13歳のクリシュナ・ムルティが善行を語る 2014年1月20日
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数回にわたり 印度の哲学者・宗教家であるムルティ師が
13歳に書いた、小誌の翻訳からご紹介している。
筆者が感じることは魂の覚醒度は年齢に比例しないこと。
その理由は魂は何度も輪廻(生まれ変わり)を重ねて
そのたびごとに目的(悟り)に向けて確実に向かっていること
~をムルティ師の言葉を通して実感するばかりだ。
悟りとは 輪廻の枠組み から外れて、自分自身の本性に
回帰したときをいう。
その時は病や健康、生や死、悲哀や歓喜という感情さえ
ない、静かな安堵に満ちた安寧と至福の境地に魂は
ただようだろう。
しかし、悟りの境地を待つまでもない。
本来の健康とは 今、ここで、そうした本来の自己を想いだすこと
から始まるゆえに、少年ムルティ師の覚醒の一旦を
ご紹介したいと思う。
善行は範囲が広い。
ムルティは大師の仕訳として次のように善行を位置づけている。
1. 心(マインド)の自己統制
2. 行為の自己統制
3. 寛容
4. 快活さ
5. 専念
6. 信仰(信念)
それぞれの分野の補足説明が続く:
1・心(マインド)の自己統制について)
先回述べた無欲を達成するために、アストラル体を
制御することが必要だった。
その次にメンタル体の統制も同様に大切だという。
“怒ったり、イライラしないように、気分を支配し、
考えがいつも平静沈着で神経を興奮させないようにする“
ためには マインドの統制の必要性を ムルティは説く。
道を求めようとする人は とかく“敏感になる”ので、
感覚の刺激や音に対し、簡単に乱されがちになると
ムルティは述べた上で、外からの刺激や圧迫の反応を
できる限り冷静に対処するよう言う。
平静な心を保つことで 勇気が得れるとも言う。
“平成な心を持てば、恐れずに道の試練や困難に
立ち向かうことができます。
平静な心は着実さを生む。
人生の様々な苦しみを和らげて、多くの人々が
くよくよ考えて無駄に時を過ごしていることに
煩わされなくなります。“
人が人生で悲しみや苦しみに直面したとき
平静心を保つために次のように教える。
“悲しみや心配事は、以前に行った結果です。
悪いことはすべて、一時的なものであるということ、
苦しい事があっても、快活に振る舞いなさい。
それらは過去の生涯のもので、
今のこれからの生涯に
属するものではないと知るべきです。
あなたは、それを変えることはできませんから、
くよくよしても始まりません。
それよりも今、あなたが従事していることを考えなさい。
みじめな気持になったり、しょげたりせずに、意気消沈
する必要もなく、そんな気持ちでいれば、まわりの人に
悪い影響を及ぼして、その人たちの生活を
つらいものにすることを知りなさい。
あなたは他人にそのようなことを
及ぼす権利はありません。
だから、そんな感情が起きたら、すぐにそれを
棄ててしまうよう努力しなさい。“
そして最後に マインドの陥りやすい誘惑、
自分への自負心(プライド)に対して、ムルティは釘をさす。
“あなたの心を高慢にしないように。
高慢は無智の生み出したものです。
知らない人(真理や識別、統制)ほど、自分は偉いとか
様々な大きなことを成し得てきたとか考えます。
しかし、賢者は 神だけが偉大であり、善い仕事はすべて
神によってなされたということを知っているのです。“
次に2番目の仕訳、行為の自己統制についてムルティは語る。
“人類に役立つためには正しい思いは
行動にならなければなりません。
自分の義務を行う、人の義務を為す必要は
ありません。
他の人の仕事をするのなら、その人の許可を
得て、あるいは助けを求められてするときに
限られます。
だから、一人ひとり、その仕事を自分流に
することにまかせておきなさい。
あなたが高度な仕事に取り掛かろうとするからには、
日常の仕事をおろそかにしてはなりません。
それが出来上がらないうちは 他の奉仕をする自由は
ないからです。
あなたは新たに世俗的な仕事を始めるべきでは
ありませんが 今携わっている仕事は完全に
果たさなければなりません。
その仕事を人よりも上手にするよう、心をこめて行う。
大師に対する御用としてその仕事をする心持でゆめゆめ
おろそかにしてはいけません。“
小さなことを疎んじれば、大きな仕事に穴が開くと
いうことだろう。
“このぐらいで適当にしておけば・・”という妥協があれば
その仕事の結果は 全力を尽くしたとは言えないだろう。
筆者が思うに、~ しなければならない と言われる前に
すでに自分自身の心の奥底で、きっと、精一杯しているか
手を抜いているのか、自分(アートマ)が一番、良く
知っているのだと思う。
良心はアートマの一部だから、良心がとがめるときは
妥協している自分に気が付いているのだと思う。
結果を求めずに、何ごとでも為すという姿勢は、
無欲の項でムルティが触れているところだが、
同様のことが、
行為の自己統制のところでも 言えるということなのだろう。
続く~
参考) ”扉をたたくもの” クリシュナムルティ著
田中恵美子訳 S・44 関西神智学研究所発行