考え過ぎると”無意識の負の記憶”復活 平成26年1月6日
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ハワイにも 日系人が多いためか正月飾りが見られるようだ。
去年の暮れにご紹介した、ハワイの伝統的な
ホ・オポノポノ について読んでくださった読者も多いようだ。
今年の夢だけでなく 人生の夢。
”自分の人生の夢を実現できるかどうか?”
は 想念の持ち方にかかっていると 覚者は言う。
ホ・オポノポノ も 同様に、そう考えているが
特徴的なことは、”想念をこのように持つべきだ”
とか、”こうすべきだ、ああすべきでない” ということには
一切触れていない。
そういう思索より、
”過去の想念の記憶 を とことん清らかに
掃除(クリーニング)しましょう” というだけなのだ。
その理由は こうだ。
今私たちの眼前に繰り広がれている現実日常世界
のドラマはすべて、私たちの過去生からの
深い深い潜在意識の記憶が スクリーンという現実生活
に投影されている。
これを唯心所現の法則という。
相手は自分の心の鏡~という考え方で使われている。
その範囲は、自分の知っていることから、知らない世界まで
すべて・・・ つまり、政治から自然現象まで、近隣とのいざこざ
から 家族一人ひとりの抱えている問題まで、 とにかく
自分にかかわっている状況のすべて~は
”自分の過去生の記憶の投影”であるという。
ヒューレン博士は”そこには例外はない”と言いきる。
たぶん 多くの読者の方達は、そう言われてもと、戸惑いを
感じ、 信じられないと思う。
筆者は、次のように考えることで納得した。
貴方や私が人としての生を受ける前、植物として鉱物として
あるいは動物として 命を持っていたとしたら?
地球が生まれた遙か昔、まだ人はいなかった。
動物もいなかった。
しかし、私たちの生命は 永遠というのなら、どこかに
存在していた。
それは何億年という過去にさかのぼることだろう。
その時の、記憶は確実に潜在意識の中で 次から次へと、
生まれ変わった生命の中に引き継がれて来た。
その記憶は その人の”らしさ”、得意の能力や長所、
あるいは、短所や弁慶の泣き所といわれる弱みなどに
顕れ、個性の中に存在している。
たとえば、
それぞれ人には つつかれると痛い急所がある。
ある人は高所恐怖症で 飛行機ですら乗れないという。
ある人は火が怖いから、たき火にあたれない。
ある人は、’その言葉’を聞いただけでわけもなく
困惑して、落ち着かなくなると言い、
ある人は 湖や池を見ると理由がわからず、怖いという。
このように、ある情景に置かれると、人によっては、
パニックになりそうなほど、混乱する傾向を持っている
場合がある。
そのような特殊な例だけでなく、私たちは無意識の心
の領域に、必ずといっていいほど、多かれ少なかれ
トラウマを持っている。
それは、その人の重ねてきた”生の中”で 蓄積されてきた
マイナスの記憶の一つが要因となっているという。
今も、地層の下で眠っているアンモナイトの化石のように
変質して硬化しても 確実に残っている潜在意識の
記憶(意識)である。
今日の表題のように”化石化した記憶”が
今の自分の価値判断をつくっている。
”~であるべきだ”、とか”~すれば~なる”とか、理屈と分析の
根本には 自分独自の体験がある。
その体験は無意識の記憶の積み重ねで、カルマとして
顕れたものだ。
人は つまるところ、2種類の生き方しかない。
一つは”過去の記憶の呪縛”によって生きる方法、
もう一つは ”アートマ=真の大我的霊性”
によって 生きるかのどちらか・・・
記憶は、潜在的無意識にある。
そして、”独断と偏見と誤解” の感覚を生み、再びカルマに
縛られる。
だから、そうした、マイナス想念の記憶を浄化するために、人は
何度も、生まれ変わる。
浄化するきっかけを作るために 人生の諸問題が起きる仕組みだ。
体に浄化作用が必要なとき、熱や痛みの症状が現れる
ように、古い記憶のクリーニングには 様々な面倒な現象が
必要なのだ。
ホ・オポノポノでは 目の前に何か、問題が現れたら
”その瞬間を逃さずに、’記憶’に働きかける” ことを
薦める。
それは 二度とその再生フィルム(過去の記憶)が
問題として再生現像されることがないように。
詮索は必要ない。
どうして? 何が原因?分析も不要だ。
むしろ、目の前に現れた’現実’に、一切、触れることを
しないで、ただ過ぎ去るのを見るだけだ。
勿論 その間、その記憶を再生されないように
処置はするにしても。
その処置が 昨年暮れ ご紹介した、
’I love you' と、
'I am sorry' の言葉を ひたすら唱えることだ。
ひたすらに・・
感情をともなわずに、ただ、ひたすらに
この言葉を念じたり、口に出すことで
確実に状況が変わってくるという。
ひたすらに というのは、 わずかでも、相手を
責める気持ちを残さず、効果を疑ったり
するような ”分別の心も、無くして” ということらしい。
結果をコントロールする必要がないのと
同様、現在の状況をどうにかしようと
操作したり、画策を施素必要もない。
ただひたすら
Thank you
I am sorry と繰り返す。
シンプルだ。
これ以上単純なことはない。
しかし、 実行するか しないか の違いは大きいようだ
ヒューレン博士は次のように語っている:
”解釈や意味をつけて納得するという作業は
実は潜在意識、記憶 に操作されているのです。
理屈と意味はあまり、必要ないのです。
ただ、無 でいたらいいのです。
しかし、そこに 理屈をおくことによって、
光りはさえぎられてしまう。
クリーニングして、光があるべきところへ
届くようにするだけなのです。
できるだけ考えないようにしてください。
私たちが考えてわかることなど、たかが
知れています。
でも 神聖なる智慧はすべてを知っています。
比べ物にならない。
どちらの情報を選ぶかという話です。
いつも自分に問いかける、大切な質問、
それは、 知識が欲しいのか?
それとも、叡智が欲しいのか?
ということです。
知識を手放す、だから、叡智が入ってくるのです。”
これはbanksia booksの社長の 同博士との
対談内容として発表されている。(*1)
続けて 博士は言う。
”無であれば、質問はないはずです。
そこに光がとおるだけ。
記憶があることで 光がとおらないから
わからないだけです。”
その’わからない’という記憶すら
’I love you'という言葉で消せばよいという。
すると、
”わからないが消えると、何がくるか?
わかるかもしれないし、わかる必要がないという
ことがわかるかもしれない。
いずれにしても ’わからない’という状態は消える”
解らない記憶だけではない。
愚痴るとき、質問するとき、責めるとき、怒るとき、
悲しむとき、そういう行動がすべて 古い消し去るべき
記憶に活力を与えてしまう。
一人ひとりの 果てしない欲望の末のマイナスの想念
エネルギーが累積されて、人類マイナスエネルギーの巨大な
塊が、 自然に与える力は 計り知れない。
博士は
”自然災害、嵐や地震、戦争さえ、巻き起こす”
と述べている。
”I love you" の言葉の持つエネルギーは
大我(真の自分)の 資質だ。
その自分で 小我のエゴ意識が無意識の
中にためてきた マイナスのエネルギーを打ち消していく。
一人ひとりがそうして、クレンジングをすることで
周りが変わり、地域が変わり、国が変わり、地球も変わる。
だから、こうして 皆さまにご紹介して ハウツー を理解して
いただいても、筆者自ら実践していく以外に道はない。
解釈 解明 説得・・ それ自体、すでに、ホ・オポノポノ の教えの
辞書には ”意味のない”言葉であるのだろう。
参考文献:
"Zero Limits The Secret Hawaian System for Wealth, Health, Peace and More "
by Joe Vitale and Ihaleakala Hew Len ,2007
*1~”ホ・オポノポノ” 滝沢朋子著 Bankshia Books 2009年