玄関わきの箱庭みたいな小さな庭に、今年も春がやってきた。
1月に入るとすぐに、今日の準備のために、固い土の中から針のような細い青い芽を吹いていた。その針のような青い葉っぱの先っぽが、だんだん膨らんできた。一つ、二つと咲き始めたと思ったら、昨日・今日の温かさで一気に満開近くなってきた。芳香を放つ。真っ黄色な小粒の花が愛らしい。
こんな小さな花にも根性はあるというのか、自ら子孫を増やし、地盤を少しずつ広げていき、今では五葉の松の下まで根を広げている。
あの細い針のような葉っぱと、その先を丸くして咲かせた花が、松の枝を押し上げんばかりに頑張っている。小さいながらも健気に映る。
ここにも春は確実に来ているというのに。でもそれは飽くまでも季節の話で、人々の気持ちの中には春は未だ来ていないというのが本音であろう。
明日は小学校の卒業式ということで、卒業する6年生以外はみんなお休みなのだという。5年生の孫君も「明日は学校が休みなので、お泊まりに来たよ」という。
ということは、せっかくの卒業式も在校生は一人もいないのだ。つまり、送辞もなければ答辞もない。「あにいさん、おねえさん、ありがとう」の、在校生からの感謝の言葉もないまま巣立っていくのだ。1年前の彼や彼女達は、涙ながらに6年生を送ったはずである。なのに「自分たちは送ってくれる人もない卒業式だった」とは感じないだろうか。これを「コロナ不公平」とでも呼ぶのだろう。
まさしくコロナによるイレギュラーな1年、イレギュラーな卒業式だねー。卒業生諸君、令和2年度の特別な卒業式を忘れないでね。そして1日も早く正常に戻るように、コロナぶっつぶせ~~と叫ぼうよ。