夕涼みにはちょっと贅沢な絶景スポット、岩国錦帯橋夜景五連のアーチ。
口に出すのも憚られるような連日連夜の猛暑、熱帯夜。五尺の体の置き場に困る、などと言えば少し大げさだが、兎に角逃げ場のない暑さが続く。
エアコン利かせて弱風の扇風機でも回せば、確かに「この世は天国」の気分を味わえる。が、それもいっときのこと。
テレビから流れる広島カープの選手たちが、華やかな笑顔で躍動しているならそれはそれでヨシ!しかし、中6日も7日も休んで出てくる先発投手が、試合を作ることもできずに早めの降板。後は負け試合を見るだけという惨めさは、この暑さの中では耐えられない。
早めにテレビもエアコンも扇風機も止め、天然の涼を求めてひとっ走り。岩国のシンボル錦帯橋夜景を目指す。
約1ケ月前の鵜飼い遊覧は、川面から見上げる五連のアーチであったが、夕涼みの眺めは錦帯橋とほぼ同じ高さで真正面に見据える。
「もう少しの川風が欲しいね~」と思いながらではあっても、さすが岩国のシンボルであり国の名勝指定だけあって、見るべき価値のある夜景ではある。
錦川を挟んで岩国側に広がるホテル街 照明灯真下が錦帯橋第一橋。五連の橋を渡ると横山側へ
ここで、中国地方の観光スポットの一役を担う「岩国錦帯橋」の歴史的背景などについて、少し解説を加えさせていただきたい。
話が長くなるので、興味のない方にはこれより先は読み飛ばしていただいて結構。
錦帯橋特徴:日本三大名橋の筆頭で三大奇矯のひとつ。日本を代表する木造橋で、特異な姿の木造五連の太鼓橋が有名となっている。
錦帯橋概要:長さは全長193.3m、橋面に沿って210m。幅は5m。高さは最も高い第3橋で13.03m。橋台の高さ6.64m。
創建の目的:岩国領主初代吉川広家は、自然の流れ「錦川」を外堀に見立てて岩国城を横山山上に築城し、居館や上級武士の館はお城の麓に配置し
た。横山地区は手狭なため、中級武士や町家は錦川対岸の錦見(にしみ)に置き岩国城下町を形成した。横山と錦見は川幅約200mの錦川
で隔てられているため橋は必要不可欠であった。
創建者 :何度か架けられた橋は洪水などで流された。三代領主吉川広嘉は、流されない橋の架橋を決意した。
建設ヒント:明の渡来僧「独立(どくりゅう)」の持つ「西湖遊覧志」にある島伝いの石橋の絵図。甲斐(山梨県大月市)の桂川に架かる「猿橋」など
を参考とし、部下の名工児玉九郎右衛門に命じて1673(延宝元)年に、現在の形に似た初代錦帯橋を完成させた。
錦帯橋歴史:翌1674年の洪水により流失したが、広嘉はめげずに二代目架橋に挑戦。同年11月に完成させた。
以来276年間不落を誇り、人々の貴重な生活の橋として長年活躍した。1922(大正11)年3月、国の名勝に指定された。
1950(昭和25)年9月、中国地方を襲った「キジア台風」により、276年の長寿の歴史に幕が下ろされた。
2年間の歳月と、現在の金額にして約60億円の巨費を投じ、当時の岩国人によって三代目錦帯橋が再建された。
その後通行量の増加や、観光客の安全確保など観光資源確保等の観点から、三代目建設からおよそ50年を目安に建て替えが検討された。
そうして2001(平成13)年秋から、昔ながらの木組み工法で架け替え工事が始まり、2004(平成16)年3月に竣工して現在
に至っている。 (文献:「いわくに通になろう」岩国検定実行委員会発行)