が言うマッチのくじびきが、前半と後半で見事な対比となっているのも巧い。そして何よりも広大な黄金色の麦畑の美しさ。平穏そうな風景とその裏の厳しい現実というギャップが物語をいっそう印象的にする。映画を通じて異国の現実を知るとき、僕は映画を観ていてよかったと心底思う。今年初めてそういう思いを抱かせた映画だ。もっと多くの人に観て欲しい。

(2004年筆)



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劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

2013-09-07 | 映画(あ行)

■「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(2013年・日本)

監督=長井龍雪
声の出演=入野自由 茅野愛衣 戸松遥 櫻井孝宏

 テレビアニメーションの劇場版は所詮ファンサービスである。テレビシリーズを見ていないと劇場版のストーリーについていけず、単独の映画として成立できているかと言われれば、"違う"と思える作品が圧倒的に多い。それは仕方がないこと。しかしだ。日本の映画館で常に上映されている、単に続きを見せたいだけの安易なテレビドラマの劇場版と同じにしてはならない。多くの「劇場版」と題されたアニメは、作品のファンにとっての"イベント"なのだ。そこが大きく違う。

 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」はフジテレビの深夜アニメ枠"ノイタミナ"で放送された。小学生のときの仲良しグループが、一人の少女の死をきっかけにバラバラになる。その出来事にそれぞれが個人的な思いや痛みを抱えて成長していく。ある日、主人公の元に死んだ少女が幽霊として現れる。彼にしかその存在は見えない。彼女は「願いを叶えて欲しい」と言う。主人公は迷いながらもかつての仲間と再会することになる。テレビシリーズは、毎回メンバー誰かがずっと抱えてきた悩みや死んだ少女への思いを口にし、涙なくして見られない。でもそれはいわゆる"お涙ちょうだい"なお話ではない。

 今の映画宣伝はやたらと"泣ける"ことを"売り"にしたがる(さもなければ賞などの権威を"売り"にしたがる)。泣けるかどうかは見る側個人の問題であって、宣伝でそれを訴えることは"泣けないあなたは間違っている"と脅迫しているようなもの。商品である映画の中身をどうして訴えることをしないのか。「あの花」もご多分にもれず、"泣ける"と世間では評判だ。しかし、この劇場版の"泣ける"はそんじょそこらの映画やドラマとは違う。「あの花」を観て流す涙は、登場人物たちの言動によって、過去の自分に向かい合う痛みがある。そういう意味では、昨年の話題作「桐島、部活やめるってよ」を観ていて感じる"痛み"に近い。観客ひとりひとりも、いつしか超平和バスターズのメンバーとして共感できる。こんなストーリーがアニメとして受け入れられるのは難しいのでは、という声も実際にあったと聞く。しかし、アニメであったからこそファンタジーな部分をすんなり受け入れることができたし、幽霊として現れた少女めんまが、姿だけは成長し少女のままでいる設定も無理なく表現されていると思うのだ。

 この劇場版は、テレビの最終回の1年後の物語。5人のメンバーが、めんまへの思いを込めて書いた手紙を持ち寄り、再び集まるという話だ。テレビシリーズの断片が散りばめられ、エンディングテーマだったsecret base ~君がくれたものが流れた瞬間に、銀幕のこっちでは涙がこらえきれなくなる。新たに加えられたシーンにはひとりひとりが抱えた思いが描かれ、台詞として語られる。観ている僕らも切なくて、でも嬉しくて。そう、これは観客もバスターズのひとりとしてめんまを弔うイベントそのものなのだ。夏の終わりの8月31日に封切られたこの劇場版。「また会えたね」という喜びこそが、再び僕らの涙となる。日常のもやもやした気持ちを抱えた僕らは、涙腺からその汚れたものを洗い流してもらったような気持ちで、映画館を後にできるのだ。この劇場版のポスターやチラシには、"泣ける"とも"涙"の文字もない。それでも世間が"泣ける"と言うのは、映画宣伝お仕着せの感動ではなく、作品が愛されている証なのだ。




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エターナル・サンシャイン

2013-09-03 | 映画(あ行)

■「エターナル・サンシャイン/Eternal Sunshine Of Spotless Mind」(2004年・アメリカ)

●2005年アカデミー賞 脚本賞
●2005年ラスヴェガス映画批評家協会賞 主演女優賞・脚本賞

監督=ミシェル・ゴンドリー
主演=ジム・キャリー ケイト・ウィンスレット キルスティン・ダンスト トム・ウィルキンソン

 予告編を観たときにビビッときた。”ジム・キャリーは苦手な役者だがこれは観たらツボにはまりそう”・・・そんな予感がした。公開時には見逃していたのだが、小倉昭和館が2本立てで上映してくれていたので、仕事疲れがあったけど行くっきゃねぇ!と出かけました。結論、当たり!。映画でしか味わえない興奮、胸キュン(死語)なラブストーリーの展開、独創的な映像、さらに頭も使わせる映画。こんな映像体験は滅多にない。脚本のチャーリー・カウフマン作品には「マルコビッチの穴」という大傑作があるけれど、あの映画はアイディアと凝ったディティールの積み重ねでできた映画だった。でも「エターナル・サンシャイン」には、「マルコビッチの穴」にはない情緒がある。そこが決定的な差。その分だけ一般にも受け入れられているし、面白いのだ。

 好きだった人と別れた後、相手との記憶を消してしまいたいと思ったこと、誰にでもあると思うのね。メアドやメールのやりとりを消去する、届いていた手紙や写真を処分する、そんな行為でも思い出だけはとても消し去れるものではない。その痛みがわかる人程、この映画は胸に迫ってくるはずだ。別れた女性クレメンタインが自分の記憶を消した、とラクーナ社から届いた手紙で主人公ジョエルも彼女の記憶を消そうと決心する。しかし消去が進む中、彼女との楽しかった美しい思い出たちが自分にとっていかに大事なものだったか、そして彼女がかけがえのない存在だったことに気づいていく・・・。

 消去される記憶から彼女を隠すために、幼い頃の思い出の中を逃げ回る場面は実に秀逸。記憶を消す側のスタッフの慌てぶりと、追っ手から逃れて”彼女の存在”を残そうと賢明になるジョエル。ここはその表現に感服しながらも手に汗を握る。そして最後の出会いの記憶まで追いつめられた彼らは「この時を楽しもう」と言う。そう美しい思い出は一瞬のもの、だけどそれは永遠のものなんだよね。崩れゆく海辺の家で別れを告げる場面、泣けます。でも面白いのはその脳髄の世界だけではない。ラクーナ社のメンバーの愛憎劇がジョエルに影響を及ぼしていく場面は、サスペンスが二重三重に畳みかけてくる。特にスタッフの一員を演ずるキルスティン・ダンストがとても印象的だ。彼女が過去を知らされる場面の切ないこと切ないこと。

 映画館を出て、帰り道にこれまでの自分の恋愛について思わず考えてしまった。美しい思い出だけが頭に浮かんだ。そんな気持ちがますますこの映画の感動をジワジワと増幅させてくれる。傑作!。

(2005年筆)

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赤い月

2013-09-02 | 映画(あ行)

■「赤い月」(2003年・日本)

監督=降旗康男
主演=常磐貴子 伊勢谷友介 香川照之 布袋寅泰

 なかにし礼の自伝的小説を中国大陸ロケで描く話題作。正直言って面白くない。それはヒロインの行動が何とも理解し難いからだ。香川照之扮する夫に子供2人がある身で、伊勢谷友介の彼女ロシア娘に横恋慕、昔の恋人である布袋寅泰と応接間で抱き合って・・・そこまでの行動に出る理由を観客に納得させる材料は全くないままなのだ。「生きていくには愛する人が必要なのよ。あなたにもいつかわかるわ。」もっともらしい台詞ではあるが、説得力はない。ラストの「ありがとう、満州。」にしても何か伝わらないんだよね。

 「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラも恋多き女であったが、彼女の場合はアシュレーへの恋心だのバトラーへの当てつけだの理由があったし、奔放な性格も説得材料ではあった。「赤い月」のヒロインも、きっと満州に着くまではいろいろあったのだろう。でも夫も特別悪い人でも俗物でもなさそうだ(指摘めて決意を示すのはやりすぎだと思うけど)。ともかくヒロイン像に説得力がないのだ。いや、これには予備知識がいる、原作を読んでおくべきと言うならば、それは映画製作者側の怠慢だろう。2時間で納得させられない題材ならば、ドラマでやればよい。昼メロでじっくりやればよい。原作者には申し訳ないけれどこの映画ではお母さんのイメージ悪くしやいないだろうか。

 中国大陸にロケした広大な風景を収めたカメラはいい。ひとつひとつが絵になる場面が多いのは印象的。常磐貴子の熱烈なファンであれば観るべきであろうが、僕としてはあまりお薦めはいたしません。東映が製作して色っぽい文芸路線で映画化していたら、また違う面白さがあったのかも。

(2003年筆)

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マン・オブ・スティール

2013-09-01 | 映画(ま行)

■「マン・オブ・スティール/Man Of Steel」(2013年・アメリカ)

監督=ザック・スナイダー
主演=ヘンリー・カヴィル エイミー・アダムス ラッセル・クロウ ケビン・コスナー

 「スーパーマン」は何度もテレビや映画で語られ続けた物語だ。僕ら世代は、80年代にクリストファー・リーブ主演の「スーパーマン」シリーズを繰り返し観てきた。あの心おどるメインタイトルの旋律は、ジョン・ウィリアムズの最高傑作だと思うし、クラーク・ケントとロイス・レーンのロマコメ的展開も楽しかった。そして、その後のクリストファー・リーブの人生に起こった出来事、その苦難に立ち向かう現実の姿は、「スーパーマン」の勇姿を思うと感動せずにはいられない。ハリウッド製の大作映画の面白さを「スーパーマン」で知ったという人も多かったと思うのだ。

 いくつかのテレビシリーズを経て製作された「スーパーマン・リターンズ」(2006)は、80年代のシリーズへのオマージュが捧げられた秀作だった。しかし、同時多発テロの記憶もまだ生々しく残る時期だけに、旅客機の墜落やニューヨークに危機が迫る場面は、多くの観客を楽しませることはできなかった。カルエル(スーパーマン)の帰還は歓迎されたが、現実が映画を超えてしまったとさえ思えたあの9月11日の惨劇は、カルエルがこの世にいないことを思い知らせる。僕はこの作品が気に入っていただけに、つくづく残念に思う。

 そしてアメコミが次々とリブートされてスクリーンに復活した現在。「スーパーマン」も"鋼鉄の男"と題されてスクリーンに戻ってきた。「バットマン」の新3部作を成功させたクリストファー・ノーランが原案と脚本を担当した本作。確かに力作だ。アクションの派手さはこれまでの比ではないし、クライマックスは地球規模に危機が及ぶスケールの大きさ。3D映画時代だから迫力はこれまでと全然違う。今回の「マン・オブ・スティール」はひとことで言えば"葛藤"のドラマ。特に前半は、クリストファー・ノーラン色が強い。カルエルは、自分の正体を地球人に明かすべきなのか。地球の軍人・政治家はカルエルを味方と信じるか。父を殺した悪人とはいえ、クリプトン星の存続を願ったゾッド将軍は、30年前の「冒険編」と比べると単なる悪人には描かれていない。掲げた"正義"は他の誰かにとっては"悪"にもなる。これまでの"勧善懲悪"というわかりやすさとは一線を画している。ノーラン作品の魅力である"物語の暗さ"は感じるのだが彼の「ダークナイト」のように人間不信になるほど切実なものではない。多様な正義が世界にはあり、その正当性をそれぞれが強く訴える今の世界情勢。単にあっけらかんと悪者をやっつける「スーパーマン」では確かに物足りないかもしれない。でもそれは従来の「スーパーマン」シリーズが持つ明るい楽しさではない。

 後半はとにかく派手な殴り合いが地球規模で展開される。ザック・スナイダーはきっと「ドラゴンボール」の線を狙ったのだろう。スーパーサイヤ人同士の殴り合いをひたすら見せられているような気持ちになる。30年前みたいにロイスを生き返らせるロマンティックな展開はもちろんなし。ニューヨークは再び破壊される。崩れ落ちるビルディングの描写は「リターンズ」の比ではない生々しさ。同時多発テロの記憶がよみがえる人もいるのではなかろうか・・・。動きが速くて、しかも3Dで観るとちょっと疲れる。3Dで観るには長尺な気もする・・・。

 そんな破壊的な「スーパーマン」映画だが、ドラマ部分がなかなかいいので全体としては許せてしまう。かつてはマーロン・ブランドが演じた父ジョーエルはラッセル・クロウ。タフガイを演じさせたらやっぱり似合う。そして地球での父親ケント夫妻はケビン・コスナーとダイアン・レイン。この二人が素晴らしい。予告編でも出てくる「父さんの子供じゃいけないの?」と尋ねる場面、竜巻に襲われる場面のケビン・コスナーの息子を思う気持ちはグッとくる。ダイアン・レインは老け役だけど、物事に動じない姿が心に残る。デイリー・プラネット社の編集長は、「マトリックス」のモーフィアスことローレンス・フィッシュバーン。80年代はジャッキー・クーガン(チャップリンの「キッド」の子役だった人)、「リターンズ」ではフランク・ランジェラと、初老のおっちゃん像が強い役柄だけど、今回はタフな男性像でかっこいい。

SFXも見応えはあるし、全体的には悪くない娯楽作。でも「スーパーマン」はやっぱり、明るくてユーモアのあるヒーロー像であって欲しいな。

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