我が町の数少ない大手企業、中国電力岩国火力発電所は、1966年に地域の瀬戸内海に面した一部を埋め立てて建設し稼働した。1号機、2号機、3号機と順調に稼働域を伸ばし、合計出力107万kWの石油火力発電所として中国地域の電力の安定供給の一翼を担って来たという。
その後現在では電力需要の減少に伴い、発電単価が高い石油火力であることなどから約4年前から徐々に稼働を抑え機能停止の準備をしていた。60年近く馴れ親しんできた工場も、その威容を誇る煙突も解体が始まった。長年、地域の誇りの一つであった煙突とともに、地域に多くの影響を与えて来た。
その後現在では電力需要の減少に伴い、発電単価が高い石油火力であることなどから約4年前から徐々に稼働を抑え機能停止の準備をしていた。60年近く馴れ親しんできた工場も、その威容を誇る煙突も解体が始まった。長年、地域の誇りの一つであった煙突とともに、地域に多くの影響を与えて来た。
少年野球の冠大会や、自家グラウンドの貸し出し、地域連合自治会や社会福祉協議会への支援・応援など数々の貢献があった。ただ言えるのは、発電所とはあまり労力を要しない工場のため、雇用と言う点では地元貢献も少なかった、だから撤退するための失業者続出などという憂き目には至らなかったのは幸いである。
煙突の高さに合わせた赤白の大型クレーンが寄り添い、地域の解体キングダムである。最初っから工事進行の時系列写真を撮っておけばよかったが、ザンネン、そこまでのヒマはなかった。
煙突解体工事が進むにつれて、地域から大きな仲間が一つ消えて行く寂しさはある。ただ跡地には幾つかの企業が棟を並べて、地元雇用も約束されているみたいだしマイナスばかりではない。世の流れに順応するしかない場合もあるってことだ。
煙突解体工事が進むにつれて、地域から大きな仲間が一つ消えて行く寂しさはある。ただ跡地には幾つかの企業が棟を並べて、地元雇用も約束されているみたいだしマイナスばかりではない。世の流れに順応するしかない場合もあるってことだ。