連日の厳しい寒波にも負けず、寒あやめが庭の片隅で今年も見事な花を咲かせた。
凍てつく大地に這いつくばり、地中深くに頑丈な根を張る。そして時期を違えず、清楚にして可憐な薄紫の花を楽しませてくれる。
春まだ浅き1月半ば。なれどこの寒あやめを見ると、確実な春の足音が聞こえてくるような。
畑に目をやれば、忙しさにかまけて植える時期が遅れたにもかかわらず、スナック豆・グリンピース・絹さやエンドウが、ちゃんと芽を出し、寒さに縮こまりながらも春の訪れを待っている。タマネギもしかり。元気の善し悪しはあるが、一様に足腰延ばして立ち上がろうとしている。
どれを見ても、暖かな栄養豊富な陽差しの春を、手招きして呼んでいるようだ。
人間には、温度を測定する知恵もあり、寒ければ暖を取る方法もよーく知っている。もちろん暦があって、過去の実績から、いつ頃にはどのようになるという予測も立つ。
では、この世に生きる名も無き小さな虫や草花そして小鳥たちはどのようにして春を待つのか。冬至が過ぎ1月2月と暦が進んで行くにつれて、日は長くなっていく。三寒四温と言われるように体感温度が変化する。
これらを敏感に感じ取ることで春の訪れを知るという。(日高敏隆『春の数え方』)
底知れぬ自然の営みの深さを改めて感じさせられる思いだ。
ここでも、自然界を相手に生きる虫や草花・小鳥の方が、人間より強く思えてくる。
アー…寒いのは苦手だ。早く暖かい春を呼びたい。