おかんのネタ帳

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オランダ堰堤(えんてい)

2015-05-24 23:52:52 | お仕事メモ
先週、久しぶりに田上桐生にある、オランダ堰堤に行ってきました。
子どもが小さい頃、何度か連れて行ったとこですが、
よ~く考えてみたら、結婚前にダンナとも来たことあるし、
結婚後も来たし、山歩きの取材で金鶏山へ行くのにも来ましたね~
それくらい、親しみのあるところです。



オランダ堰堤。
天井川となった草津川上流にある砂防ダムなんですが、
明治22年(1889年)、土木技師の田邊義三郎の設計により完成しました。

当時、政府に招かれ、たびたび氾濫する淀川の治水事業にかかわっていた、
オランダ人の土木技術者ヨハネス・デ・レーケが指導したとされ、
それで、「オランダ堰堤」と呼ばれているんですね。



デ・レーケの像が、小道の脇に立てられています。
田上山は、その昔、ヒノキなどの木が生える美しい山やったので、
奈良や京都の都の造営や、寺社の建物を建てるのに伐採されて、
禿げ山になってしまってたようです。

江戸時代には、伐採を禁止し、植林をするようおふれがあったようですが、
禿げ山になったことで、大雨が降ると洪水を起こし、
花崗岩の土を削って土砂が川へと流れて行き、川床を上げていったようです。

デ・レーケは、山から川へ土砂が流れないように食い止めると同時に、
荒廃した山に新たに木を植えるという2つの方法で治水を行ったようです。



昔はもっと水があって、深かったような気がするんやけどな。
夏は、子どもたちの水遊び場になります。
たぶん、今も。

真新しい立て看板があって、そこに書かれてました。
水裏の放水路面がアーチ型で両袖部分が削られにくく、
下流面が階段積み(鎧積み)になっていることで洗掘を防止し、
100年以上経った現在まで遺っていると考えられているらしい。



上から見たところ。
昔も、こうやって上から見たような・・・



水もなかなかキレイですよね~

オランダ堰堤の手前にキャンプ場があるんやけど、
高校1年の時に、中学の同級生とキャンプしたのが、
この、桐生のキャンプ場でしたね~

当時はまだ、あんまり整備されてなかったけど、
今は、水道のある炊飯棟とかあるんですよ。
そうそう、駐車場も有料になってました~



キャンプ場の横を、堰堤から続く川が流れています。
昔は、この水でご飯を炊いてんけどねぇ~

そうそう、小学生やった娘たちを連れて来たときに、
このへんで人の声がするし、川に降りていったら、
子ども連れのファミリーが2組、水遊びしてはって、
オランダ堰堤やなくて、なんで、ここやろ・・って思いつつ、よく見たら、
お父さんとおぼしき男の人の背中に絵柄があって・・・そう刺青!
びっくりして、あわてて戻って来たけど。

そういう方たちは、プールも海水浴場も、出入りを禁じられてたりするし、
なので、ここで川遊びしてはったのかなぁ。

今回の目的は、砂防ダムとしてのオランダ堰堤の写真を撮りに。
お仕事ですよ~ でも、平日の午後やったからか、
だ~れも、居ませんでしたね。

でも、良い天気、水辺は気持ちよかったです。