「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「木守り梅」

2013年07月11日 | 晴耕雨読

                      
                     梅の木に残っていた、最後のひと粒 (2013.7.10)

「木守り柿」という言葉をご存じであろう。深まる秋、収穫を終えた柿の木にぽつんと一つだけ残されている柿の実。季語は冬。 

たわわに実った柿の実を収穫する時、一つ残らず採ってしまわず、必ず最後の1個を木に残したという。
これを木守り柿といい、人間が欲望をむき出しにして根こそぎ手に入れるのではなく、豊かな実りを与えてくれた木や自然、そして神様に捧げる感謝の意を込めた、先人の知恵と思いやりや感謝の表現であったのであろう。
そうしてまた次の年の豊かな実りが約束される、と信じられてきたようである。

同じことが梅の木にもいえるのかどうかいささか疑問ではあるが、たまたまひと粒だけ、生い茂る葉っぱの影に健気にも青い実をつけているのを見つけて「オー、これは木守り梅と名づけよう・・・」と勝手に思った次第。

柿の場合、葉っぱが落ちて冬枯れていく物悲しさの中に、一つ残された赤い柿の実の存在が絵になるインパクトがある。
そこへいくと梅の実は、収穫を終えてから吹き出す新芽の中に隠されるようにポツンとひとつ。人目に付かないし、絵になる風情もない。
しかし、もぎ忘れた他の実は、黄色く熟れて自然落下するのに、このひと粒だけはまだまだ現役、青く瑞々しさを保っているではないか。何故かいとおしくなって、思わず頭に浮かんだのが「木守り梅」である。

今年は、70kgもの収穫をくれた梅ノ木に、感謝と敬意を込めて下刈りをして追肥をやろうと思っていた。
どうせなら梅ノ木の育て方手入れの方法などの参考書に目を通して・・・とひもといたら、6月下旬から7月上旬に新芽の剪定が必要と書いてある。エッ、この暑さの中で梅の剪定??? 思っただけでも気が遠くなりそう。
だが待てよ。70kgの青梅の収穫。多少の苦労はあって当然・・・とばかりに、勇躍、ペットボトル引っ提げて、鶏糞を積み込み出発。

暑かった。草刈機のエンジンをかけるだけで汗が滴る。瞬く間に一本を飲み干す。下刈り・枝打ち2時間あまり。
すぐ下を流れる川のせせらぎも、涼やかに鳴くカジカ蛙の声も耳には優しいが、体力消耗には効果なし。
終わるころには頭がボー・・・。この状態を長く続けると間違いなく、救急車のお世話に。
そんなギリギリの体験をして「熱中症の怖さ」を確認した。ある意味貴重な体験ではあった。

収穫という欲との二人連れながら、やはり無理はいけませんな~ご同輩。危ない危ない。
シャワーと缶ビールとお昼寝のご馳走にあずかって、何はともあれ回復して帰宅。厳しい夏の一日を味わった。

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「天邪鬼(あまのじゃく)」

2013年07月09日 | 季節の移ろい・出来事


                  
「五月雨は腹の中まで腐らせる」などと、ジワ~っと陰気に降る長雨を、昔の人は嫌ったようである。
さみだれに限らず、梅雨の長雨もまた同じように嫌われるのは昔に限らず、今でも似たような傾向にある。
本当は、一年の中でも、この時季にしっかり降って、水がめとなるダムを満杯にしてこそ、夏場の水不足を心配しなくていいし、農作物みな、この梅雨の恩恵を受けていることをわきまえるべきなのだが・・・。

カビが生えそうな鬱陶しさにうんざりして、兎に角早く梅雨が明けて、あのギラギラまばゆい太陽を拝みたい、などと単純に思ってしまう。これもまた人情。まさに同感である。
そんなところから、梅雨よ早く上がれ、早くどこかへ行ってくれ、と願う気持ちが「送り梅雨」という言葉を生んだのだという。

ただ最近の梅雨と言う名の雨には“頃あい” “手加減”という優しさが見られない。
降り始めたらとことん降る。しかも一局集中、大きな災害が出るまで降る。というか裏を返せば、生活の利便性を追い求めるゆえに、雨など自然災害にもろい国土整備がなされている、とも言えるのかもしれない。

7月に入ってうんざりするほどの雨が降り続き、挙げ句に大きな雷を伴う強い雨が降ると、それを境に梅雨は上がった・・・と昔の人は判断していた。その後2・3日の日照りが続き、さらにまた大雨を降らすのが「帰り梅雨」とか「戻り梅雨」と呼ばれる。
確かにいやな長雨ではあるが、農作物の成長を促す雨に感謝し、送り梅雨とか戻り梅雨、などという風雅な言葉を考えてみると、なんかしら全てが楽しく思えてくる気分無きにしもあらず・・・かな。

ところが、そのようにして一旦梅雨が上がった途端に、36度だ39度だと、お風呂に浸かっているような高温の到来。
今度は熱中症で大騒ぎをしなければならない。
雨が続けば晴れを待つ。晴れが続けばすぐに雨を恋しがる。
こんな人間の意地悪さを、天の邪鬼(あまのじゃく)という。昨夜の七夕様の夜空を彩るのは天の川という。カンケーないか。

最後にはやはり、『自分の身体は自分が守る』基本に立ち返るようである。気をつけましょう。お互いに。

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「選挙戦たけなわ」

2013年07月07日 | ニュース・世相

               

鳴り物入りで政権の座に着いた民主党。その政権公約の不履行や内輪もめ。全く出来もしない空約束を見破られた国民から見放され、凋落の一途をたどった感のある3年半。あの居丈高に大ナタを振るったつもりの事業仕分けなど、どこに行ってしまったのか。いずれにせよ昨年秋に再び政権交代。自民党の世になった・・・ひとまず安心。というのが大方の論評である。個人的見解もすこしある。

そんな自民党が野党から与党に返り咲いて初めての国勢選挙。
国会の衆参ねじれ現象解消を目指す一方、憲法改正論議を高めようと標榜する自民党に対する、国民の意思確認のような今回の参議院選挙なのかな。大きく間違っていないとすれば、そんな側面を持つ大事な選挙であろう。

大小合わせて9党ある。それぞれが「私は日本国家の在り方をこう考える、こうしたい」と言葉は威勢がいい。
が、どうかすると、それぞれが一匹オオカミで他との妥協を許さず、己の主張を繰り返すだけに終わってしまう小さな政党もある。
小さな政党に存在価値がないなどと言うのではない。ただ、反自民・反与党・反憲法改正・・・などを訴えるのなら、何故それらの勢力を結集しようとはしないのか。マイク片手に、片方の手を振り上げて訴えても、所詮自分の所属する政党のPRにしか聞こえない。
本当に日本の国家を守ろうと言う意気込みがあるなら、小異を捨てて大同団結して、力を蓄えて与党と対決するがいい。

ところが、大同団結したつもりの集団の親玉が、ついつい己の力量を過信して、路線の方向が気に入らなくなったらそんな集団をおっぽり出してまた他との連携を探る。という愚を繰り返しているようでは、どうも政治家に対する全幅の信頼が揺らぐな~。

・・・ ・・・などと肩に力が入り過ぎると『出来もしない相手に、それ以上の真剣さを求めるのがアンタの悪い癖よ』などと言われそうである。さらに『ちょっと力を抜けや、じゃないとおまえのまわりのひとはみんな、いつか息を詰まらせる。大き過ぎる期待や要求は毒だ。おまえ自身だって、求めただけの反応を得られず、やがて疲れてしまうだろう。疲れて、諦めて、だれにも頼れず一人になってしまう』 そんな声が聞こえそうである。 

最近手に取った本にこんなことが書かれていた。今の政治に対する思いと、この言葉が合致するのかは疑問であるが、自分に優しく他人に厳しい自分自身を反省しながら「どこかで書き残しておきたいフレーズだ」と思った次第である。

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「友、遠方より来る」

2013年07月05日 | つれづれ噺

                    

出先から帰宅すると、玄関脇に見慣れぬものが置いてある。
「何じゃろう・・・」 オッこれは無臭ニンニクではないか。有り難い。
実はつい先日、思いがけぬ形で近くの友から、まだ泥のついた掘り立て無臭ニンニクを2本頂いたばかり。
だから、見慣れぬものではあるがその正体はすぐに判明。

次に、誰が持ってきてくれたのか、という疑問が湧く。今回は6本という大量に、普通のニンニクも添えられている。
ひょっとして先日の近くの友がわざわざ持ってきてくれたのだろうか。いやいや、彼はそんな芸当のできる男ではない。
と思いつつも、あれでも、もしかして・・・と思って一応お伺いの電話を入れた。
こういう時の電話というのは簡単なようでなかなかの難しさがある。下手な言い方をすれば催促がましくなる。当たりさわりないようにそれとなく聞いてみる。案の定彼ではなかった。となればはてさて誰が・・・。

日が暮れるころ電話が鳴った。ここから40km離れたところに住む、会社時代の気のいい後輩君が親しげに語りかけてくる。
久しぶりの挨拶もそこそこに「今年はちょっと気を入れて百姓したら、無臭ニンニクが異常に獲れたので食べてください・・・」と。
な~んだ、異常に獲れたから持ってきてくれたのか・・・?? その後が如何にも彼らしい。

最近は少し馬力がなくなって、カラオケも近くの小さいスナックで楽しんでいる。そのスナックがこのたび、採点付きの新しいカラオケ機種を導入した。それで100点を出したのは自分が最初で、後は誰も出ていないんよ。だから、先輩に是非挑戦してもらいたいし、あの頃より上手くなった自分の歌を聞いて欲しいです・・・と張り切っている。

そう言えばあの頃、一生懸命歌っている割にどこか外れていたよなー。何度も何度も「先輩あの歌をもう一度聞かせてください」などと深夜まで付きあわされたなー、などと思い出しながら相槌を打つ。
カラオケをあきらめて田畑にいそしんでいるものと思っていたが、やはりカラオケはあきらめ切れなかったのだろう。

動機や理由はどうでもいい。先輩後輩の関係を離れて10数年になろうというのに、40kmの距離をものともせず、無臭ニンニクを持って訪ねてくれたことには大いに感謝。あいにく私が留守だったことは彼にとって残念至極であったろう。
もしあの時私が家にいたら、コーヒーのお代りしながら話し込んだのだろうか、それとも近くのカラオケに連れて行ったのであろうか。

「友、遠方より来る」。何の接待もしてあげられなかったが「いつかきっとカラオケ対決を」という彼の夢はつながったことになる。
受けて立とう。いつか・・・。

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「こんにちは、あっかちゃん!!」

2013年07月03日 | 家族・孫話

            
        生まれてバンザーイ  生後2日目            生後10日目、お目目を開けて

          ♪♪ こんにちは、あっかちゃん、あなたの笑顔~~・・・ ・・・ ♪♪

平成25年6月11日。長男夫婦の第一子として、私たち家族は新しい命を授かった。世に言う内孫の誕生。
“こんにちは、あっかちゃん・・・ ・・・”の歌声は母親に勝るものはない、と分っちゃいるが・・・。
ジジとしても、つい鼻歌の一つも歌ってみたくなる心境である。

孫という存在はこのたびで4人目となる。これまでの3人は、嫁いだ娘夫婦の子どもで、血統的には外孫となる。
幸い男の子三人。つまりやんちゃ三兄弟ではあるが、三人三様それぞれに特徴があり色んな夢を見させてくれる。
そうは言いながら、賑やかであることは言葉に表しにくいほど。

そこへいくと、このたび初めての姫孫に恵まれた。またひとつ違った喜びを味わっている。
生まれた翌日見舞ったら、ちっちゃな帽子もピンク色。そーっと着せてある毛布もピンク色。これまでの三人さんの水色とは何となく趣が違う。オーオー間違いなく女の子だ・・・と頬が緩む。

初めてのお産が、逆子が治まらないため帝王切開という異常分娩となった。
お産の方法の苦しさ辛さは人それぞれに違うらしく、色んな情報が耳に入る。「楽でいいね・・・」などと言われると、新たな命をこの世に産み出す苦労に楽な方法などあるものか、と反発してみたくなる。

若い嫁さんが、「ちょっと痛かったです」と正直に言いながら、ひと仕事終えたさわやかな笑顔でニコッ!
多くを語らない息子も、大きな大きな安堵の表情で見守っていた。

彼女のお父さんは2年前に他界された。ということは、このたびの新しい命にとって祖父と言えばこの私だけである。
もっと言うなら、嫁さんにとって父親と呼べるのは、義理とはいえこの私だけということになる。だからどうした・・・というわけではないが、少しだけ肩に力が入るのを感じてしまう。
これまでの三兄弟を相手に頑張ってきた孫育てノウハウにもっと磨きをかけなければ・・・などと勝手に思ってしまう。

そんなこと大きなお世話よ、などとたしなめられないよう、ほどほどに・・・と覚悟は決めているのだが、はてさて??
100号をとっくに突破した三兄弟ニュースは益々充実させなきゃいけない。その上に新たな孫ニュース製作がノルマとなった。
まだまだ足腰もついでにアタマも錆び付かせないよう、少しでも磨かなくては。

          ♪♪ はじめまして! アタシが ジジよ !! ♪

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「見果てぬ夢か・・・」

2013年07月02日 | 趣味・・エッセイ

                     

日本の自然の豊かさの象徴とも言うべき『富士山』が、このほど世界文化遺産に登録されたことはご承知のとおりである。
私たち日本国民の気持ちとしては、遅きに失した感さえある。
その秀麗な姿は、まさに日本のシンボルであることは言うまでもないが、とうに世界の財産であり、地球が生み出した、二つとない芸術品である。と常々自負してきた。

広く長いすそ野を従え、如何なる自然の咆哮にも動じることなく、悠然とそびえ立つあの神秘な姿。
個人的には、何かしら畏敬の念と拝み奉る崇拝の念がごっちゃになる、信仰のお山でもある。
そんな富士山が7月1日山開きをした。一般登山客がわんさか訪れるシーズンを迎えた。

世界遺産登録を記念して、訪れる登山者は例年より遥かに多く、ご来光に向けて長蛇の列が山頂まで続いた、とある。
世界遺産登録に合わせて、入山料徴収是か非か。あるいはゴミを放置する登山者のマナー低下をどう防ぐか。などなど、安全の確保や環境整備などの問題が新たに浮上しているのも確かである。

富士山の姿が最も美しく見える、と言われる富士宮市。
かつて、仕事の関係で富士宮市にある取引先の大手工場に何度となく足を運んだ。
おおよそ全力投球で過ごしたつもりの会社生活にあって、特筆すべき充実の時期であったように思うあの頃。地元の人でさえ珍しいという、富士山のてっぺんに丸い雲がかかった「笠富士」をこの目で見たことがある。あれ以来、富士の雄大さに心惹かれる思いがひときわ大きくなったことを忘れてはいない。

そしていつのころからか、“生きているうちに一度は富士登山を・・・”と思うようになった。
残念ながら、今もってその夢は果たせていない。果たせそうにない・・・などと言ったら、三浦雄一郎さんを引き合いに出されて笑われそうだが、正直、厳しさを痛感している。でもまだ完全に諦めたわけではない。が、夢を果たすのなら早い方がいいに決まっている。
ただ、たとえこの身は富士の裾野に朽ち果てるとも・・・というほどの覚悟を決めかねている。
今の体力や脚力では間違いなく途中で他人に迷惑をかけることになりそうだ。これは大きな大きな足かせになっている。
気力だけは旺盛であると思うが、あの厳しい自然と向き合うには、気力など何の役にも立たないことも承知。

夢を夢で終わらせたくない。なんとか実現の道を探りたい。そう願うことは富士登山に限らず他にもある。
しかし、己の夢を追うことばかりを考えるには色々条件がつきまとう。
ここはひとつ、夢は夢で終わろうとも、挫折というのとは違った“見果てぬ夢”として持ち続けることも、悪くはないのだろう。

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『復活!花すだれ!!』

2013年07月01日 | 趣味・・エッセイ

  
      復活の琉球アサガオ              大輪を           2008年7月22日初挑戦の琉球アサガオ

 7月1日。今年もいよいよ後半に突入。残すところ半年、如何に過ごすか、如何に楽しむか、少し考えてみる。

思えばこの5ヶ月間。「少し考えてみる」ことを怠ったような、我ながら不覚の時を過ごした感じがしないでもない。
かといって、何も考えないことなどあり得ないわけで、それなりの脳みその回転はさせた、と思っている。
ただ、ブログという形での思考を停めた。
それが結果的には、世に言う充電であったのか、単なる休憩サボタージュであったのか、どちらとも言えるしどちらとも言い難い複雑さを秘めている。早い話がようわからん・・・ということにしておこう。

そんな身勝手な一方的理由を付けて、ブログ友や、これまで長くお付き合い頂いた多くの方々に、ご心配をおかけしたことには、ひとえにお許しを願うばかりである。
そして、これからはそのようなことのないよう、休み休みではあっても、ご期待に添えるようフンドシを締め直して・・・。

ただ、時にこうして一旦離れてみる、ちょっと距離を置いて眺めてみることの大切さと必要性を体得した。
この事実は大きな収穫であったことも間違いない。ふと我に返る絶妙の「間合い」であったことも確かである。

真夏の西日よけとしてプランターに植えた琉球アサガオ。
最初に苗を買い、土づくりをして植えたのが2008年4月。その年は見事に咲いた。あまりにも見事に咲いて、毎朝楽しませてくれるアサガオに「花すだれ」と命名した。
それほど見事に咲いたのはその年だけ。それ以来、普通のアサガオにしたり、夕顔にしたり、色々やってみたが、うまくいかなかった。

そして今年、5年前の再現を計画。つまり琉球アサガオの復活を目指して、春まだ浅い頃に土作りに精出した。
あれこれやって夏を待った。葉の茂りこそ今一歩の感はあるが、今朝は11個の花を付けた。
これからしばらくは、毎朝健気に咲くアサガオと対面できる。

アサガオはかくの如く見事に復活を遂げた。
アサガオに刺激され背中を押されるように、yattaro-ブログも復活の意気込みを得た。
またこれからも、日々感じたこと、心に映るよしなしごとを、簡素に判り易く文字に置き換えたいと思います。
これまで同様、どうぞよろしくご指導ご鞭撻たまわりますよう、お願いする次第です。

何かしら久しぶりのワクワクする高揚感をおぼえている。

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