トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のとんぼ「シオヤトンボ」

2018-07-10 | 小父のお隣さん
 上の池、シオカラトンボと思ってみたが何となく異なる。二匹並んで止まって確認できた。「シオヤトンボではないか?」腹節末端部の濃色部が短いのである。昨年まではシオヤトンボとシオカラトンボの判別が出来なかった。
 今季、シオカラトンボが出始めた頃、シオヤトンボも出るだろうとトンボ図鑑で相違点を探したのだった。小生的に分かりやすい違いは「末端腹節の濃色部の長短」と決め、ようやく判別する機会に遭遇したと言う次第である。

 だからどうなの?と言われればグーの音も出ずシオシオと引き下がるだけであるが…。まあ、小生、シオカラトンボの様にアタック好き、ファイト好きではないのだ。
 写真手前がシオヤトンボと判定、奥が何時も見ているからシオカラトンボ、二枚の写真で比較するより1枚に収まった方が見やすい。
 文を打ってプレビューで確認していたら「オオシオカラではないのか?」ムズムズしてきた。そうとも見えてきたし、そこで図鑑対照して更に分からなくなった…。お粗末。

 種は異なるが駐車場の空間を飛翔していた1匹はアキアカネと見た。同色に見えるマユタテも発生しているがサイズは小さいし、駐車場の空間に出るほど数がいない。

ところ変われば 4 「君の名は団子?」

2018-07-10 | 旅行記
 ところ変われば「ダンゴムシも変わっている」とばかり思っていたけれど、どうもダンゴムシでなくゾウリムシのようにも思えてきた。ゾウリムシなど林内の落ち葉腐植層に普通に生息している種だと思っていても実際は見た事が無いから印象も無いのであった。

 だから現地で鉢裏を覗きナメクジを見つけようとしていた時の出会いに於いて、経験的に「ダンゴムシ」と短絡したのは必ずしも耄碌や認知症のせいでは無く経験値によるもので小生に責任は無いのだ。

 小生的には「ダンゴムシ」と認知していても全く支障は無いはずで、「脚がばか多く平べったいや!」と思ったのは観察が適切だったと断言できる。そのうえ「ここまでバリエーションがあるのか!」との感動体験は高齢者の生きる意欲や精神的健康に必須の要素でもあろう。間違いや誤解に罵詈雑言は要らない。結論を出したと賞賛すべき事柄なのだ。
 だから「ご飯、今食べたでしょっ!」とか「さっき言ったばかりでしょっ!」なんて言ってはならない傾聴が大切である。

 それはともかく、今になって「失敗した!」と思ったのは「丸まったか、丸まらなかったか」を確認しなかった事で、見かけ上の判別が出来なかったのなら、その確認くらいはすべきだったけれど「ダンゴムシ」しか頭に無かった以上、違いなど浮かぶ訳もなしで、そうなると「ダンゴムシかゾウリムシか…それが問題だ!」とハムレットの心境になって、これでは精神衛生上マイナスで眉間に皺が深く刻まれる事になる…が、小生は光り輝きが増すタイプである。