25年前の午前5時46分。震源地からかなり離れた四国松山のマンション4階の部屋が横に大きく揺れ、目が覚めた。いまだにその日の記憶は鮮やかに脳裏に焼き付いている。
大地震発生後、時間が経つごとに震災の凄さや現状が明らかになってきた。テレビ画面から伝わってきた映像がいまだに次々と記憶から出てくる。
阪神淡路大震災発生から25年が過ぎた。
http://www.kobe117shinsai.jp/(阪神淡路大震災1.17の記録)👈詳細
大相撲幕内の照強関はその日の夜、震源地に近い淡路島で生まれた。17日が誕生日、この日25歳になったばかりの照強を生中継映像を見ていると、鎮魂の意味を込めてだろうかこの日も土俵に大量の塩を撒いていた。
四半世紀経って、阪神淡路大震災で被災した地域は見事に復興した。
大地震が発生するたびに言われるのは地震に備える私たちの心構えだ。近い将来、発生が懸念される南海・東南海地震でいかに被害を少なくするかが課題だ。。。
また、瀬戸内海の島しょ部に住む3人が四国電力伊方原発の運転差し止めを求めている仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁は伊方原発3号機の運転差し止めを命じた。
この司法判断で、住民の支援者からは「日本が地震国であると裁判所が改めて警告してくれた」との声もあった。抗告審では原発近くの活断層に関する四電の調査が不十分だと認定された。
とにかく、地震は一番怖い災害だ。この国で生活している以上は、大地震を知らない人たちに日頃から語り継いで大地震が発生した時役立つよう十分な備えを怠ってはならないと感じた。
あれから四半世紀、亡くなった6434人の御霊に、心から哀悼の意を表したい。