今回の「国葬」は、自民党内の声の大きい人の反動が恐くて、そしてその後ろに居る声の大きい一部の国民の怒号を懼れて、麻生氏―岸田氏の中核ラインで機先を制する形で即時に決定されたのだろう。
その決断は早過ぎたことによって奇妙な違和感を社会に与えた。
その後「統一教会」と岸・安倍三代の関係が顕在化したので、多分決定を1週間遅くしたら、声の大きい人は極限まで大声を出して「国葬」にせよ、と名誉挽回の声を上げただろう。
もう1週間延ばしたら、多分声の大きい人は自らの保身に汲々として、「国葬」とはおくびにも出さないようになっただろう。
決断が速いので、これは岸田政治ではない。漫画・アニメが好きな麻生流であろう。
だが、岸田氏周辺では、この問題の異常さ、危険さを察知していて、敢えて「国葬儀」という気妙な言葉を使うことを思いついたのであろう。
もっとも岸田氏は、吉田茂の「国葬」と安倍晋三の「国葬儀」は似て非なるものと惚ける器量はなかったし、既に時間を徒過してその機会も失ったようだ。
どうであれ、安倍晋三というヒトは、とてつもなく、大物の政治家になってしまったのは事実である。
これも、この時代の、この国の人々の、認めた、或いは見逃した、又は沈黙した結果である。
今となっては、かつての愚かな戦争に再度堕ちこむ前の特別な警笛だと、「国葬」と「統一教会」の問題を捉えるしかないだろう。
戦争は「平和を願う、祈る」だけで実現しないと思っている。
「声の大きい人」「力の強い人」をどう制御していくかが、「戦争の遠くで暮らす」一つの有効な手段だと思っている。
写真の三列目、右端が岸信介国務大臣