おかんのネタ帳

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遺跡まつり

2014-11-09 23:33:59 | 湖国日記
目の充血がまだ治まらず・・・明日は、眼科に行こうかな~
疲れをためないように適度に休息してるんやけど、でも、やっぱり、
パソコンの画面を見ない日はないしね・・・依存症か(苦笑)

なんで一生懸命パソコンの画面を見つめてるのかというと、
やっぱり、書くための資料を探してるからかな。
図書館で本も借りてくるけど、なかなか目的の本が探せなかったりするし、
パソコンで検索・・・でも、思うようなサイトが探せなかったり。
そうこうしてるうちに時間が経ち・・・途中で脱線もするしね~(笑)


予報通り、今日は雨でしたね~
先週も、連休というのに雨でしたよ。
その、雨ふりのスキマに行ってきました。



国史跡の「伊勢遺跡」。
守山市伊勢町と阿村町、栗東市野尻とにまたがる、
東西700m、南北450m、面積約30hという広さの、弥生時代後期の遺跡です。

平成24年の1月に国史跡に指定されたこともあって、
今年初めて、「遺跡まつり」が開催されました。

国指定の史跡になったのは、この遺跡の特異性にあるんです。
守山市内には、他にも弥生時代の遺跡はありますが、
中期の環濠遺跡など、多くは、人々が暮らした生活の跡が見えます。
しかし、ここからは、生活遺跡が出てきてないんですね。

様々な形式の大型の建造物の跡が13棟も発見され、
しかも、中心にある建造物の周囲に円を描くように、建物が、
等間隔で建っていたらしいんです。



これが予想図なんやけど、このような建物の跡があるんですね。
この時代の、大きな建造物が集中して建っている遺跡は、他にはないようです。

しかも、柱をそのまま埋め込むという、後の伊勢神宮のような、
神明造りの建造物が建っていたようなんですよ。



祭殿と思われるもその建物の、大きさを体感できるように、
丸太で柱を立ててあります。白い紙は、柱の太さを示しています。
高さは、もう少しあったようですけど、広い建物だとわかりますね。



資料をもとに、地元の方が、ミニチュア模型を製作、展示されていました。
こんなのが建っていたんですね~

遺跡内には、すでに民家も建っているので、全容を発掘したわけではないようですが、
1980年に発見されて、以後35年間に約120回、発掘調査されたようです。
大型建造物がいくつもあり、生活遺跡がないということから、
ここは政治的なことや、祭祀が行われたところだと想像されてるんですね。

しかも、『魏志倭人伝』に書いてある、卑弥呼が住んでたところが、
この建造物の配置と似通っているらしいんです。

弥生時代後期の約100年ほどが、伊勢遺跡の栄えた時代。
紀元1~2世紀末くらいで、『魏志倭人伝』によれば、30ほどのクニがあり、
倭の国王・卑弥呼によってひとつにまとめられていったという、
邪馬台国が形成される時期でもあるんですね。

ひょっとして、邪馬台国はここ・・・!?

伊勢遺跡が国史跡になった一昨年、本も次々出て、
邪馬台国近江説がかなり、盛り上がりましたね~
卑弥呼を選ぶ「ひみコン」もできたし~



第1回目の遺跡まつり。
イベント会場になったのは遺跡の中にあるという神社の境内。
開会式では、自治会長、市長、県知事、衆議院議員・・・たくさんの来賓と、
第4代目の卑弥呼さんもきてはりました~



地元中学の吹奏楽の演奏やら、模擬店もいろいろ出て盛況でした。
前日がすごい雨で、この日もお天気がイマイチやったけど、
でも、開催できて良かったです~


邪馬台国は畿内説が有利とされてますね。

確かに、不思議な点はいろいろあります。

「卑弥呼」が出てくるのは、中国にある『魏志倭人伝』だけ。

古事記や日本書紀にはまったく出てこないのも不思議。

本当は、どこにあったんでしょう・・・