自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

13歳の覚者~クリシュナ・ムルティ

2014年01月12日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

13歳の覚者~クリシュナ・ムルティ  2014年1月12日

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今日から数回にわたり、印度の哲学者・宗教家である

ムルティ師が13歳の時に書いた、小誌をご紹介したい。


これを読んで感じることはn魂の覚醒度は年齢に

比例しないこと。

その理由は魂は何度も輪廻(生まれ変わり)を重ねて

そのたびごとに目的(悟り)に向けて確実に向かって

いること~をムルティ師の言葉を通して実感する

ばかりだ。


悟りとは 輪廻の枠組み から外れて、自分自身の本性に

回帰したときをいう。


その時は病や健康、生や死、悲哀や歓喜という感情さえ

ない、静かな安堵に満ちた安寧と至福の境地に魂は

ただようだろう。

しかし、悟りの境地を待つまでもない。


本来の健康とは 今、ここで、そうした本来の自己を

想いだすことから始まるゆえに、少年ムルティ師の

覚醒の一旦としてお読みいただきたいと思う。

 

昭和44年関西神智学研究所から発行され 

5年後に田中恵美子氏によって推敲が加えられた

小冊子が手元に送られてきた。


クリシュナ・ムルティ(*1)が1910年、13歳の時

記したものの翻訳版だ。

 

すでに13歳のクリシュナ師にはこの時点で

グル(師匠)が存在していた。


大師と呼ばれるこの方についてここでは詳細は省くが、

はしがきに、クリシュナ師は、グルから 

イニシエーションを受けたことを示唆している。

 

“大師がいらっしゃらなければ、

私は何もすることができませんでした”

としたうえで、

“何か食べ物をみて、それはおいしい食べ物なのだと

いうことだけでは、飢えている人を満足させることは

できないでしょう。


その人は手を伸ばして食べなければなりません。

 同じように、大師の言葉を聞くだけでは、十分ではない。

実行をともなって、意味があるのです。“

 

そのために、クリシュナ少年は、小冊子の中に、

4つのテーマをつけて綴っている。

 

識別について

/無欲について

/善行について

/愛についてだ。

 

各章を、抜粋しながら皆様にご紹介させていただきたい。

 

1.“識別について” ~肉体、アストラル体、メンタル体

識別の定義をここで ムルティはしている。

それは、“真実と不誠実を知る能力”であり、

“人を道へと導く”ものであり、究極的には“永遠の実在と

一過性の現象”を見極め、悟りを得るための智慧

ということができるだろう。

 

ムルティは

“あなたが 一度真実で永遠に続くものを知ったのなら、

もう 他のものでは満足しなくなるでしょう

と記している。

 

“全世界にはわずか2種類の人々しかいません。

ほんとうの智慧を知っている人々と、知らない人々です。

この識別の智慧が必要なのです。

或る人がどの宗教を信じ、そのような人種に属しているか

ということは大切ではありません。


本当に大切なことは、神の人間に対する計画の理解です。

その計画とは、進化 ということです。“

 と言葉が続く。


この場合の’進化’とは、経済の進化でも

社会の進化でも、科学の進化でも、ないだろう。


神(自らの中にいる真我)の計画を知り、

“その実現のために”生きることを指している。

それは、“本当の自分を知る”ことから始まると言う。


“身体、体と‘本当の自分’は別物で 本当の自分の意思が

いつも体に属す自分の心が望むものであるとは限りません。


あなた自身が、ほんとうにしたいもの、したいこと、

それを考えてみてください。

本当のあなたは神なのですから、神の御望みになること

だけあなたの真に望むものなのです。“


と 識別~すべきものに、肉体(五官機能による)的 

自分と本当の、神的資質の自分の望むものの

違いを認識すること~の必要性を述べている。

 

さらに以下のように言う。

あなたの体、肉体とアストラル体(欲望や感情の支配する心)、

メンタル体(知性の支配する心)をあなた自身と

取り違えないでください。

 

それぞれの体(心)は、自分の欲しがっているものを

得るために‘本当の自分’のふりをしています。


けれども、本当のあなたは、これらの三つの体(心)

のすべてを知り、あなた自身がその主人であることを

知るべきです。

 

やるべき仕事があるとき、肉体は休んだり、出歩いたり、

飲み食いしたいと思います。

そのとき、本当の自分を知らない人は

‘さあ、休まなければ。さあ、食べなければ’

と自分に言うのです。


けれども、知っている人は、

‘休みたい’などと思っているのは‘本当の自分’ではない。

ここは食べることも後回しにして、今する仕事を

終わらせよう‘ と切り替えることができるのです。

 

誰かをたすける機会があるのにもかかわらず、

よく肉体は次のように感じます。


‘なんと厄介なことだ。 誰かがしてくれるだろう。’

けれども、‘本当の自分’はこういいます。


‘良い仕事をしようと思っているのだ。

お前(自分の欲望体)に邪魔されないぞ‘ “

 

こうしてムルティの語る言葉は、ヴェーダの中にある

たとえ話に移行していく。

それは 肉体は

本当の自分が乗る馬”(1/2日 ブログ参照)としたうえで、


“肉体をうまく扱い、世話をし、使いすぎることのないよう、

食べ物も清浄なものを与え、清潔にしておく“ 

ことは、人(主人)が、馬の世話をするのと変わらないと

例える。

 

肉体の欲求に負けて、暴飲暴食、暴走しないよう、

怠けることのないよう 飼い主が馬に対して注意を

するように、肉体に関しても、配慮する責任を’本当の自分’

は持っているという。

 

この続きは次回に・・・・

 

参考) 

”扉をたたくもの” クリシュナムルティ著 田中恵美子訳 

S・44 関西神智学研究所発行

 

 

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