13歳のムルティ、信仰と愛を説く 2014年1月22日
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数回にわたり 印度の哲学者・宗教家であるムルティ師が
13歳に書いた、小誌の翻訳からご紹介してきて
今日は”師について”語る。
筆者が感じることは魂の覚醒度は年齢に比例しないこと。
その理由は魂は何度も輪廻(生まれ変わり)を重ねて
そのたびごとに目的(悟り)に向けて確実に向かっていること
~をムルティ師の言葉を通して実感するばかりだ。
悟りとは 輪廻の枠組み から外れて、自分自身の本性に
回帰したときをいう。
その時は病や健康、生や死、悲哀や歓喜という感情さえ
ない、静かな安堵に満ちた安寧と至福の境地に魂は
ただようだろう。
しかし、悟りの境地を待つまでもない。
本来の健康とは 今、ここで、そうした本来の自己を想いだすこと
から始まるゆえに、少年ムルティ師の覚醒の一旦をご紹介している。
ムルティは 自分のグルに対して忠誠を誓っている。
印度ではグル(師)なしに、覚醒することは難しいと教えられる。
それは、神と自分の間に、先達役としてすでに神に限りなく近づいた師
を介してこそ、容易につながりが得れると信じられているからだ。
それは ヒマラヤ登山に似ている。現地の有能なポーターと山と天候の変化
を見分け、判断できる人と一緒に登れば、安全に頂上を目指すことができる
のと似ている。
”人が登れるのなら、自分も登れる”と用意周到な準備
ぬきに登頂できると考える人はいないだろう。
グルは、何が健康と幸福のために用意周到な準備であるか、危険な雪崩に
合わないようにどこを通ったらよいか、その人の身体的・精神的修練度に
応じて、適切な方法を見極めて助言してくれる存在である。
したがって、ムルティのこの小冊子には 神に対して信仰を持つという
言葉の代わりに、“大師に信頼を置く”という言葉がしばしばみられる。
以下引用する:
あなたは自分の師(大師)を信じなければいけない。
同時に自分自身を信じなければならない。
もしあなたに完全な信頼が無ければ、愛と力の完全な
流れを得ることができないのです。
自分を良く知っているとあなたは言います。
そういうことは、実は、あなたは自分自身を深く知って
いないのです。
あなたはよく泥沼に落ち込む、外側の弱い殻を知っているのに過ぎません。
けれども、本当のあなたは神ご自身の火花なのです。
全能の神はあなたの中にいます。
あなたがしようと決心したなら、何一つなしえないことはないのです。
自分自身にこう言いなさい。
‘人間が成し得たことは私もできる。でも私は神が内にいることを知っている。
だから、それ以上のことを為すことが可能だ。‘
さて次に愛の項目についてムルティは語る。
“すべての条件の中で愛が一番大切です。
愛とは、生と死の輪廻からの解放を望み、そのため神と一つになりたいという
強い願いにもあります。
それは愛の意味合いの一部分です。
愛とは願いというより、一つの意思であり、決心決意といえるでしょう。
この決心がほかのどんな感情に勝つほど、残る余韻がないほど、強くなければ
愛の結果は生まれないでしょう。
神を愛するとは神を本当に一つでありたいという意思なのです。
悩みや苦しみから逃れたいから愛するのではなくて、神とともに働き、
神さされるように働きたいから神と一つになろうとするのが愛です。
神は愛ですから、あなたは神と一つになろうとするなら、完全に利己的な
ことを離れて 完全な愛で満たされるべきです。
日常で使われる愛には二つの意味があります。
まず、どんな生き物をも害さないこと。
次に、いつも助けてあげる機会を待ち構えていることです。“
とムルティは愛を、神への愛という至高の愛の概念から説明し、次に
一般的な日常的な意味合いの愛について語り始める。
引用すると:
“害さないということについてですが、人の噂、残酷さ、迷信の三つが
この場合対象です。
なぜなら、この三つは愛に反する罪だからです。悪噂がどうなるか考えて
みましょう。
まず、悪意に始まります。一体、悪意自体が一つの罪なのです。
この悪意は 周りの人を善意ではなく、悪意で満たそうとしています。
それは悲しみを増します。もしその人の内にあなたが考えている悪が
あるとしたら、それを言葉でいうことにより、あなたはその悪を一層
強めてしまいます。
悪は実際存在しないのです。
あなたがあるように想像しているのに過ぎないのです。
あなたのその考え(想念)は、その人に悪いことを
するよう仕向けてしまいます。
その人がまだ完全でなければ、あなたの思った通りに
彼は仕上がっていくのです。
こうしてあなたが悪意を持っている以上
見る人がみれば あなた自身は美しく愛らしいものに
見えずに、醜い、苦しみにみちた者として映るでしょう。
決してどの人の悪口を言ってはなりません。
誰かが 悪口を言っているのをきいても、耳を傾けず
穏やかにこう言いなさい。
‘たぶんそれは本当ではないでしょう。それに喩え本当だとしても、
言わない方が親切だと思いますが・・‘“
残酷さについて話が移る、
〝故意なものとそうでないものの2種類あります。
故意の残酷さはわざと他の生き物に苦痛を与えると言うことで一番の
大きい罪です。
人の業ではなく悪魔の仕業です。今でも行われています。
多数の宗教的な人々は自分の宗教の名でそれをしました。
生体解剖者もしました。
習わしや習慣だといって、自分たちの残酷な行為を弁解
しがちですが、カルマを創ることには変わりありません。
行為のみならず、言葉による残酷もあります。
不注意で言った一言が意地悪な言葉と同様、或る人にとっては
心に害として残ることがあります。
知らずに行う残酷さに注意しなければなりません。
思いやりがないために‘知らずに行う残酷さ’につながります。
非常に貪欲な人は、十分給料を支払わず従業員を働かせ、
妻子を半ば飢えさせても その苦しみを省みることも
ありません。“
最後にムルティは愛に対する罪として 迷信の悪を
挙げる。
“迷信はもう一つの大きな悪です。
迷信の奴隷になっている人は懸命な人を軽蔑して
自分がしているように行うよう、強制します、。
動物は犠牲になるのが当たり前だという迷信、
人は肉食を必要とする迷信、
印度のカースト制度の一番低い階級の人たちに
もたらした仕打ち、
これらの迷信は 多くの罪を作ってきました。
この三つの大きな罪、
人の噂、残酷さ、迷信 を避けてください。
愛に反する悪であり、対極の善をおこなう必要は
言うまでもありません。
奉仕する心、人間にとどまらず、動物や植物、周囲の
ものすべてに気をくばること。
奉仕する心に必要な 智慧、意思、愛、 この三つは
神の三つの側面でもあります。”
識別・無欲・善行・愛の4つの要素を十分に満たすことは容易ではないだろう。
それを 13歳のムルティがすでに知っていたというのは何度も言うが、
まことに驚異であり、人の霊性は、肉体年齢とは無関係である事実を
見せられる思いがする。
続く~
参考)
”扉をたたくもの” クリシュナムルティ著 田中恵美子訳 S・44
関西神智学研究所発行