山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

志ん生・三木助・談志の「芝浜」

2023-07-07 22:04:41 | アート・文化

 古典落語の「芝浜」の名前はよく耳にするが、ちゃんと聴いたことがない気がした。そこで、「芝浜」を十八番にしていた志ん生・三木助・談志の落語をCDで聴いてみることにした。それぞれの演者の表現の違いはあるとしても、底流に流れる江戸人情話は共通に胸を打つものがあった。

   飲んだくれで怠け者の魚屋の夫が拾った財布は夢だったと、しっかり者の女房の「ウソ」をきっかけに夫が更生していく。そして三年後の大晦日、それが嘘であることを夫に告白していく女房の演じ方がそれぞれ圧巻だった。

   

 「芝浜」を今日の名作にしたのは、三代目桂三木助だった。拾った財布の中身は高額の82両だった。主人公の魚屋は「勝五郎」。三木助は明治35年(1902年)生まれ、昭和36年(1961年)病没。博打に明け暮れていた三木助は勝五郎に学んだのだろうか、落語に専念し、昭和25年(1950年)に三木助を襲名してから、昭和29年(1954年)「芝浜」で文化庁芸術祭奨励賞を受賞して脚光を浴びた。

 芝浜の自然描写のリアルは見事であったとともに飄逸で芸術的センスは一流。現在の「芝浜」のルーツは三木助にありと言ってもいいほどの定型美でもある。

            

 志ん生(五代目)が病後再起第一声の貴重な音源だった(昭和37年11月)。志ん生が敗戦後の大連から逃れて帰国したのが昭和22年1月、それから独演会をしばしば行う。江戸っ子言葉の勢いと飄々とした語り口に下町風情がじわーっと沁みてくる。

 魚屋の「熊さん」が主人公。拾った財布には50両。熊さんは、店を持たず「棒手振り(ホテフリ)」と言って、天秤棒を担いで前後に魚を入れる「磐台(バンダイ)」を揺らしながら小売に出かける。こうした当時の道具の知識が必要とされるのも古典落語の魅力であり歴史的レガシーでもある。

           

 談志が30歳のとき演じた、昭和41年(1966年)12月収録のCDだった。拾った財布には42両。始めは語りのテンポが速くてジイジにはついていけなかったが、何回か聞いているうちに談志の凄さが伝わってきた。とりわけ、女房の告白は迫真の空気感が心を打ってくる。この場面は他の演者の中ではかなう人はいないといってもいい。30歳にしてこれだけの迫力を出せるのはさすが立川流の総帥だ。

 告白した女房は三年目の大晦日だったのが三者の共通したものだ。ここからか、「第九」のように晦日に上演される落語は「芝浜」ともなった。話の最後のオチはさすがに見逃せない。おあとがよろしいようで…。

       

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ケバケバ・イボイボ・凸凹のキュウリ

2023-07-05 22:15:27 | 農作業・野菜

 キュウリの収穫が始まった。種はネットで入手、品種は「四葉キュウリ」だった。今までのキュウリ栽培と言えば、節ごとに実を人為的に育成させる支柱立ての「節成りキュウリ」が中心だった。ときには、在来種のずんぐりとした伝統野菜のキュウリの種を入手して栽培したこともあった。和宮様のご所望は「地這えキュウリ」だったので、このところそれが基本になっていた。(上の画像では左側)

  今回のキュウリは、「四葉(su-yo-)キュウリ」といって、中国華北系のキュウリだった。(画像では中央と右側)   見てのとおり、キュウリの表面はゴーヤのようないぼいぼが目立った。

       

 つい「四つ葉キュウリ」と呼んでしまうが、原産国の中国読みで「su-yo-キュウリ」と呼ぶのが正式名だ。本葉4枚ついたころ実ができるというのが名前の由来だが、「四つ葉きゅうり」でもいいじゃないかと、違和感を感じる。このイボイボで表面が傷つきやすいので市中に出回ることは少ないが、漬物にするとシャキシャキ感と旨味が出て、漬物屋にはこれにこだわる店もあるという。さっそく、糠づけでいただく。たしかに、イボが気にならないくらいシャキシャキの食感がある。

            

 同じ場所に一部、地這きゅうりも昨年残った種で栽培もしているが、葉はウドンコ病に毎年やられているのが悩みだ。その葉を撤去する量もかなりの量になる。それに比べ、スーヨーきゅうりの葉はなんともない。病気に強いということがわかる。天候不順にもあまり影響されないのも心強い。今年はスーヨーきゅうり中心につきあうことになる。   

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「玄冬小説」の背景は賢治の世界

2023-07-03 19:39:30 | 読書

 久しぶりに小説を読む。第158回芥川賞受賞作の若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社、2017.11)だった。55歳の主婦・若竹さんが小説講座に通い、63歳で「第54回文芸賞」を史上最年長で受賞した作品でもあった。さらに、2020年には、沖田修一監督、田中裕子主演の映画公開ともなった。

             

 老いを迎えた主人公桃子さんの楚々とした住まいで、「捨てた故郷、疎遠な息子と娘、そして亡き夫への愛、震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いた、圧倒的自由と賑やかな孤独」と対峙する。脳内に様々な姿の人と自分が交差・攪乱されるが、「おらおらでひとりいぐも」の東北弁となる。

   

 この表題にはどこかで見たことがある。それは高校の教科書に載っていた、のではないかと思い出す。宮沢賢治の「永訣(エイケツ)の朝」という詩だった。妹が死にゆく直前、「あめゆじゆとてちてけんじゃ」(雨雪・ミゾレを取ってきてください)と賢治に頼んだ言葉の一節を脳委縮気味のオイラはなんと未だに覚えていた。

 さらに、妹の言葉として「Ora Orade Shitori egumo」(私は私一人で行きます)とこの言葉だけローマ字を使用していた。賢治は妹が亡くなった翌日にこの詩を書いている。賢治の慟哭が波のように襲ってくる詩だ。

          

 著者の若竹さんは、この同じ言葉を「老い」を生きるための新たな決意を込めた内容にしている。「年をとったらこうなるべき、という暗黙の了解が人を老いぼれさせるのであって、そんな外からの締め付けを気にしてどうする、そんなのを意に介さなければ、案外、おら行くとごろまで行けるがもしれね、と考えたのだ」。

          

 桃子さんの「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」の心境を、「嘆き、怒りの次に現れたのは何とも言えない愉悦」であり、「死は恐れではなくて解放なんだ」と覚醒し、「おらはおらの人生を引き受げる」という心境に至る。状況・立場の違いはあるが、著者の前向きな姿勢が「ひとりいぐも」に込められている。

           

 本書の帯には、「青春小説の対極、玄冬小説の誕生!」と書かれたあった。「玄冬小説」という言葉を初めて知る。それは、「歳をとるのも悪くない、と思える小説のこと」だそうだ。なるほど、現実はそうとう厳しい結末はあるにはあるが、「まだ戦える。いつでもこれから」の著者のメッセージに学びたいものだ。東北弁満載の小説で解読に少々手こずったが、クリエイティブに切り取った表現力にはなんどもうなされた。

 

 

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