「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「竹細工教室」

2024年07月31日 | 風物詩

  

地元にある二つの小学校で高学年の希望者を集めて、私たち地区社会福祉協議会が、夏休み恒例の竹細工教室を、一つの小学校は7月25日に終え、今日はもう一つの小学校で実施した。両校合わせて約50人の児童が参加してくれた。迎える我々の方も参加する児童の方も、夏休みに入ったら竹細工教室が行われるのはいつしか風物詩のように定着しつつある。

小学校の古い講堂には冷房設備はない。大型扇風機が何台か据えてはあるが暑い。子どもたちは講堂の暑さに慣れているかもしれないが、指導者として参加する私たちは年々歳を取り暑さが身にこたえる。
それでも子どもたちの歓声や笑顔に触れるのは、小さいながらも地域活動を続けている者にとっては貴重な感触であり貴重な時間でもある。それにしても暑いねぇ。暑さに負けないようみんなが力を出し合う。
     

普段使ったことのない小刀で固い竹を削り、ガリガリトンボを作り上げてプロペラが回ったらこの笑顔。嬉しそうにニコッとこぼれる笑み。その裏には小さいながらも達成感が見え隠れ。
竹細工教室を続ける私たちの目標の一つに「達成感を味わってもらうこと」がある。指導者たちがあまりにも手を出し過ぎないよう、ケガだけはさせないよう、コツや隠されたポイントを一つでも覚えてもらえたら嬉しい。暑くてもやっぱり朝早くから顔を出せるのは後何回だろうか。

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「見事な空振り!」

2024年06月29日 | 風物詩

    

大きな大きな空振りをした。情けなくて自分を笑ってしまうほどの見事な空振りであった。
今年はタケノコも梅の実生りも裏年で少ないよ、という噂はもちろん耳に入っていたし、我が家の隣の空き地に植えた梅の木の生り具合をみても、今年は少ないなと覚悟はしていた。

その上にこの身は、肝心な梅ちぎりのシーズンは手術後のリハビリに追われていて、絶好のタイミングを失ってしまった。やっと今日、思い切って汗をかいて収穫しようと、一大決心して1時間ばかりの山間のカミさんの里に出かけた。生っていないのよ。梅の実の姿が見当たらない。必死に探してやっとこさ1本の木に16個を千切りとった。他に2本の木にはそれこそひと粒の梅の実も付いていない。呆気にとられるとはこのこと。

立ったり座ったりする作業に合わせて地下足袋履いて、汗止めに頭にタオル首にもタオル。こんな格好が恥ずかしくて早く着替えたくなるほど梅の実がないのよ。毎年、大量の青梅を使い切るためにあちこちもらってもらったのに。今年ばかりは自分ちの梅干しも出来はしない。梅ジャム、梅ジュースなどとんでもない話。

それにしてもこれほど生っていないのも珍しい。これはおかしいぞ。どなたかお先にこっそりゴッソリ頂いていかれたのに違いない。ま、いいか。自分たちの家庭の事情でいつまでも木に生ったままほったらかしにしたのが悪い。何事も旬の時期を逃さず収穫するべきなのだ。と言い聞かせて納得。それにしても今年の梅干しどうしよう。空振りだったのだから三振アウトということで、今年はウメ―話にならなかったねー。

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「玉紫陽花一輪」

2024年06月18日 | 風物詩

              

たった一輪咲いた我が家の玉紫陽花。友達のいない寂しさも感じさせるが、たった一輪の美しさもまたいい。色とりどりの紫陽花が人目を集める季節は、梅雨入りとか、集中豪雨、線状降水帯など不気味な言葉が飛び交う季節でもある。

山口県も昨日梅雨入り宣言が発表された。深夜から朝方にかけては土砂降りもあったが、夜が明ける頃から小降りになり、その後はカッカと照り付けるアッツ~~イ一日となった。
関東方面では新幹線が運転を見合わせるほどの大雨。まさしく梅雨入り宣言と同時にやって来た豪雨。

毎年どこかで、多くの命の犠牲やかけがえのない財産の喪失。あらかじめ災害に備えてとあっちからもこっちからも聞こえてくる。それでもなお「想定外の雨量だった」とか「短時間の豪雨は予測できなかった」などなど、大切な生命財産の保全が後追いになっている現状がある。
あなたならどうする あなたならどうする 泣くの笑うの死んじゃうの・・・歌など歌ってる場合じゃないが、じっさい『正解』が見つからない。それでもやっぱり危険予知、危険や恐怖を早めに予感し、我が身を守る心構えを少しでもいい、準備しておきたいよね~。紫陽花の可憐さとは反対の季節なのだから。

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「東ゃ長良か、西ゃ岩国か・・・」

2024年06月09日 | 風物詩

            
                 錦帯橋鵜飼い始まる。毎日新聞山口県版より。

5月の終わりに入院したこともあって、短い期間なのに戻ってきたら6月も8日と暦は進んでいた。
従って、皐月つごもりも水無月ついたちも吹っ飛んでしまった。留守中の新聞を読み返してみる。中でも毎日新聞は、私の趣味のひとつ「はがき随筆」の掲載者一覧表を埋める作業のためにも目を通す。当然他の紙面にも目が行く。そこに「錦帯橋鵜飼い始まる」という記事が大きな写真と共に載っていた。

コロナ感染以前のこの季節には、大勢の観光客はもちろん岩国市民も大小宴会などに多くが利用した。
「東ゃ長良か西ゃ岩国か~ドントセドントセ・・・」と岩国鵜飼い音頭にうたわれる通り、賑やかな一時期もあった。もともと舟遊びや川遊びは、大店の旦那衆の豪奢な遊びのイメージが強かった。が現在は乗り合い観光船やリーズナブルな利用方法が拡大して、私にも鵜飼い観光に出向けるし、家族の一夜の夢あそびとして鵜飼いを愉しむこともできる。皆さんも観光に一つに組み入れて頂けるとしあわせます。

そして本格的な雨のシーズンを迎える。思いがけない雨量・想定をはるかに超える雨量、などと必ずどこかの地域で土砂災害や洪水に見舞われる。転ばぬ先の杖。災害発生は避けられないとしても、人々の生命財産は失うことのない6月を過ごしたいと思う。

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「夏に備えて」

2024年05月09日 | 風物詩
初夏の日差しに誘われて、長いことほったらかしにしていたメダカの水替えをし、水槽をゴシゴシこすってきれいにしてやった。
こんな状態でも平気で生きていられるんだねーと感心させられるほど苔が溜まり汚れていて、さぞかし酸欠気味の水は不味かっただろう、よくぞで我慢して生きていてくれたと、タフなメダカさんたちを褒めてやりたくなる。
もっと早く水替えしてやればよかったのに。
         
古い水槽からすくい出して、新しい水に入れたら気持ち良さそうに泳ぐは泳ぐは。水を得た魚とはこのことを言うのか。イヤちょっと違ってるけど、兎に角きれいな水、真っ白い仮の住まい。そして洗い清めた元の水槽に、新しい水と共に戻す。この作業によって、メダカは種の保存とばかりに産卵を繰り返す。何はともあれ、夏に備えての一仕事を終えた。

ところが、この行為がメダカにとって本当に有難いことなのかどうか。
元の水槽に戻したメダカは、食料を求めてさまようように、ツルンツルンになった水槽の壁面を舐めるように泳ぎ回っている。古い水槽の苔むして青くなった壁面は彼らにとって、おやつの宝庫だったのではないのか、それをきれいに水替えすることで奪ってしまったのではないか、などと考えてしまう。

いずれにしても、水槽の水が常時入れ替わるような施設を使わず、単にそこらにあった古い火鉢や陶器の水がめなどに水をためて、エサだけはちゃんと与えるだけで、一丁前に「メダカ飼っています」と言うのだから、いい気なもんだよね~。
間もなく始まる産卵によって孵化した子メダカは、もっと住みよい施設で過ごさせるよう、一工夫してみよう。物言わぬペット。可愛がって上げなければ。
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「祭りとともに」

2024年04月07日 | 風物詩

  

こちらの町では、天神さん祭りは春に行われる。隣町同士、ひとつは4月第1土曜日、今ひとつは4月の第1日曜日と決められている。4月早々二日続きで近くの神社や児童公園で、昔懐かしい山車を引き回す天神祭りである。近年では少子化で山車を引く子どもの数が少ないので、エンジン付き軽トラなどが使われている。
  

その代わりというのもおかしいが、地元の中学生はブラスバンドで応援。地元の伝統神楽団は小学生数人に神楽の基本を教えている。その子たちにとって本番のデビューがこのステージとなる。
各自治会が大切なお祭りとして、たとえ山車は出さなくても年に一度のお花見として、会場に集まってくる。

昔からそう感じて来たが、私たちの住むこの町ではこの天神祭りがやって来るくることで春が来る。新年度が始まるという意識がつよい。だからこの天神祭りは大切にされ、みんなの祭り、みんなのお花見というイメージで人と人がつながり、お年寄りと若者が少しだけ融合している。どっちにしても祭で春がやって来る。

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「たき火」

2023年12月04日 | 風物詩

                      

庭の一角を占める、高さ1mにも及ばない小さなサザンカではあるが、いち早く八重の真っ白い花を咲かせている。我々より先に季節をちゃんと捉えている。
 ^^♪ さざんかさざんか咲いた路 たき火だたき火だ落ち葉たき 当たろうか当たろうしもやけお手手がもうかゆい ♪
こんなのどかな唄は歌えもしないし、そんな情景さえこの世から消え去ろうとしている。それでも、山茶花の花は今年も来年も咲き続ける。

いまの日本では、しもやけを作るような子どもは見られないのではないか。枯葉を集め、たき火をして集まる子どもたちに暖を取らせる。こんな構図も天下のご法度。へたをすると「迷惑防止条例違反」で逮捕までは行かないにしても書類送検くらいは課せられる。子どもを大切に守る方法も今と昔では随分と異なる。ほのぼの暖かさとかそれとない優しさなどはあまり重宝されない。制度や教育方針でガチガチに固められた優しさに育てられている。

いいとか悪いとかいう次元の話ではなく、ただただ時代の流れ、人々の考え方と価値観の変化。誰にも止めることのできない自然の流れみたいなものである。サザンカの咲くころ、小さな路地の曲がり角でチョロチョロ焚火をたいて「温まってお行き」という時代も生きて来た。少し大きな声で指導することはパワーハラスメントで注意される現代も生きている。幸か不幸かその両方の時代をこの目で見、その時その時代で年齢がうごいているわけで、やっぱりみんな違ってみんないいってことになるんだろうね~。

毎年毎年山茶花の咲くころに寄せて、同じようなことをついつい思ってしまう。真っ白も真っ赤も山茶花が穏やかに咲く平和な冬を迎え続けて欲しいものである。

 

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「来春にまた会おう!」

2023年12月02日 | 風物詩

      
        がんばってくれたアサガオ オーシャンブルー              きれいさっぱり処理をして来年へ

昨年の4月初め、5本のプランターをひっくり返して肥しを混ぜた土の入れ替え。新たな琉球アサガオの苗を買って植えつけ。水を切らさないように、やりすぎないように育て上げる。そして待望の初咲き、大輪のオーシャンブルーを見せてくれたのが6月26日。
その日以来、毎朝多くの花を咲かせ、ペット散歩のおばさま方の足を止めさせる。おしゃべりにお付き合い。ご近所コミュニケーションの場に。

強烈な西日が差す我が家を、アサガオの大きな葉っぱや花が守ってくれる。そんな色んな役割を果たしながら夏が往き、秋になっても咲き続け、ついに葉を落とし勢いも落ちて花も見られなくなった。そうなると早いうちに処分してやる、立ち枯れさせては来年の新芽にならない。
師走の二日目は意外にも風一つない小春日和。張り巡らしたネットとともにきれいさっぱり取り除いた。来年が楽しみだ。ただ、弦が伸びていないと言っても根っこへの水やりは欠かせない。少なくとも3日に1度は水やりを。

季節の変わり目は色んな出来事がある。丸刈りにされたアサガオも、作り手の期待に応えてまた地中で根を張り、来るべき季節には新芽を吹き出し青々と茂ってくれる。そして花を咲かせる。まさに生き物の生涯と人の一生にも似ている気がする。
手をかけ目をかけ愛をそそいで、時に機嫌を取ってやり体調を窺う。幸いなことに琉球アサガオは元気なところが取り柄。だからこんなグータラ作り手の下でもいつも陽気に素敵な花を見せてくれる。おばさま達に朝日の陰を与えおしゃべりの場を提供する。来年、また会おう!!  

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「河岸の流れの・・・」

2023年10月27日 | 風物詩

  

   ♫ 河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる 顔と顔

           立ち止まり 懐かしいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜 ♬ 

           作詞 石松 秋に  作曲 長津 義司  唄 小笠原 美都子 

こんな懐メロをご存じの方も多かろうと、自分勝手に思っているが、要するに昭和初期の歌謡界を席巻するほどのヒット曲のはずである。
何故ならば、子供心に耳にして、よくは分からないまま繰り返し聞いているうちに、何となく曲調も歌詞も頭に叩き込まれてしまった。

それにしても今宵の空を明るく照らす、旧暦9月13日のお月さまを十三夜の月と呼び、見るべき価値のある美しいお月さまである。
この月の十三夜の月は、仲秋の名月と同じくらいの気品と美しさがあるのだと言われている。
ヱー?そんな謂れがある月なの?、いつもの月と同じように見えるけどね~ などと言う無粋なご仁は空を見上げないで、テレビでもみてなはれ(失礼!) 

恋知り染めるお年頃のお二人さんが、まん丸いきれいなお月さまの明るさを少し避け、柳の木陰に身を寄せてふと見合わせる顔と顔。ええじゃないですか。一度や二度はあったのかなかったのかな。もうとっくに忘却の彼方の話題だが、歌謡曲の世界では厳然と息づいているのがたまらなくいいね~。

花を愛で月を愛で、雨を風を愛で雪を愛でる。生活に溶け込む自然の移ろいを感じながら、ゆったり生きて行きましょうよ、ご同輩。  

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「風物詩」

2023年08月09日 | 風物詩

8月9日、長崎に原爆が投下された日。長崎平和祈念式典が行われ、午前11時02分に1分間の黙とうを捧げた。
元々人間が人間を殺戮するために作られた原子爆弾という兵器。富裕で世界の覇権を争う大国は有り余るほど持っている。そんな核兵器の恐怖に怯える弱小国でさえ、核には核を持って対抗するのが一番とばかりに、各種の弾頭発射実験を繰り返す。そんな中で世界から核兵器を無くす運動を展開する唯一の被爆国ニッポン。聞こえていても聞こえないふりをするのか、すぐにでも核兵器使用のボタンを手許に引き寄せている大国。

核兵器の平和利用ならともかく、あの忌まわしい殺りく兵器の話になると、矛盾だらけで訳わからなくなる。声高らかに世界を指導できる人格者の出現が待たれる。が、そうなると世界を制覇したような錯覚に囚われて再び勝手気ままな蛮行をしでかすのだろう。矛盾の連鎖だけが残される。

そんな憂き世を一刻でも忘れさせる故郷の風物詩「地区の盆踊り」を覗いてみた。長い歴史を持つ岩国音頭の保存を意図する会が揃いの浴衣を着こめば、地域の民踊愛好グループが踊りを添える。

               
地元の中学生に、伝統の音頭と太鼓叩きを伝承しようと頑張っている。児童生徒も祭の法被をまとってバチを振るう。今は興味を持ってくれているが、高校大学就職と故郷を離れて行く。かつて私たちが青年団の頃がピークであった岩国音頭盆踊りも、歌い手や太鼓叩きが高齢化や後継者不足というか、ほとんどいなくなった。もっとも盆踊りの開催場所が激減した。なんとかしてこういったお祭り風景、故郷の風物詩は残したいと思ってはいるのだが。
               
遠い昭和を思い出すような出店も、自治会役員さんの計らいで繰り広げられた。揃いの法被でテキパキ動く店員さんは、地元高校の女子生徒が担当しているという。面白い。小・中・高に保護者そして地元のお年寄り、こぞって盆踊りを楽しむ光景は未来永劫残したいし、きな臭い憂き世を一刻でも忘れさせる効果はある。
              

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