こんな状態でも平気で生きていられるんだねーと感心させられるほど苔が溜まり汚れていて、さぞかし酸欠気味の水は不味かっただろう、よくぞで我慢して生きていてくれたと、タフなメダカさんたちを褒めてやりたくなる。
もっと早く水替えしてやればよかったのに。
間もなく始まる産卵によって孵化した子メダカは、もっと住みよい施設で過ごさせるよう、一工夫してみよう。物言わぬペット。可愛がって上げなければ。
こちらの町では、天神さん祭りは春に行われる。隣町同士、ひとつは4月第1土曜日、今ひとつは4月の第1日曜日と決められている。4月早々二日続きで近くの神社や児童公園で、昔懐かしい山車を引き回す天神祭りである。近年では少子化で山車を引く子どもの数が少ないので、エンジン付き軽トラなどが使われている。
その代わりというのもおかしいが、地元の中学生はブラスバンドで応援。地元の伝統神楽団は小学生数人に神楽の基本を教えている。その子たちにとって本番のデビューがこのステージとなる。
各自治会が大切なお祭りとして、たとえ山車は出さなくても年に一度のお花見として、会場に集まってくる。
昔からそう感じて来たが、私たちの住むこの町ではこの天神祭りがやって来るくることで春が来る。新年度が始まるという意識がつよい。だからこの天神祭りは大切にされ、みんなの祭り、みんなのお花見というイメージで人と人がつながり、お年寄りと若者が少しだけ融合している。どっちにしても祭で春がやって来る。
庭の一角を占める、高さ1mにも及ばない小さなサザンカではあるが、いち早く八重の真っ白い花を咲かせている。我々より先に季節をちゃんと捉えている。
^^♪ さざんかさざんか咲いた路 たき火だたき火だ落ち葉たき 当たろうか当たろうしもやけお手手がもうかゆい ♪
こんなのどかな唄は歌えもしないし、そんな情景さえこの世から消え去ろうとしている。それでも、山茶花の花は今年も来年も咲き続ける。
いまの日本では、しもやけを作るような子どもは見られないのではないか。枯葉を集め、たき火をして集まる子どもたちに暖を取らせる。こんな構図も天下のご法度。へたをすると「迷惑防止条例違反」で逮捕までは行かないにしても書類送検くらいは課せられる。子どもを大切に守る方法も今と昔では随分と異なる。ほのぼの暖かさとかそれとない優しさなどはあまり重宝されない。制度や教育方針でガチガチに固められた優しさに育てられている。
いいとか悪いとかいう次元の話ではなく、ただただ時代の流れ、人々の考え方と価値観の変化。誰にも止めることのできない自然の流れみたいなものである。サザンカの咲くころ、小さな路地の曲がり角でチョロチョロ焚火をたいて「温まってお行き」という時代も生きて来た。少し大きな声で指導することはパワーハラスメントで注意される現代も生きている。幸か不幸かその両方の時代をこの目で見、その時その時代で年齢がうごいているわけで、やっぱりみんな違ってみんないいってことになるんだろうね~。
毎年毎年山茶花の咲くころに寄せて、同じようなことをついつい思ってしまう。真っ白も真っ赤も山茶花が穏やかに咲く平和な冬を迎え続けて欲しいものである。
がんばってくれたアサガオ オーシャンブルー きれいさっぱり処理をして来年へ
昨年の4月初め、5本のプランターをひっくり返して肥しを混ぜた土の入れ替え。新たな琉球アサガオの苗を買って植えつけ。水を切らさないように、やりすぎないように育て上げる。そして待望の初咲き、大輪のオーシャンブルーを見せてくれたのが6月26日。
その日以来、毎朝多くの花を咲かせ、ペット散歩のおばさま方の足を止めさせる。おしゃべりにお付き合い。ご近所コミュニケーションの場に。
強烈な西日が差す我が家を、アサガオの大きな葉っぱや花が守ってくれる。そんな色んな役割を果たしながら夏が往き、秋になっても咲き続け、ついに葉を落とし勢いも落ちて花も見られなくなった。そうなると早いうちに処分してやる、立ち枯れさせては来年の新芽にならない。
師走の二日目は意外にも風一つない小春日和。張り巡らしたネットとともにきれいさっぱり取り除いた。来年が楽しみだ。ただ、弦が伸びていないと言っても根っこへの水やりは欠かせない。少なくとも3日に1度は水やりを。
季節の変わり目は色んな出来事がある。丸刈りにされたアサガオも、作り手の期待に応えてまた地中で根を張り、来るべき季節には新芽を吹き出し青々と茂ってくれる。そして花を咲かせる。まさに生き物の生涯と人の一生にも似ている気がする。
手をかけ目をかけ愛をそそいで、時に機嫌を取ってやり体調を窺う。幸いなことに琉球アサガオは元気なところが取り柄。だからこんなグータラ作り手の下でもいつも陽気に素敵な花を見せてくれる。おばさま達に朝日の陰を与えおしゃべりの場を提供する。来年、また会おう!!
♫ 河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる 顔と顔
立ち止まり 懐かしいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜 ♬
作詞 石松 秋に 作曲 長津 義司 唄 小笠原 美都子
こんな懐メロをご存じの方も多かろうと、自分勝手に思っているが、要するに昭和初期の歌謡界を席巻するほどのヒット曲のはずである。
何故ならば、子供心に耳にして、よくは分からないまま繰り返し聞いているうちに、何となく曲調も歌詞も頭に叩き込まれてしまった。
それにしても今宵の空を明るく照らす、旧暦9月13日のお月さまを十三夜の月と呼び、見るべき価値のある美しいお月さまである。
この月の十三夜の月は、仲秋の名月と同じくらいの気品と美しさがあるのだと言われている。
ヱー?そんな謂れがある月なの?、いつもの月と同じように見えるけどね~ などと言う無粋なご仁は空を見上げないで、テレビでもみてなはれ(失礼!)
恋知り染めるお年頃のお二人さんが、まん丸いきれいなお月さまの明るさを少し避け、柳の木陰に身を寄せてふと見合わせる顔と顔。ええじゃないですか。一度や二度はあったのかなかったのかな。もうとっくに忘却の彼方の話題だが、歌謡曲の世界では厳然と息づいているのがたまらなくいいね~。
花を愛で月を愛で、雨を風を愛で雪を愛でる。生活に溶け込む自然の移ろいを感じながら、ゆったり生きて行きましょうよ、ご同輩。
8月9日、長崎に原爆が投下された日。長崎平和祈念式典が行われ、午前11時02分に1分間の黙とうを捧げた。
元々人間が人間を殺戮するために作られた原子爆弾という兵器。富裕で世界の覇権を争う大国は有り余るほど持っている。そんな核兵器の恐怖に怯える弱小国でさえ、核には核を持って対抗するのが一番とばかりに、各種の弾頭発射実験を繰り返す。そんな中で世界から核兵器を無くす運動を展開する唯一の被爆国ニッポン。聞こえていても聞こえないふりをするのか、すぐにでも核兵器使用のボタンを手許に引き寄せている大国。
核兵器の平和利用ならともかく、あの忌まわしい殺りく兵器の話になると、矛盾だらけで訳わからなくなる。声高らかに世界を指導できる人格者の出現が待たれる。が、そうなると世界を制覇したような錯覚に囚われて再び勝手気ままな蛮行をしでかすのだろう。矛盾の連鎖だけが残される。
そんな憂き世を一刻でも忘れさせる故郷の風物詩「地区の盆踊り」を覗いてみた。長い歴史を持つ岩国音頭の保存を意図する会が揃いの浴衣を着こめば、地域の民踊愛好グループが踊りを添える。
地元の中学生に、伝統の音頭と太鼓叩きを伝承しようと頑張っている。児童生徒も祭の法被をまとってバチを振るう。今は興味を持ってくれているが、高校大学就職と故郷を離れて行く。かつて私たちが青年団の頃がピークであった岩国音頭盆踊りも、歌い手や太鼓叩きが高齢化や後継者不足というか、ほとんどいなくなった。もっとも盆踊りの開催場所が激減した。なんとかしてこういったお祭り風景、故郷の風物詩は残したいと思ってはいるのだが。
遠い昭和を思い出すような出店も、自治会役員さんの計らいで繰り広げられた。揃いの法被でテキパキ動く店員さんは、地元高校の女子生徒が担当しているという。面白い。小・中・高に保護者そして地元のお年寄り、こぞって盆踊りを楽しむ光景は未来永劫残したいし、きな臭い憂き世を一刻でも忘れさせる効果はある。
まさに茹だるような暑さの毎日ですが、やぶにらみ随筆をご訪問頂く全国の皆さまには、お元気にお過ごしのことと拝察いたします。
ここ岩国の名勝錦帯橋が架かる錦川では、夜空を焦がすかがり火が川面に映える幽玄の世界「錦帯橋鵜飼い」が繰り広げられています。今宵は川面を渡る涼風に揺れる屋形船に身をゆだね、冷たいビールで喉を潤す鵜飼い遊覧にご招待いたします。せめて一刻の涼を味わって頂けると幸いです。
ただ、カメラはそこそこなのですが腕の悪さは隠せません。日頃のお付き合いのよしみで、どうぞご寛容ください。
夕闇迫る錦帯橋や鵜飼いを見下ろすライトアップの岩国城 鵜飼い本番前の夕涼み遊覧に出かける屋形船
五連アーチの錦帯橋一橋・二橋の下に集結する屋形船 間もなく、烏帽子・腰箕の鵜匠が乗る鵜飼い船が登場
屋形遊覧船を1列に並べ、その周辺で鵜飼いの実演、鵜が潜りアユをくわえて上がるたびに遊覧客から歓声と拍手が送られる。
いよいよクライマックス、二艘の鵜飼い船が次々に捕れたアユを屋形船に投げ入れる。
ここまで、少し離れた錦城橋の上にカメラを構えて、錦帯橋鵜飼いをご覧頂きました。暑い日が続く中ですが、またひとつ気合を入れて元気に過ごしましょう。 そしてちょっと目を移すと川辺の一角では、夏休みの子供たちが花火に興じていました。これぞお口直しのおまけです。
中学3年生の野球部員にとっては、最後の公式大会ともなる夏季山口県大会の岩国市予選を戦っている。
我が孫君はまだ2年生なので来年もまだ楽しみが残されてはいるものの、2年生ながら今日の予選もスタメン出場で、3年生に贈るべく県大会切符をかけて必死にボールを追いバットを振っている。岩国市の端っこにある大きなグラウンドのため、8時30分からの試合開始に向けて7時40分には家を出た。
その甲斐あって一次予選を順調に突破する試合を見せてもらった帰り道、久しぶりに同級生の家に寄ってみた。
まさしく日本の6月の風物詩、水面から顔だけを出した早苗が風に揺れている。昨日田植えを終えたばかりの家の前の田んぼで、彼は田植え機では行き届かない部分を手で植える作業をしていた。その作業姿を見てまずは一安心。
5年前に肺の病が見つかって以来、様々な治療や検査に明け暮れて大きな笑い声で話し合う貴重な時間を忘れかけていた。
「お~元気そうじゃねー」「久しぶり、変わりはないかー」から始まった立ち話は久しぶりだけに弾む弾む。地下足袋に濡れた手で身振り手振りしながら、思い出話から同級生の近況など話題は広がる。
植えたばかりの田んぼの縁にたった二輪ではあるがきれいなピンクの花が咲いている。「こりゃなんという花?」「なんかよーわからんが、球根で広がるんよ」といいながらすぐに掘り起こして土産に持って帰らせた。花の名前は今の朝ドラ「らんまん」に任せるとしよう。
彼の病も来月には丸5年の経過観察の満期を迎える、と嬉しそうに笑う。「そうだよねー、元気で長生きしないとねー意味がないよねー」考えることは似たり寄ったり、そりゃそうだ同級生だもの。風物詩の早苗がこっちを見て穏やかに笑っているような半日を過ごした。