安倍政権のレガシー(遺産)は「国力の衰微が隠蔽されてきたこと」と内田樹(日刊ゲンダイ9・25)は簡単に言う。
もっと前から、55年体制の時から、自民党はアメリカ民主主義を植え付けられた日本国憲法で育てられた子供たちの個性の発達を削いで来たのではないか。
それが「ゆとり教育」という美名のもとに、才能のない子はゆっくりと、お金のない子は大学に行かなくてよい、つまりはDNAと家柄・資力による子供の選別化で、戦前以来の旧支配層を含む既成権力層の体制保持に勤しんで来たのではないか。
その結果として、個人としての尊重を否定し、単に種としてのヒトの尊重程度にとどめる「半生な民主体制」を作った振りをして来たのではないか。
ただ単にアメリカから押し付けられた憲法を一行でも変えれば達成された気になり、中身はどうして良いやら分からない程度の右傾の自民党議員たちは振り上げた手を同胞に降ろし、決して宗主国のアメリカには手を上げない。
結局、憲法改正しても、アメリカへのポチ度が増すだけ、アーミテージの首輪がきつくなるだけのことでしかない。
ただ単に、アベの負のレガシーに注目するより、自民党体制の保持する戦後レジーム、つまりアメリカへの「負け犬根性」体制のことだけど。これを叩き直さないと、どうにもなるまい。
今一度、家柄や資産で選ばれた子供だけでなく、捨てられた底辺の子供たちにも、それぞれに成功体験を持たせる機会を教育の場に投資して、昭和後期の「誰でも地道に努力すればきっとうまくいく元気のある社会」に生きる意思の強い若者を育てなければ、この国は徹底的に駄目になってしまう。
いくら資本が、資源が、国土があっても、人の生きる力、望む思いが無ければ経済は回らない。その譬えの両極端を、中国とロシアに見ることができる。今は日本と韓国にもその兆しを見ることができる。
コロナ自粛でラーメン屋に行けないので、家で作ってみました。