過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

石巻市、震災遺構を引き継いでくださる想いに学ぶ

2024-11-05 17:05:00 | 曇り空に旗をたてる


所用で宮城県、岩手県に立ち寄りました。
13年目の三陸、石巻に降り立ちました。
私は発災の2011年、2012年に復旧支援に訪れて以来でした。
駅前から石ノ森漫画館まで、町おこしの案内がもつ明るさに、ホッとしつつ。
心を決めて、震災遺構の一つに伺いました。

石巻市には、教育に関わる二つの震災遺構があります。
門脇小学校は、津波火災の痕跡を残す唯一の遺構として、かつ、避難訓練教育の重要性を伝える場となる願いをこめて、設置されているとのこと。
もう一つは、追悼の場として、おきてしまった物事と教訓を伝える場として、大川小学校は位置付けられているとのこと。

最大の違いは、門脇小学校は、その管理下にあった学童、教員に被害を出さなかったことです。
私は、門脇小学校に伺いました。

★この後に遺構の写真が含まれます★
★写真撮影許可ゾーンですが、閲覧、ご注意願います★


校舎の礎石部分からは、広い空き地の向かうに、壁がみえます。それが新装された堤防です。
門脇小学校は、海にちかいため、津波のハザードマップにのり、訓練を定期的におこなっていた小学校だったとのこと。


震災の日、学校は速やかに生徒を集め、訓練してきた通りに、速やかに生徒を高台まで、走って避難させます。『これは訓練じゃない、途中で止まってはいけない、最後の裏山の上まで逃げなくてはいけない。』
そう言って、生徒を送り出したそうです。六年生が一年生を背負って、避難したり、掛け声をかけあって、学校から逃げた学童と教員には、失われた人命がなかった、素晴らしい結果でした。
(先に帰宅していた児童が、残念にもたびだっています。)

学校に避難していた地域の方々のために、教職員4名が残って、避難対応をしていた中に。津波が! 校舎の上階に避難する中、津波で炎上した家屋や車が、校舎に向かってきて。校舎に火災がせまり。。

教職員らは、教壇をはずして、裏山への逃げ道をつくり、避難民を救ってくださった、とのこと。



津波のなかに、燃える校舎内。
木製品は焼け落ち、金属素材は変形し。ここに居た人たちが、みな、助かっていることに、胸が熱くなりました。

海に近いのだから、必ず津波がくる。そのために避難訓練をかさね、学童がお互いに助け合える交流を作って、教育してきた、信念の素晴らしさに、涙がでてきました。
教育は、これだけのことを、可能にするのだと。

また教職員の対応にも胸うたれました。海に近い学校だから、避難施設ではないのに。それでも、頼る地元の方を護る知恵と、行動力がおありでした。
おそらく、避難訓練をしながら、もしも?の時を、考えていらしたのだと、拝察します。まさに『聖職の碑(いしぶみ)』がここにあったのだと、私は学びました。

震災後、二十歳になった卒業生が、『門小を美談にしてほしくない』と言われた記録に、また、胸をさされました。
美談ではなく、一人一人が出来ることを考える、学びの場として、私はこの場所を覚えて忘れないでいようと思いました。

皆さん、過去に学び、いつかの減災のために出来ることを探していきましょう。

▪️石巻市震災遺構門脇小学校、宮城県石巻市門脇町4丁目

。。。どう書くことが、誤解をうまないか、記事を書くことに悩みました。私たちの日本は災害が続く時節にあるように案じている今だから! 避難訓練の意味、繰り返し行動する意味を知って欲しいと願い、この記事をアップロードいたします。
(過労死予備群、謹書、2024年11月)



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