本日。
今日は「不耕起」ということについてつらつら書いてみようと思います。
去年、東京でおもしろい実験が行われました。
自然農と自然菜園の比較栽培でした。
自然農区では、油かすと米ぬかを主体に、
自然菜園区では、完熟豚プン堆肥と米ぬかを主体に、
同じ野菜を育てました。
その結果、自然菜園区は、秋までは自然菜園区がとてもよく育ち、秋から育ちがいまいちになりました。
ちなみに、自然農区は、春から夏はいまいちで、秋から元気に育つものも出始めた感じでした。
完熟堆肥などを使用したのは、大テコ入れといって、野菜が育つ菜園になるきっかけとして畑の生き物が増えるように、堆肥に含まれる微生物や養分がきっかけになればと、その畑の不足分を畝立ての際に投入しました。
本来なら、秋からもどんどん野菜が育つ菜園になってほしかったのですが、生育が落ちてしまったのです。
みなさんは、なぜだと思いますか?どうすればよかったと思いますか?
その理由に、不耕起がうまくいくかどうかのヒントが隠れています。
**************************************
「自然農」とは、奈良の川口由一さんがはじめた「耕さず、草も虫も敵とせず、持ち出さず持ち込まず」という3原則の無農薬栽培で、生命の営みを全うする生き方です。
私も長らく、今もですが自然農を行い、教え、学んでおります。
ただ、教え子が農家ではなく、全くはじめて自然農を取り組みはじめる方が多く、わたしも親はサラリーマンでしたのでよくわかるのですが農というものが体験がなく、なかなか自然農が難しいということになり、
農地もなく、経験もない中で、自然農を徹底して行う傍ら自然農を崩し、農業の基本から自然農にむけて出発できる自然菜園を再編集してきたようにも思います。
そのため、拙著『これならできる!自然菜園』(農文協)は、全くはじめて自然農を志す方がいずれはそれぞれに自然に育てられるようになるきっかけになってくれれば、その入門書として活用していただければ幸いです。
そのためか、自然農に挫折した方や肥料農薬に依存したくない方からも好評です。
自然農を学び実践されている上手な方の共通は、
1)自然の理を知り、自然に沿った栽培方法が上手
2)菜園の土も、長年育ててきて、耕す必要がなくなっている
3)種も自家採種で鍛え、その地域風土に合って育てやすくなっている
もちろんそれだけではないのですが、以上の3つが揃ってはじめて自然農が軌道に乗っている方が多いように思います。
福岡正信さんが提唱した「自然農法」で紹介された「不耕起」。
実際に、「不耕起」で栽培されているのは、自然農の実践者のように思います。
話を元に戻せば、東京での自然菜園との比較でわかったのですが、耕さないこと≠不耕起です。
つまり、耕さなければ不耕起かというと(文字ではその通りですが)、実際は不耕起栽培ではありません。
不耕起栽培というと、耕さないイメージが強すぎますが、
「不耕起」で野菜が自然に育っている場所は、土がとても柔らかくシットリしており、土の団粒化が発達し、ミミズなど多くの土の生き物が住んでいます。
逆に、不耕起で野菜が育っていない場所は、土が硬く、乾燥すれば割れ、雨が降れば水たまりができ、土が単純で、生き物が少なく、多年草の強雑草と呼ばれる荒れ地の草ぐらいしか生えておりません。もしくは、草が大きくなりすぎて野菜が育っていない無管理の場所です。
さて、自然菜園では、「不耕起」=「自然耕」です。
耕さなくても育つ土は、土の団粒化が発達し、どんどん野菜が育つ土になっていく仕組みが構築されています。
ミミズを代表に、土の中には無数の目に見える生き物、目では見えない生き物がおり、生活を営んでいます。
それらの生き物が生きることで、土が耕されて、団粒化し、腐植が多くなり、野菜が自然に育ちます。
その土の生き物の活動を支えてあげれば、耕す必要がないくらい、細やかに自然に耕される「自然耕」によって不耕起栽培ができるようになります。
「自然耕」で耕す必要がないから、「不耕起」、つまり「自然耕」→「不耕起」です。
自然界には、里山の雑木林のように、耕さなくてもその場にあった植生で、耕されることなく大木や下草が旺盛に生えている場所があります。
土は、耕されずもフカフカで、落ち葉の下方法は、腐植がすすみ、植物の根でぎっしりです。
とはいえ、森や林に野菜は生えていません。播いても育ちません。
野菜にとっての自然は、山にはないからです。
菜園という特殊な場所で、野生の植物から品種改良されてきた「野菜」は、ただ耕さない「不耕起」ではなかなか思うように育ってはくれません。
自然に耕され、耕す必要がない「不耕起」に自然に野菜は育つのです。
今日は「不耕起」ということについてつらつら書いてみようと思います。
去年、東京でおもしろい実験が行われました。
自然農と自然菜園の比較栽培でした。
自然農区では、油かすと米ぬかを主体に、
自然菜園区では、完熟豚プン堆肥と米ぬかを主体に、
同じ野菜を育てました。
その結果、自然菜園区は、秋までは自然菜園区がとてもよく育ち、秋から育ちがいまいちになりました。
ちなみに、自然農区は、春から夏はいまいちで、秋から元気に育つものも出始めた感じでした。
完熟堆肥などを使用したのは、大テコ入れといって、野菜が育つ菜園になるきっかけとして畑の生き物が増えるように、堆肥に含まれる微生物や養分がきっかけになればと、その畑の不足分を畝立ての際に投入しました。
本来なら、秋からもどんどん野菜が育つ菜園になってほしかったのですが、生育が落ちてしまったのです。
みなさんは、なぜだと思いますか?どうすればよかったと思いますか?
その理由に、不耕起がうまくいくかどうかのヒントが隠れています。
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「自然農」とは、奈良の川口由一さんがはじめた「耕さず、草も虫も敵とせず、持ち出さず持ち込まず」という3原則の無農薬栽培で、生命の営みを全うする生き方です。
私も長らく、今もですが自然農を行い、教え、学んでおります。
ただ、教え子が農家ではなく、全くはじめて自然農を取り組みはじめる方が多く、わたしも親はサラリーマンでしたのでよくわかるのですが農というものが体験がなく、なかなか自然農が難しいということになり、
農地もなく、経験もない中で、自然農を徹底して行う傍ら自然農を崩し、農業の基本から自然農にむけて出発できる自然菜園を再編集してきたようにも思います。
そのため、拙著『これならできる!自然菜園』(農文協)は、全くはじめて自然農を志す方がいずれはそれぞれに自然に育てられるようになるきっかけになってくれれば、その入門書として活用していただければ幸いです。
そのためか、自然農に挫折した方や肥料農薬に依存したくない方からも好評です。
自然農を学び実践されている上手な方の共通は、
1)自然の理を知り、自然に沿った栽培方法が上手
2)菜園の土も、長年育ててきて、耕す必要がなくなっている
3)種も自家採種で鍛え、その地域風土に合って育てやすくなっている
もちろんそれだけではないのですが、以上の3つが揃ってはじめて自然農が軌道に乗っている方が多いように思います。
福岡正信さんが提唱した「自然農法」で紹介された「不耕起」。
実際に、「不耕起」で栽培されているのは、自然農の実践者のように思います。
話を元に戻せば、東京での自然菜園との比較でわかったのですが、耕さないこと≠不耕起です。
つまり、耕さなければ不耕起かというと(文字ではその通りですが)、実際は不耕起栽培ではありません。
不耕起栽培というと、耕さないイメージが強すぎますが、
「不耕起」で野菜が自然に育っている場所は、土がとても柔らかくシットリしており、土の団粒化が発達し、ミミズなど多くの土の生き物が住んでいます。
逆に、不耕起で野菜が育っていない場所は、土が硬く、乾燥すれば割れ、雨が降れば水たまりができ、土が単純で、生き物が少なく、多年草の強雑草と呼ばれる荒れ地の草ぐらいしか生えておりません。もしくは、草が大きくなりすぎて野菜が育っていない無管理の場所です。
さて、自然菜園では、「不耕起」=「自然耕」です。
耕さなくても育つ土は、土の団粒化が発達し、どんどん野菜が育つ土になっていく仕組みが構築されています。
ミミズを代表に、土の中には無数の目に見える生き物、目では見えない生き物がおり、生活を営んでいます。
それらの生き物が生きることで、土が耕されて、団粒化し、腐植が多くなり、野菜が自然に育ちます。
その土の生き物の活動を支えてあげれば、耕す必要がないくらい、細やかに自然に耕される「自然耕」によって不耕起栽培ができるようになります。
「自然耕」で耕す必要がないから、「不耕起」、つまり「自然耕」→「不耕起」です。
自然界には、里山の雑木林のように、耕さなくてもその場にあった植生で、耕されることなく大木や下草が旺盛に生えている場所があります。
土は、耕されずもフカフカで、落ち葉の下方法は、腐植がすすみ、植物の根でぎっしりです。
とはいえ、森や林に野菜は生えていません。播いても育ちません。
野菜にとっての自然は、山にはないからです。
菜園という特殊な場所で、野生の植物から品種改良されてきた「野菜」は、ただ耕さない「不耕起」ではなかなか思うように育ってはくれません。
自然に耕され、耕す必要がない「不耕起」に自然に野菜は育つのです。
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