★時代に対するコラムです★
★料理に関する記事ではありません★
★辛口です★
△新学期開始を9月にしよう!
△学制を変えて、世界にあわせよう!
△まさに、コロナ・レガシィだ。
この提案を知事会の一部の、提案とするとの、ニュースに、口が空きました。
未曾有の医療的危機を抑えるために、苦しんでいる稼業の悲鳴が、聞こえないのか?
学校の再開ができないから、いっそ、9月まで丸投げしたいと、安易に考えたのが、丸見えです。
レガシィ legacy とは、伝説になり、未来を築く遺産となる人や事象を称える、美しい、尊い言葉です。
コロナ・レガシィと言える愚かさが、自分の頭で、考えていないことを、示しています。
東日本大震災レガシィと言われて、心穏やかで居られるのでしょうか。(悲)
この未曾有の感染症から学ぶべきは、人々の暮らしを支える、医療や経済に関する国の在りかたであって、さらに、人を注ぎ込む教育制度の改革では、ないと、私は思います。
法律を変えるために、準備をするために、沢山の人を集めて、三密を作り、仕事を増やさなくてはなりません。
いま、すべき、Stay at home とは、真逆です。
間に合わない仕事で、過労死する人を作りたいのですか?
それだけの犠牲を払うなら、いま、法律を変えてでもしなくては成らないことは、他にあると思います。
それは第一に、医療保障です。
国が責任をもって、医療に資材と人を送るための、強制力をもつ根拠です。
国が責任をもって、国民の健康を守るための、資財を提供することです。
夜討ち朝駆けの私の暮らしでは、私用のマスクは、2月以降、町で販売をみたことはありません。これが現実です。政治が、どんなに綺麗事をいっても、反映されていないのです。
第二に必要なことは、経済補償です。
(保障と、補償は意味が違います。有事だからこそ、言葉は正確でなくてはいけません。)
街に三密を避けるために、休業を強いるなら、足りないまでも補償することが、労働者を護る基本の考え方です。
法的根拠がないなら、法律を作るべきです。私権を制限するのだから、ギリギリの知恵を傾けて、制限を限定にするようにして。
自粛、という民度に依存した、綺麗事ではなく、ちゃんと強制力をもつためには、補償が必要です。
仕事をして、お金を受けとり、税金を納めて、自分の暮らしを立てていく。
それは、どの稼業であっても、社会の仕事であるなら、同じです。
経済補償には、さらに、過重労働と成らざるを得ない方への配慮も、欲しいところです。
学童保育、介護、物流、販売、ごみ回収に、職種としての、負担が集まっています。
いうならば、家庭の主婦にあたる役割りの方にも、負担は重くなっていると、私は思います。
教育改革に割く時間があるならば、先に、二つの困難な課題を解決して欲しい!
人的資源には限りがあります。
終わってしまってからでは、取り返せないことを、先にやって欲しいと、切に願います。
過労死予備群 謹書、2020/04/30