菜の花から青虫君が大量に出てきた。
モンシロチョウのあでやかな乱舞は素敵だが、野菜にとってはつらいものだ。
大関松三郎の「虫けらよ」という詩が思い出された。
「だが虫けらよ/やっぱりおれは土をたがやかさんばならんでや/おまえをけちらかしていかんばならんでや/なあ 虫けらや 虫けらや」
小作農出身だった松三郎は出征中魚雷を受け戦死。
戦後出された『山芋』という詩集は指導教師だった寒川道夫が改竄したのではないかという意見もあるが、詩としての衝撃は変わらない。
無着成恭の『山びこ学校』と並んで感動したものである。
モンシロチョウのあでやかな乱舞は素敵だが、野菜にとってはつらいものだ。
大関松三郎の「虫けらよ」という詩が思い出された。
「だが虫けらよ/やっぱりおれは土をたがやかさんばならんでや/おまえをけちらかしていかんばならんでや/なあ 虫けらや 虫けらや」
小作農出身だった松三郎は出征中魚雷を受け戦死。
戦後出された『山芋』という詩集は指導教師だった寒川道夫が改竄したのではないかという意見もあるが、詩としての衝撃は変わらない。
無着成恭の『山びこ学校』と並んで感動したものである。
昨年虫に食われ大失敗したコマツナをプランターで育て、しっかり寒冷紗で覆ってここまできたのだ。成長してもいいように竹ひごを作ってトンネル支柱もどきとした。今のところ虫害はないが、これからが正念場というところだ。
トマトの雨よけテントを二日がかりで設置。作業は簡単なのだが一人でやるのはかなりしんどい。ナタを研ぐ、基礎の丸太をノコギリで作る、丸太をナタで削る、丸太や柱の基礎部分をスコップで掘る、丸太をハンマーで打ち込む、テントの骨を組み立てる、柱の高さを同じにするのにてこずる、骨の左右のバランスにてこずる、シートをかぶせるが風でてこずる、少しずつ止めながらシートを固定する、骨とシートを微調整する、骨と丸太をヒモで固定する、
これで完成。ふーー。
でも、これをつくったので大雨はしのげたのだった。
今年になって初めてムカデが出た。台所近くの洗濯籠の中にいた。20cm近くもある見事なムカデくんだ。すぐに水のなかに入れ、最後は熱湯で天国へ行ってもらった。久しぶりだが、これからは彼らの暗躍する季節に入ったということだ。
これで完成。ふーー。
でも、これをつくったので大雨はしのげたのだった。
今年になって初めてムカデが出た。台所近くの洗濯籠の中にいた。20cm近くもある見事なムカデくんだ。すぐに水のなかに入れ、最後は熱湯で天国へ行ってもらった。久しぶりだが、これからは彼らの暗躍する季節に入ったということだ。
高さが43mもあるという春埜杉。カメラにはいりきれない。迫力を画像にするのはきわめてむずかしいのだ。二度目の出会いだが、今回もとても表現できない。
日本人はこうした木に触れて、「木の文化」を作り出してきた。木は人間が「自然」とつきあう身近な手がかりだった。そこから、「畏れ」を学び自然に対し謙虚さを身につけてきた。現代はそれを気軽に市場競争に投入することで「魂」をも削除してしまった。
高校生のときは「畏れ」なんぞ、年寄りの陳腐な懐古趣味くらいにしか思えなかったが、「あと」がなくなってきた自分としては今その償いを埋めようとしているのだ。
また、春埜杉に会いに行き、エネルギーをわけてもらうとしよう。
日本人はこうした木に触れて、「木の文化」を作り出してきた。木は人間が「自然」とつきあう身近な手がかりだった。そこから、「畏れ」を学び自然に対し謙虚さを身につけてきた。現代はそれを気軽に市場競争に投入することで「魂」をも削除してしまった。
高校生のときは「畏れ」なんぞ、年寄りの陳腐な懐古趣味くらいにしか思えなかったが、「あと」がなくなってきた自分としては今その償いを埋めようとしているのだ。
また、春埜杉に会いに行き、エネルギーをわけてもらうとしよう。
行基が植えたという杉が1300年経つという。春野町を代表する巨樹だ。
屋久島の縄文杉を彷彿とさせる迫力がある。圧倒的な生命力に「まいった」というしかない。観光客が少ないのが杉にはいいのだが、もったいない。バーチャルな行楽地にいくより、ここで春埜杉の勇姿に打たれるのがよいのになあ。
心洗われる場所である。もったいない。合掌。
屋久島の縄文杉を彷彿とさせる迫力がある。圧倒的な生命力に「まいった」というしかない。観光客が少ないのが杉にはいいのだが、もったいない。バーチャルな行楽地にいくより、ここで春埜杉の勇姿に打たれるのがよいのになあ。
心洗われる場所である。もったいない。合掌。
ニシキギの花はつい見落としてしまうほど地味だ。花は小さいし、色は緑色だから葉っぱと同化してしまう。茎のカミソリのような「翼」があるから、ニシキギだとなんとか同定できる。「翼」がないと「なんだっけ」といつも迷う。
しかし、秋になると見事な紅葉と真紅の実をつけて華麗である。
この変化が見所なのかもしれない。(春野山の村にて)
近所の師匠から、キュウリ・キャベツの苗をいただく。新茶の刈り込みに余念がない静岡である。強風が吹きすさび、刈り込み作業がやりにくそうである。
しかし、秋になると見事な紅葉と真紅の実をつけて華麗である。
この変化が見所なのかもしれない。(春野山の村にて)
近所の師匠から、キュウリ・キャベツの苗をいただく。新茶の刈り込みに余念がない静岡である。強風が吹きすさび、刈り込み作業がやりにくそうである。
山菜の季節がほぼ終わり、シオデの花が道草山のあちこちに咲いています。採りすぎると絶滅しちゃうからね。近所の人はほとんど食べたことがないそうです。その意味では、狭いながらも道草山の豊穣に感謝するところです。
先日、山猿4匹・カモシカ1匹・リス1匹にあいました。白昼でした。
ツマグロヒョウモンに今年初めて庭で会いました。
生き物も活動全開です。茶畑も新茶の刈上げでエンジン全開です。
先日、山猿4匹・カモシカ1匹・リス1匹にあいました。白昼でした。
ツマグロヒョウモンに今年初めて庭で会いました。
生き物も活動全開です。茶畑も新茶の刈上げでエンジン全開です。
いつのまにかソラマメの鞘ができていた。霜の寒さを耐え、よくここまで生きながらえたと感心する。
しかし、これからがいつも失敗するのだ。虫たちも食べごろをわきまえているから、油断大敵なのだ。木酢液しかかけていないから、害虫がやってきてもいたしかたないが。
ソラマメは、空に向かって直立しているから「空豆」というが、蚕のかたちに似ているから「蚕豆」と書いてソラマメとも読む。収穫に期待が大き過ぎてしまうが、食べると一瞬である。
しかし、これからがいつも失敗するのだ。虫たちも食べごろをわきまえているから、油断大敵なのだ。木酢液しかかけていないから、害虫がやってきてもいたしかたないが。
ソラマメは、空に向かって直立しているから「空豆」というが、蚕のかたちに似ているから「蚕豆」と書いてソラマメとも読む。収穫に期待が大き過ぎてしまうが、食べると一瞬である。
新緑はますます深まるばかりだ。昨年虫にごっそり食べられ大失敗だったホウレンソウの芽が伸びてきたので、防虫の寒冷紗で保護。収入がないので竹を削って骨を曲げて柵を製作した。
以前、凧の骨づくりで竹を削った経験が生かされた。これでしばらくは成長を見守りたい。有機農法だから味は甘いはずである。
学生時代の同級生が心筋梗塞で今朝亡くなった。ついに、同期から死者が出てしまった。某自治体の市長の片腕と言われて辣腕をふるった切れ者だった。しかし市長の変節に抗議して辞職した、筋をとおす男だった。ワンマンだが、眼がきれいな男だった。
生きている間に悔いのない生き様を貫徹しなくちゃね。忌野清志郎の誇り高い疾駆にも改めて見直しているこのごろだ。へらへらしながらも媚びずに筋をとおす人間になりたいものだ。
以前、凧の骨づくりで竹を削った経験が生かされた。これでしばらくは成長を見守りたい。有機農法だから味は甘いはずである。
学生時代の同級生が心筋梗塞で今朝亡くなった。ついに、同期から死者が出てしまった。某自治体の市長の片腕と言われて辣腕をふるった切れ者だった。しかし市長の変節に抗議して辞職した、筋をとおす男だった。ワンマンだが、眼がきれいな男だった。
生きている間に悔いのない生き様を貫徹しなくちゃね。忌野清志郎の誇り高い疾駆にも改めて見直しているこのごろだ。へらへらしながらも媚びずに筋をとおす人間になりたいものだ。