森元首相がアオキから200万円贈呈されたが逮捕されない、という話も囁かれている。
振り返ってみれば、戦後になって内閣総理大臣を勤めて逮捕されたのは田中角栄だけだったような気がする。
こういう話になると、訳知り顔で、「金額が安すぎるから捕まらない」という説がまことしやかに流れる。一般の人間なら数万でも捕まるんじゃないだろうか。偉い人、特に内閣総理大臣は法の下に最上位なのか!としか思えない。
首相経験者には不逮捕特権が永遠に与えられるのだろうか?それは無いだろう。
この国がまだ民主的ではない、法の下に平等ではない、ということは、法を執行する側に問題があるのだ。
権力体制つまり国家官僚機構が相変わらず明治維新以来の人権裁量しか持ち合わせていないということだろう。このふざけた国家機構を司る昨今の官僚たちの劣化がこの国の劣化に相関している筈である。
これからは無責の官僚ではなく、一人一人を名指しすべきだ。
今回の国葬が現憲法に違反しないと判断した「内閣法制局長」には相応の責任をとってもらう意味で、マスコミは大々的名指しするべきだ。
かつて安倍内閣の時に、閣議決定で憲法解釈を変えるという「禁じ手」を認容した「内閣法制局長」がいた。もうこの世には居ないと思うが、この官僚は「なんということをしてくれたのか!」と思っている。
あれ以来、閣議決定が国会決議に優先されるような悪しき風潮を蔓延らしてしまった。
モリ・カケ・サクラでも検察・警察官僚の不作為が横行した。
伊藤詩織さん事件では、まさに官邸に忖度した警察官僚が警視総監にまで登りつめた。この度の奈良の凶行事件が警察の警備不備が指摘された。官僚の忖度と有能が必ずしも合致しないことが証明された皮肉な結果となった。
もし森氏が逮捕されないなら、逮捕する権限を懈怠した検察官僚又は部署の名前を名指しすべきだ。
ともかくこの国を一番歪ませているのは、現の国家官僚群である。かつての戦争責任が軍部官僚であったように。
先日、数年ぶりに京浜急行に乗りました。進行方向に向かって横に並ぶシートなのですが、ボックス席のような、そうでないような、不思議な感じでした。