6年ぶりに訪れた鷲子山上神社。日本一の大フクロウをお参りしてから本殿へ向かいます。前の記事で紹介したように、栃木県と茨城県の県境が大鳥居の中央、御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社で、一つの神社が栃木県茨城県両県の文化財に指定されています。
まずは鷲子山上神社のHPから神社のマップを引用しておきます。前の記事で紹介したのは日本一の大フクロウ㉒と本宮神社㉔、そして鳥居前の紅葉㉕。今回の記事は、大鳥居⑭から本殿①まで県境を歩き、フクロウロードを戻るルートです。
まずは鷲子山上神社について紹介しておきます。由緒についてはHPより引用(抜粋)します。
鷲子山上神社は、栃木県那珂川町と茨城県常陸大宮市の県境に位置し、標高470メートルの山頂にあります。 緑深い木々に覆われ、四季それぞれの自然美をたたえています。 古来より霊峰と言われ、境内全域が現代の言葉で言われるパワースポット・スピリチュアルスポットです。
神社の創建は、大同2年(807)大蔵坊宝珠上人が諸国遍歴中に四国の阿波国(徳島県)に立ち寄り、製紙業が盛んであることを知り、紙漉きの技術と共に守護神である天日鷲命を勧請し、鷲子山に社殿を建立したといわれます。その後、大巳貴命や小彦名命がまつられました。鎌倉時代末期になると、当地方は下野国中央部を勢力圏とした宇都宮氏支族の武茂氏が統治していました。神社はかつて朝日嶽と呼ばれる地にありましたが、天文21年(1552)現在地に再建したと伝えられています。
鳥居をくぐると左手(栃木県側)に手水舎。その手前に水掛け不苦労。このフクロウに水をかけ、苦労を流しさってもらい多くの幸福をいただきます。
続いて楼門。随神門・安養閣とも呼ばれます。文化12年(1815)年に建立されました。中央を県境が通ります。その先にふくろうの石段が続きます。
右側の狛犬(阿形)
左側の狛犬(吽行)
「安養閣」の文字は、権大納言重嗣の筆によるものです
門に座する随身像(左大臣・阿形)
こちらは右大臣(吽形)
仁王様を見てくるのを忘れてしまいました(汗)
楼門をくぐり、96段のフクロウの石段を登ります
階段の途中、富士山のビュースポットがあります。当日は霞んで見えませんでした。
階段の上部で再び門をくぐり、左に曲がると本殿です。県境も左に曲がっています。
本殿の左手には鷲子山の千年杉がそびえます。樹齢1000年の老木で、幹の直径2m20cm、周囲8mあります。
本殿の拝殿です。周囲は工事中でした。
裏手に回り横から本殿を見上げます。栃木県側から見た姿。彫刻や色彩が見事です。
茨城県側からも見上げてみます。
裏手には境内社の大黒社がありました。
説明によると室町時代の大黒天が祀られているそうです。古くは本殿に鎮座されていましたが、明治時代の神仏分離令を受けて、本殿後ろの大黒社に移されたといわれています。
再び裏側から本殿を見上げます。本殿についての説明をHPから引用しておきます。
大同二年(807年)鎮座。天日鷲命(あめのひわしのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)がまつられています。現存する本殿は、天明8年(1788)に再建されたもので、三間社流造の銅板葦で千木・堅魚木を配し、向拝を付している。本殿柱や、頭貫の彫刻構成と装飾の豊かさは、類例をみない奇抜な手法であり、社殿の彫刻の流れを知る上で貴重な遺構です。(引用終わり)
大黒社の横から先に進むと、朱色の奥山稲荷が見えてきます。防災・芸能・五穀豊穣・商業の神として尊信されています。平成26年にきつね像が奉納されました。
ここから先の福ふくろうロードへ進むことにします。350mにわたり100体のふくろう像が展示されています。このエリアは初夏にはあじさいロード、冬には寒椿ロードにもなるそうです。
運気上昇ふくろう
身体健全ふくろう
十干十二支ふくろうが並んでいます
夢かなうふくろう
家内安全ふくろう
家族ふくろう
大ふくろう
見ざる・聞かざる・言わざるふくろう。ちょっと苦しいかな(笑)
厄除けふくろう。いろいろ考えたものです。
遂に出た! なんでも叶うふくろう これひとつで十分・・・
大神様のお使い お願いふくろう。こっちのほうがご利益あるかな?
福ふくろうロードの案内版です。本殿から逆ルートで戻ってきました。
まだありました。 すべてお願い 福ふくろう
社務所前に戻ってきました。日が傾き、モミジの紅葉が一段と赤く染まってきました。
大ふくろうが描かれた御朱印を記念に購入しました。
6年ぶりに訪れた鷲子山上神社。山の上にあるためアクセスが不便ですが、とても見応えある神社でした。オススメのパワースポットです。