原爆ドーム前を流れる元安川と繁栄の象徴、相生橋
非核三原則「見直すことはない」
菅官房長官、核武装の可能性否定
8月6日、午前8時15分。防災無線のスピーカーから流れる追悼のサイレンに合わせて黙とうを捧げる。
今年もジリジリ太陽のもと、原爆投下の日平和祈念式典が、広島平和公園を中心に執り行われた。あれから75年の歳月が流れた。
当時3歳半だった小生は、確たる衝撃も悲惨な思いもないまましばらくが過ぎた。周囲や子供同士の話の中で「とにかく大変なことが起こった」という恐怖心だけが胸の奥に刻み込まれた。そんな幼かったのに今や78歳とはね~。
毎年、世界中のビッグが集結する世界の平和祈念式典。まさに世界平和を祈り念じる「祈念式典」なのである。
お隣の大国の主席はいま、世界平和の秩序を乱すだけでなく、我が主張をゴリ押しして領土を無理やり広げようとしている手前、こういう場に顔を出すのは憚られるだろう。その点では自国発症のコロナのお陰で「式典の縮小開催」によって、大きな顔をして欠席できたのはありがたかったことだろう。
そしてこの日。平和祈念式典では総理大臣が「非核三原則」を読み上げ、官房長官も同様に非核三原則の堅持を強調。世界唯一の原爆体験国が、「核兵器を使ってはいけない」と叫ぶのは至極当然であり、まさに正しいと思う。
しかし、一気に我が国を潰す勢いの核兵器を有する国や、核兵器を持つことで核攻撃から自国を守ると主張する独裁国家が、完全に標的にしている日本列島。
そんな理不尽な国家を相手に、「非核三原則は守る」「他国からの核攻撃には同盟国の核で守ってもらう」という甘ったれた図式がいつまで続くのだろうか。これほどお利口な、紳士のやり方が、いつまでも通用する世界であって欲しいと願っているが、この頃では不安で仕方がない。
いつ核弾頭が飛んでくるのか、いつ「この島は自分ちの領土」とケンカを売ってくるのか。それらに対してどこまで本気で向き合えるのか。世界平和を祈念する日にこんなことを思うのは不謹慎だろうか。