山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

怒髪天のハトムギか !??

2023-03-29 22:20:42 | できごと・事件

 今月の上旬に畑の畝立てをしてから黒マルチを施し、中旬には野菜の種も撒いてきた。そろそろ、野菜の芽が出るころかなと様子を見に行く。するとなんと、畝と畝との間にハトムギの芽がニョキニョキでているではないか。昨年バケツ一杯分も収穫したのに、こぼれ種が多数畑に残っていたことが判明した。

       

 心配になって黒マルチをめくってみると、やっぱり同じように芽が出ていた。ハトムギの生命力を考えると多少の予想はしていたものの、いやはや予想を大きく超えていた。10cm以上を越える新芽も少なくない。これは畝を全部やり直さないとダメかと覚悟を決めた。一本一本抜いていくと時間がかかる。しかし、畝全体を見たら、ハトムギの「爆発」は半分くらいだったことが分かった。

      

 初冬に抜根しておいたハトムギの根っこを見てみると一部はまだ生きていた。この生命力は尋常ではないと痛感する。バーチャルな文明と戦争に明け暮れる人類に対する怒髪天の怒りだろうか。

 ハトムギを利用した製品はけっこう様々なジャンルで販売されていることがわかる。わが家ではフライパンで焙煎してハト麦茶を飲んでいる。硬い殻をうまく除去できればいいが、それには数十万円もする機器が必要だ。

         

 したがって、体に良いのがわかりながらもシコシコ対応するしかないのが現状だ。今年のハトムギ栽培はこぼれ種でも十分対応できる。わが家はこのところこういうこぼれ種で栽培するぐーたら栽培や放任栽培が多くなってしまった。放任の山菜や果樹はその最たるものだ。それでも、食べきれなくて近隣にお裾分けすると、返礼品がやってきてそれがまた食卓を豊富に補充してくれるという循環だ。貧乏だが「わらしべ長者」のような満足感がそこにはある。さて、ハトムギをいかに活用しようか、宿題が出されている。  

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頼みます!落石防止!!

2023-03-22 22:45:26 | できごと・事件

 ときどき利用する国道の法面で杉が一部皆伐された。何が始まったのかよくわからなかった。杉の伐採にしてはときに30人ほどの人員がいたこともあるので、どうも伐採だけが目的ではないらしい。

        

 そのうちに、モノレールのようなものも動員されていた。これは木材の運搬というより資材の運搬に使われている気がする。というのは、ほぼ全部の木が伐採され集材されているのにまだ置かれていたからだ。

        

 岩盤にはアンカーが穿たれ、網やロープが縦横に使われ始めた。この資材を急斜面に持ち運ぶこと自体大変な作業であることが想像できる。そばにあった工事用の看板を見たら、国道の法面からの落石対策工事であることが分かった。総工費は3124万円であることが明示されていた。

       

 法面の上の方はワイヤーロープがダイヤ状に設置されていた。これで工事終了なのかどうかはわからない。ここに生コンを吹き付けるのだろうか。素人はそんなこんな疑問を持ちながら道路を通過するだけだ。その手前には、落石を受け止めるフェンスがついに完成していた。 

    

 都会に育ったオイラは国道というと少なくとも4~6車線はあり、排気ガスが気になるイメージがあるが、この中山間地は2車線しかない。場所によっては車1台がやっと通れるほどの狭い難関もあり、しばしば一時停止して相手の車の通行を待つことはふつうだ。しかも、一日中薄暗い所もあり、冬は道路が凍結してしまう危険な箇所もあるくらいだ。

  

 この工事は、多機能型落石防護柵の「SPARCフェンス」というものらしい。スパークの意味は分からないが、正面から見たのが上のイラストだ。

 この工事手順は、①足場準備 ②穴を開けてアンカーを挿入する「削孔」 ③穴の空洞を埋める「グラウト」の注入。つまり生コンのようなものを注入する ④アンカー確認試験 ⑤支柱建て込み ⑥ワイヤーロープ設置 ⑦ワイヤーネット設置 ⑧金網設置 以上で完了となる。

    

 これだけの工事だけでも結構時間が必要だ。そういえば、この国道沿いの擁壁のほとんどはこれらの防護柵やカーテンネット及びコンクリート吹き付けがほとんど。岩盤がむき出しの場所はほとんどないといってもいいくらいだ。災害列島日本の現実はこうした防禦技術に支えられているのを発見する。

   (イラスト・工事手順は「kkプロテックエンジニアリング」webから)

   

 

     

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「サティアン」脆くも崩壊す!?

2023-03-03 19:53:31 | できごと・事件

 先月末に建設したサティアンが崩壊した。というのは、シカの食害が酷いのでまずは桜を防禦しようと、桜の周りを使い古しのビニールで覆ってみたのが桜防禦用「サティアン」だった。しかし、一昨日の春の嵐の一撃で完膚なきまでサティアンの崩壊となった。

        

 ある程度春の嵐のゲバルトを予想はしていたので、支柱をしっかり打ち込んだつもりだったが甘かった。自然の脅威をなめてはいけない。かつてのトマトハウスが支柱ごと飛ばされたことが何度あったことか、思い出してみよ、との啓示を振り返る。

          

 「サティアン」とは、サンスクリット語で「真理」を意味する。一日がかりの作業になってしまったが、真理を語るほどから遠い杜撰な作業だったことは間違いない。某宗教と同じ轍を踏んだのだろうか。真理とは自然を畏れることにあり、に違いない。

            

 結局、青色の小さなネットをかけて折り合いをつけたが、最初からこうしとけばよかった。こうして、なんども失敗して懲りるまで連続していくのが人生か。この桜の樹はなんどもシカの餌食にされてきた。本来なら、この三倍くらいは大きくなっているはずだった。

         

 第2・第3ミニサティアンは、放置されていたブルーシートを活用している。どこから見てもいずれも怪しい代物だ。しかし、こちらのサティアンは完璧に嵐に堪えたのだった。それは茶の樹の回廊に保護されていたからに違いない。

              

 とは言え、シカの食害にやられているのは変わらない。見栄えがどうでも、早く太い幹にならなければシカの猛攻にはかなわない。周りに張った防獣柵もまだ完成していないので隙だらけなのだ。いよいよ、春本番が一気にやってくる。すると今度は、畑仕事に追われる毎日となる。ほんとに、農業はエンドレスな作業の回転木馬でもあるなー。

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犯人は網を破って侵入!!

2023-02-24 20:53:05 | できごと・事件

  バタフライガーデンの整備をそこそこ始めているが相変わらず牛歩の歩みだ。そんなとき、防獣柵をひょいと見たら、見事に網が切られ、何者かが侵入したことが判明した。穴の大きさからみて人間でもイノシシでもないようだ。

   

 その網には、紫色の実が残っていたのに気づく。そう言えば、この網の近くでネットで入手した「ツルギキョウ」という種を蒔いていたのを思い出す。しかし、ツルは伸びたもののなかなか花が咲かなかった。そこですっかり諦めていたのだった。ツルギキョウはツルニンジンに似ているが花の大きさが小さすぎて気が付かなかったらしい。

     

 左の画像が「ツルギキョウ」(mirusiru.jpから)、右の画像が「ツルニンジン」(「山・蝶・寺社巡り」webから)。ツルニンジンはときどき里山歩きで身近に出会うことがあり、その釣鐘型の花の美しさに心を奪われる。しかし、「ツルギキョウ」には会ったことがない。それほど希少種であるらしい。同じ仲間で、ツルニンジン・ツルリンドウ・ツルギキョウを通称「ツル三兄弟」と言うらしい。

  

 当局は犯人にアナグマ説を挙げていたが、網の破り方の酷さからシカ説も捨てられないようだった。とにかく、あわてて網を補修しようと試みたがうまくいかない。始めは木材やプラ板も考えたが、アナグマならそれを土台に登ってしまうのではないかと、いろいろ考えた挙句、寒冷紗に落ち着く。

 

  外側から見ると、いかにも見栄えは悪いが害獣さんにはかなわない。以前、友人の話では箱わなのトラップにアナグマが入ったが、その金網を破って逃げてしまったという。そのくらいアナグマの歯は強靭だと驚愕していた。だから、害獣柵のポリ網くらいでは簡単に侵入できるというわけだ。トホホホ。さいわいなことに、冬季だったので食べられるものがなかったようだ。よほど、腹がすいていたのかもしれない。周りに迷惑をかけながら成長していくのは人間と同じだ。

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ホームレス住居か隠れ家か

2023-02-08 20:56:11 | できごと・事件

 近所の人から、「ちょっと、河原に来てみて」と連絡があったので、「何だろうか」と、むかしキャンプ場があった河原に直行した。そこには怪しい建物があった。ホームレスの住まいか、秘密の隠れ家か。聞いてみると、ニヤニヤしながら「俺が作ったのさ」という。そういえば、彼は河原の整備を一人でやっていたのだった。あまりに寒いので暖を取る場所を作ったのだという。

          

 外観のシートは、捨てられていたシートを利用している。そこに、伐採した雑木などを利用して作ったというわけだ。ここで、暖を取ったり、休憩しながら、河原の景観が良くなるよう雑草や竹林・灌木を伐ったりする基地にしている。たまたま、河原の石がたまっていた所がかまどとなった。少々、風が強くても、ここなら安心して焚き火ができるという。外観は貧相な感じだが、中側はきわめて整頓された合理的な休憩所・作業場だった。

        

 さっそく、火入れして暖を取った。ときおり外では強い風があったようだが、頑丈な室内は外気の影響はないほどの作りだった。といっても屋根はない。だから、雨天のときは作業は中止となる。

 そのうちに、インスタントのコーヒーとつまみも出てきてなんだかんだ夕方まで話し込む。地元ではこうしたボランティアをやっている人は少ない。ひとりボランティアをやるとはそれなりの信念がないとできないものだ。彼も自分はここで成長させてもらった場所だったからだという。しかしそれを行動で結果を出していくのは至難の業だ。おかげで、今まで荒れ放題の河原がずいぶんと見通しがきくようになっていた。            

             

 しかし、その彼の行為を知っている人は少ない。またそれを知っていても、その努力や大変さに心を寄せる人は残念ながら少ない。決められた共同作業とか日当が出るならやるものの、自らの判断でボランティアをやる「訓練」ができていないのが日本の現実だ。仕事以外に自分が自分になる世界があまりにも少ない。忙しい流れに身を任せているのが気になる。そうなってしまう根っことはいったい何なんだろうか。働くこと以外に自分を取り戻す世界が見つからないということだろうか。

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ついにプレーパークの場所が決まった

2023-01-27 16:59:58 | できごと・事件

 フキちゃんらが模索してきた冒険遊び場の場所がついに決まった。フキちゃんの自宅から歩いて5分ほどの小さな広場と森だ。地主の方のご厚意で使用できることとなった。数年の間、いろいろな所でやってきたがなかなか定着しなかったが、地元の方との信頼関係が実ったというわけだ。

 冒険遊び場は、こぎれいな公園ではなく、子どものニーズにあったガラクタがあり、泥や水があり、火を焚ける場所だ。それは1979年、世田谷の「羽根木プレーパーク」が日本での第1号だったが、近隣からの顰蹙と妨害の難産な歴史でもあった。

  

 それは、建築家の大村虔一・璋子ご夫妻が海外のプレーパークを視察してきて、日本に導入・提案してきた運動でもある。それが全国に広まり、2020年度には全国に458団体が活動しているという。一般的には遊び場がなく緑の少ない都市が中心の活動だが、過疎地での活動はよけいに困難が極まる。こどもがもともといないし、その「迷惑」場所を受け止められる地元じたいが空白状態になっている。

           

 それをあえて突き抜けていっているのがこの二人の若い夫婦だった。今までその試みをやってきた若手の先人もいたし、それをオイラも若干のお手伝いもしていたが、それは事実上停止状態となっている。その意味で、今回の根拠地が決まった意味は大きい。つまり、イベントはいつでも「やらない」という逃げ道があるからでもある。それを常設の場所を決定したということは、そこに、希望を実現しようとする「意思」「覚悟」を改めて掲げたことになる。

              

 定例会は第4日曜日にし、毎週火・木曜日が平日例会といち早く決定して、すでに活動を開始していた。オイラもあわてて第1回のオープン定例会に馳せ参じた。そこは住居表示の出ていない中山間地の場所でもあり、なかなか目的地にたどり着けなかったが、なんとか到着。すでに、10組ほどの親子が集まっていた。ヤギとニワトリが出迎えてくれた。背景のこんもりとした森も使わせてくれるという。

   

 不登校の子どもも常連メンバーとしてそこにいる。そうした子どもや親にとっては、この空間はなくてはならない場所となっていくに違いない。きっとこれから、大きな問題や困難が襲うだろうが、それを突破しようとするパワーがここにはみなぎっている。また、それをさりげなく応援しようとする若い夫婦の輪が行くたびに増えてきているのを実感する。まるでこういう場を待っていたみたいだ。

          

 この森のすぐ隣には、八幡神社が鎮座していた。このプレーパークは結果的にまちづくりにも貢献している。最近のせちがらい暗いニュースが飛び交う世界の真ん中で、この希望に満ちた人間群のなんという輝きだろう。ここには、忠君愛国の御旗も尊王攘夷のスローガンもない !?

 あるのは、肩の力を抜いてあるがままで生きていこうとする謙虚さがある。無理して背伸びしたプロパガンダもイデオロギーも必要としない。子どもとともに成長していこうとする当たり前の「人間力」があるだけだ。神の御名においてこの空間を鎮護してくれるよう八幡神社にお願いするばかりだ。

 

 

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長雨よし! 強風よし! やったー!

2022-11-30 20:54:09 | できごと・事件

 昨日は一日中、止むことがない本格的な雨だった。今朝はそこに強風だった。朝は一面靄に包まれいつもの山並みが消えた。和宮様は、「長雨や強風でゆうもじ(昨夜)以来、銀杏が落ちたようじゃが、様子を見てまいれ」とのお達しがあり、さっそく近くのイチョウの木の周りを見に行った。すると、落下して間もない新鮮なギンナンが道路に溢れていた。

  

 車の往来がすでにあってタイヤが通行した所はかなりのギンナンがつぶれていた。つまり、道路の中央と左右にはギンナンがしっかり落ちていた。なるほど、銀杏拾いのチャンスは今しかない。火ばさみで落ちたギンナンを慌ててバケツに集める。一本の雌木がかなりの量をまき散らしている。さすが、恐竜の時代、氷河期の時代から生き残っただけの生命力が彷彿としている。

        

 案の定、バケツ2杯分の過去最高の収穫となった。まだまだ実は残っていたが、バケツが満杯になったのでほどほどにする。ギンナンは、カリウムが多くタンパク質・脂質・ビタミンB/Eも豊富で、老化防止・高血圧・風邪予防・癌予防に効果がある。こんなに効能があるのに、近隣の人はあまり拾いに来ない。赤貧の我が家は山菜・きのこなどを拾ったり、木の実を採ったりして、糊口を凌いでいる。

         

 新鮮なうちに、柔らかい「外種皮」を取り除き、汚れやごみを除去する。箱籠の中でごしごし押し付けると外種皮が取れていくのがわかった。専用の機械もあるようだが、売りに出してるわけではないので、ゴム手袋で外種皮を除去し、強い水道水を流したら仕上げだ。これでやっと乾かしていけば完了となる。

 イチョウは、火事や震災にも強いことで、寺社に植えられたとともに、街路樹では一番多い樹木でもある。また、原爆を落とされた原野に最初に芽を出したのはイチョウだったとも言われている。それほどの生命力が困難な環境をかいくぐってきたのだった。都会の街中では、臭い・ゴミになると嫌われることが多いが、それを畏敬するくらいの心の余裕が欲しいものだ。

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台風の爪痕いまだ癒えず

2022-11-18 22:21:32 | できごと・事件

 今年の9月末の23~24日にかけて静岡を襲った台風15号は、平年の9月の1か月分を超える大雨があって県内のあちこちに被害をもたらした。その大きな爪痕はいまだに復旧していない所が少なくない。

 わが家から数十分かけて車で国道を走ると、宙ぶらりんになったガードレールは当時のままだったが、やっと復旧工事が始まったばかりのようだ。             

 さいわい、わが家には被害はなかったが、山を背後に控えるわが家でもあるので、ある程度の覚悟はしていた。しかし近辺では道路の一部陥没があったり、増水がひどかったりの痕跡が見られた。被害の多くは川沿いが多かった。背の高い倒木などの流木がその周辺に大きな打撃を与えるのがわかった。 

  月に数回、わが家は1時間かけて街に買い出しや診療所に行く。その中心地の川にかかったコンクリート製の橋が橋脚ごと流されていた。ここにも、大量の流木がひっかかっていたらしい。そのため、堰き止められた川の流れが周辺に溢れ、まわりは泥だらけになったらしい。直後は土埃がひどかったという。川面から道路までの高さは4~5mくらいもあり、川がそれを越えてしまうとはとても想定できない。

 

 オイラが現場に行ったときは、すでに泥は撤去された跡があり、橋から出た鉄くずや土砂はまとめられていた。もちろん、橋の原状回復にはまだまだ時間がかかりそうだ。

 この川は、街中での親水空間を作ろうという意欲的な場所だった。階段状の親水護岸を整備してたおかげで、夏には親子連れのお客が殺到する人気スポットだった。そうした行政の意欲的な施工があっただけに、残念な被害となってしまった。

  

 台風15号以前に崩落があった崖の工事はすでに復旧が終わっていた。自然豊かな中山間地はその意味で自然の持つ両面の姿を見ることができる。自然派を自認??するオイラとしても自然の猛威の前ではアニミズムを信仰するしかない。それは先人の知恵・経験則でもある、と感心しきりのきょうこの頃だ。

 

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あまたの献上品続々!!

2022-11-14 21:37:06 | できごと・事件

 ここひと月の間、近隣から和宮様への献上品が続々と集まった。すでに、高貴な侍女からカボスの入った段ボールひと箱が大分から直送されたばかりだった。

 カボスは大分県が9割の生産量を占め、フグやなべ料理に利用されていることが多いが、和宮様はサンマや天然マイタケをはじめもっぱら野菜ジュースに利用している。大きさはテニスボールほどの大きさだ。それがそろそろ先月末に終わりそうだった。

    

 それがなんとつい最近、近隣から「スダチ」がどっさり届いたのだった。色や形はカボスにそっくりだったがゴルフボールくらいの大きさだった。スダチといえば徳島では9割の生産量を誇る。しかし、近隣ではその活用ができていないという。確かに、ミカンのようにはいかないが、わが家ではさっそく野菜ジュースに活用する。それで一日に2~3個は消費できる。 

           

 さらに、さらに、近くの茶農家から自前のお米10kgが届いたのだ。これも和宮様のご威光のせいであろうかと思われる。「農家自慢のお米」というわけで誇り高い農家の意気込みが伝わってくる。都会ではどんどん失われている「謙譲」とか「敬虔さ」とかいったものが、その農家の所作に込められている。

 

 しかも、しかも、釣り名人が近くの川から釣ってきた「鮎」も届けてくれた。骨を取ってくれて丁寧に天ぷら用に開いてくれている。それを和宮様は二度揚げして下賜してくれたので、バリバリモグモグいただいたのだった。お言葉に甘えて意地汚くもついつい何度もおかわりしてしまった。

  

 そのうえさらにまた、「里芋」や「ショウガ」も届いたのだ。里芋は段ボールいっぱいもあったので冒険遊び場で活躍しているメンバーにもお裾分けして食べてもらった。焚き火の直火によってダッチオーブンで蒸かしただけに、ホクホクした味が好評となった。また、金時ショウガも一抱えもいただいてきたので和宮様はショウガパウダーにしようと準備を開始したところだ。

 こうして、和宮様の御威光がじわじわと近隣に伝わってきたことを実感するばかりのこの頃だ。

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5000年後の天体ショーだった

2022-11-09 22:11:22 | できごと・事件

 昨日は久しぶりの皆既月食だった。しかも、太陽→地球→月→惑星がそろうのは442年ぶりだという。さらに、その惑星が天王星となると、なんと5000年ぶりの皆既月食だという。こりゃー、見ておこうとデジカメ片手で夜空を見上げる。19時少し前にはすでに部分月食が始まっていた。

           

 19時過ぎになると、赤銅色が濃くなりまもなく完全な月食となっていく。手が震えてピントがあわないのが難点だ。それにしてもこの赤銅色の不気味さは迫力がある。中世では忌(イ)むべき対象としてその光に当たらないよう隠れたらしい。

          

 西行は、「忌むと言ひて 影に当たらぬ 今宵しも 破(ワ)れて月見る 名や立ちぬらん」と『山家集』でつぶやいている。<世間のひとは月食を不吉なこととして光に当たらぬようにしているが、私はむしろ余計に見たいと思わずにはおれない。それで、奇人変人の評判がたってしまうかもしれないが。>と好奇心を露わにしている。

     

 19時12分ごろ、なんとか、月食をカメラに収めることができた。残念ながら、天王星は望遠鏡ではないので確認できず。月をどう見るかは、西洋と日本は大きく違うようだ。西洋の満月といえば、「狼男」に変身するのが有名なように満月はマイナーなイメージがある。

             

 それに対し日本では、満月は縄文時代以降から豊穣と畏敬の対象だった。銀閣寺は4時間以上をかけて茶事や歌会を開催する。桂離宮は月を見るための建物・装置として建造した。自然と人間との喜怒哀楽をこめながらもその無常観をも「観照」するものだった。

            

 21時半ごろからは赤銅色がなくなり、いつもの三日月となった。月面飛行・月面着陸は人類の夢というが、科学調査だけにしてもらいたい。人類のあさましいいがみ合いは月面でも戦われることは必至だ。だから、マスコミは無批判に宇宙飛行士を讃えるのがとても疑問だ。

 中世の貴族が月を愛でたように自然豊かな庭や森から眺めるのがふさわしい。現代人はその意味では退化してきているのではないか。そうしたことを考えると、日本の自然に対する畏敬というもの、アニミズムというものの再評価をもっと世界に発信すべきではないかと思えてならない。

 

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