「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「夏休み最後の日」

2020年08月23日 | 地域活動

          
          学校環境整備の開会式。二密防止でバラバラに集合

市内の小中学校の夏休みは今日で終わり。
明日からは、まだまだ熱い陽射しの中を重いランドセル背負って通学することになる。
当然、孫君もやっとこさ小5の二学期始まりで、じいちゃん学校を終えた。

地域にある小学校では、夏休み最後の日曜日を「学校環境整備の日」と決めて、保護者や地域の人たちに広く呼びかけて、草刈りを中心に樹木剪定や運動場の草むしりなどが行われた。孫君とは関係ない学校ではあるが、地域活動の一環で動員が掛かるし、地域の広報活動を預かる立場として写真撮影やわずかながらの取材活動も含めて、朝から大汗をかくことになる。

          
        こちらは草刈り機などの使用で、危険防止から自ずとディスタンス

さて、児童や生徒の授業は明日から始まる。義務教育の授業時間数などの教育行政からみれば、ここらで学校再開が必要という理論はよく理解出来る。
しかし、4月に新学期が始まって間もなく「緊急事態宣言」などで臨時休校に至った時期に比べると、実際のコロナ感染リスクは、現時点の方が遙かに大きく、感染拡大の第二波真っ只中と言っても過言ではない。

そんな中を学校再開で登校させるのは、保護者の一人としては不安な思い大である。
一方で、これ以上授業時間数を減らすことは、もう限界なのだろうというのが素人目にも解る。しかも、孫君を見ていると、ゲーム機片手に、全く目に見えない遠くのお友だちとしゃべりながら、大声で喜んだり悲鳴を上げたりして遊ぶ方法が完全に板についている。家の中にいることがなんのストレスにもならない、という恐ろしい時代であることも事実。

どちらも「なんとかしなけりゃ」と思うことばかり。ならば、ちゃんと決められたとおり学校に行って、規則正しい生活の中で、コロナ対策に万全を期して、義務教育課程を全うさせることがベストなのだろう。それには、学校の先生はもとよりだが、保護者のコロナ対策教育もおろそかにしてはならない。どっちにしても厄介な世の中ではある。

コメント
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