2023年1月23日(月)
釧路中心部から釧路川にかかる幣舞橋を渡った南大通りには、石川啄木が76日間暮らしただけであるがたくさんの碑があり「啄木通り」と呼ばれる。
市街地から幣舞橋を釧路川の南側から撮影。川に氷が張っている。
北海道三大名橋のひとつ幣舞橋。日本初の像がある橋。橋の像は、春夏秋冬の像が1体づつあり、4体ある。
幣舞橋から河口に下っていくと漁船がたくさんある。かつては、20年以上連続して水揚げ量日本一だったが、200海里水域制限により水揚げ量が減少し、その地位を譲った。
河口付近の港文館(啄木が勤務した釧路新聞社社屋の一部を復元した施設)前にある石川啄木像。啄木は、前勤務地の小樽へ妻子を残したまま釧路で就職。釧路で親密になった芸者が3人と言われる。盛岡で生まれ、東京、函館、小樽など各地に移り住み、転職を繰り返し、借金、女性関係と破天荒な人で26歳で不養生がたたり病没。
港文館内部に啄木関係の資料が展示されている。「小奴といひし女の やはらかき 耳朶なども忘れがたかり」の句。
啄木は南大通から1筋入ったところに下宿した。勤務先や、よく通った料亭など生活圏である南大通周辺には啄木の25の歌碑がある。
「三味線の絃のきれしを 火事のごと騒ぐ子ありき 大雪の夜に」の歌碑。
南大通の端にある米町公園。
米町公園の「しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな」歌碑。高台にあり釧路市街地と雌阿寒岳(写真左の雪山)と雄阿寒岳(工場の煙の右)が見える。
景色を眺めていたらキタキツネがひょこりと現れた。
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