またまた訪れた5月3日、憲法記念日。
この日が来ると必ずと言っていいほど、世論が二つに割れる。ジャーナリズムもここぞとばかりに割れる世論を煽る。改憲か護憲か、と。
改憲論者には改憲論者の意見と理由がある。護憲論者には護憲論者の意見と理由がある。当たり前のことだが。
どっちが正しくてどっちが間違っているという結論に達していいのか迷う。それぞれに言い分はある。どっちも正しくてどっちも欺瞞に満ちている。などと言い始めると全く人の言ってることが素直に信じられなくなる。有識者と呼ばれる人の言うことが全て正しいなどとはとても思えない部分もある。
ある人が改憲を唱えれば、あからさまに「右傾だ」「好戦論者だ」という。ある人が護憲を唱えれば「全くだ」「正しい選択だ」という。
但し、どこの世界でも、何がしかの決まり事にしても、時代が流れれば価値観が変わってくる。時代にそぐわなくなるってことはある。
ただただ死守していればそれがベストとして世界に通用する時代が続く間はそれでいい。時代が変わり為政者の意識が変わり、モラルとか人間尊重、国際秩序厳守、などという基本線が守られる、守らせる保証がある、というなら何も心配しなくていいし、改憲だ護憲だと目くじら立てることなどない。
ただ、個人としてどう思うのか、どう考えるのか、という基本線では5月3日を「子や孫たちの将来を考える記念日」として胸の中で大切にしたい。
突然に、理不尽に、我が生命と主権に危機が差し迫ったとき、本当に我が身を守るのは誰か。自分なのか、他人を頼りにするのか、絵に描いた餅のような絵空事で解決できるならいいのだが。ウ~~ン!難しい!! そんな今年の5月3日ではある。