「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「やはり秋の象徴」

2024年09月17日 | 風物詩

  

          

         ❝ お風呂屋 の窓で眺めたお月さま ボクの家まで ついてきた ❞

まだ随分若い頃「子供でも才能のある子はこんな傑作が詠めるんだね」などと、おふくろがちょっと皮肉っぽく教えてくれたのを思い出す。
毎年訪れる秋を象徴する中秋の名月を、こんなちょっぴり落ち込む感情を秘めて見上げている。

夕方に立て込んだ用件を済ませ、急いで夕ご飯を頂き目的地に急いだ。クルマから見えるお月さまはもうかなり昇っているではないか、さらに急いだ。いつも使っている近くの駐車場に停めて目的の会場へ。地域の観月茶会をやっているはずであった。やっていない。名水百選に選ばれている親水公園は真っ暗け。お茶席も観月吟詠大会のステージもない。電灯と言えば公園お手洗いの防犯灯だけ。

あの伝統を守り続けた親水公園の観月茶会さえ、世話をする人たちがいなくなったということか。
そんな肝心な情報も得ずに「やっているだろう」と勝手に決め込んで、夕方の汗をものともせず慌てふためいて出かけて、がっかりの面持ちで駐車場から中秋の名月をカメラに納めたら、何のことはない雲に半分隠されていた。
改めて我が家の二階の窓から撮ったお月さまが、まさに中秋のまん丸名月が撮れた。

名月一つをめぐっても、そんなこんなが付きまとうようになった。そんなお年頃なんじゃろうね。

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「敬老と高齢者」

2024年09月16日 | ニュース・世相

 
            
                        

9月16日「敬老の日」。異常気象の今年は、敬老行事に招かれて出かける人にも過酷なほどの暑さ。今日も派手にあっちの山こっちの谷の上空に遠慮もなく広がる入道雲。暑かったね~。
こちらでも、自治会がいくつか集まって敬老会行事は例年通り催された。

働き手が多くお祝いの会を催すにも多彩な人材がいた。その割に敬老招待者が少なかったひと昔前は、何事も元気で洒落ていて、招待者も盛大に盛り上がる敬老会であったように思う。この頃は敬老招待者の方が圧倒的に多くなり、企画運営する立場の人たちも大半が敬老招待者と同年齢のところも多くなった。

新聞やニュース番組でも、65才以上の高齢者が3625万人、高齢化率は主要国のトップであると。
受け止めようによっては良くない話に聞こえるが、医療が発展し食料に恵まれた先進国ニッポンの長所でもあるのではないか、と高齢者としては思いたい。一方で高齢者が世に溢れることは、いつまでも元気に長生きしすぎるから・・・と言われているようで肩をすぼめたくなる時もある。

一つには現代社会において65才以上を高齢者と呼ぶこと自体ナンセンスではないか。まして後期高齢者とひとくくりされると75才以上は、その呼び名からして何かしら生きにくさを覚えるねー。
昭和30年代・40年代の高度成長期を微力ながら皆が力を寄せ合って支えた自負も段々しぼんでくる。まいいか、いきなりこの年になったわけではない。少年・青年・壮年・熟年それぞれを精一杯生きてきた結果が今なのである。

一つ思うのは年齢という数字でひとくくりするのは止めて、ご当人の気力・体力・思考力が続く人はしっかり労働力として活用すべきではないか、それが高齢化社会を円滑化する方策ではないかとさえ思う。そんな感想も持ちながら、敬老って祝ってくれる子どもや孫たちと一緒に、今少し元気で長生きできたらいいなと思う。                                            

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「小さい秋を」

2024年09月15日 | 季節の移ろい・出来事

           
                  散歩道に咲くコスモス

異様な熱さはまだしばらく続きそうである。熱い、暑い。エアコンの部屋を一歩出ると、何をやってもすぐに汗が滴る。9月を半分過ごした今日でもその暑さは衰えを見せない。
それでもいつもの散歩道の脇には、捨たり生えのコスモスが淡いオレンジ色の花で迎えてくれるようになった。

この季節になると頭をかすめる言葉に「秋波をおくる」というのがある。かなり長い間意味を取り違えていて、自分流の解釈ではどうしてもつじつまが合わない表現になってしまっていた。一度本気で広辞苑と向き合った時初めて「な~んだそういうことだったのか」と得心したことを思い出す。
「秋波」つまり秋の風に揺れて絶え間なく波立つ海面を他人におくる、つまり他人のいざこざを遠くから眺めてほくそ笑むという性格の悪い人のこと・・・などととんでもない解釈をしていた。

少し違った。大きく違った。秋波とは秋の風に揺れた海面に立つ穏やかなさざ波。つまり女性の、異性に対して恋心を表す目つき、流し目などを言い、色目を使うことを「秋波を送る」と表現する。 こんな当たり前のことは皆さん既にご承知の通りである。これは飽くまでも女性が男性に対するアクションであって、男性が女性に「秋波を送る」とは言わないことを肝に銘じておきたい。 

何故今秋波を思い出すのか。政治の世界では日本の総理大臣を決める自民党総裁選と立憲民主党の代表選が華々しく報道されている。
かつての自民党総裁選挙では「5当4落」という言葉が使われたのを記憶している。5億円をバラまける人は当選で4億円では落選するという意味だった。もっとも、今この時期にこんなお金の話をしたら当選などあり得ない話である。が、たとえば有力な候補に「財界が秋波をおくる」「〇〇業界が某候補に秋波をおくる」と言う風に、必ずしも女性の媚を帯びた流し目を、好意のある男性に向けられるだけではないことも頭の隅に置いておきたいものだ。

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「野生と共生、可能か?」

2024年09月14日 | ニュース・世相

                
                野生のサル、民家に  

昨日、金曜日のグラウンドゴルフ定例練習を終えた午後、メンバーの一人からラインが入った。
「我が家の裏側におサルさんがやってきました」という写真入りラインが。
見れば、私たちがついさっきまでグラウンドゴルフの練習をしていた団地公園に接する仲間のFさん家の裏ではないか。しかもおサルさんの右奥に広がるのが、私たちを遊ばせる団地公園である。

慌てて撮ったのでピンボケですが、と仲間に報せて頂いた。なんと、今話題のクマの人里出現のニュースに次ぐ、ちょっと怖い野生の来訪である。「刺激しないように」「そーっと遠ざかりましょう」などと具体的な対策を色々言われている。たとえば今回のような状況なら、言われる通りの行動が冷静に実行出来たかもしれない。もしも、私たち6~7人がグラウンドゴルフを楽しんでいる最中に団地公園に下りてきたら、理想的な落ち着いた行動がとれるかどうか。多分出来ないね~。

約1mのゴルフクラブを振り上げて追い払う行動に出るんじゃないかな。メンバーの半分は女性である。痩せても年老いても男である、必死に仲間を守り大声出して山に追い返すことになりそうである。おサルさんだからそれが出来るかも。月の輪をつけたクマさんだったらどうしよう。もっとも、慎重で少し臆病なところもあるクマさんは、そこまで無謀に人里には出てこないだろう。出てこないでおくれと願うだけ。

確かにこの団地は30年前には小高いミカン山であった。一山全部を切り開いたわけではなく、西側半分は奥深い地山につながっている。それにしても、山中にポツンとある団地ではない。国道はすぐそばをゴーゴー走っているし、周辺には大小団地もいくつかある。昔からの民家も多数ある。こんなところにまで出てくるほど山の中の食料不足は深刻なのかもしれないが、本当に野生と共生できるのか。今一度、治山治水、山林と住宅地の組み分けの明確化が望まれる田舎の、ちょっとおっかない一コマである。        

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「9月半ばというのに」

2024年09月13日 | ニュース・世相

     
           午後3時半、西の空に浮かぶ入道雲

     

どこで誰と出会っても開口一番「熱っついね~」「9月も半ばというのこの熱さ、どうしようもないね~」「とにかく水分執って熱中症気をつけようね」。これ以外の挨拶は考えられないほど暑い。今日も昨日もおとといも。明け方に始まって、夜の眠りにつくまで逃げ場のない暑さとの闘い。まさに闘いである。負けたら死が待つという穏やかでない話。それでも午前8時45分のラジオ体操から、一連の軽い運動をこなして約2時間のG・ゴルフ練習。大丈夫なの?と聞かれそうだが、これがまた不思議なことに、ダラダラ汗を流しながらも絶え間ないおしゃべりと、コチンという打音を響かせて楽しんでいる。慣れるとはこういうことなのかも。

そのあとシャワーですっきり。時間が許せばちょびっとの昼寝。これがいいのよ。たとえ短くても我を忘れる瞬間を経て一気に元気もりもり元の姿に立ち返る。矢でも鉄砲でも持って来い、というところまでは行かないがそれに近い元気を回復する。

日の入りには随分な間がある午後3時半、西の空に強烈な日差しを受けたモクモクの入道雲が。今年はまだカメラに収めていないことに気付き、いつもの散歩道に出てみた。目もくらむような強烈な日差しに敢えてカメラを向ける。そしたらなんと、今日の入道雲は控えめでおとなしいことに気付いた。同じ入道雲でも、7月終わりから8月の威圧的な盛り上がりを見せる鬼の形相とは明らかに違う。優しさを秘め、どうかすると「いつまでも暑さの苦労をかけてごめんね」と微笑みかけるような風情を持っているではないか。

やはり季節は流れていることを実感させられる。空に浮かぶ入道雲に、我々下界に住む人間への思いやりがあるかどうかは知らないが、今日の入道雲には秋がすぐそこまで来ていることを教えられた。明日も元気に!

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「下見 1」

2024年09月11日 | 地域活動

私たちの地区社会福祉協議会の活動目標として、一方の柱となる「地域の環境を守る」という項目がある。
具体的には「山を守り 川をきれいに 海を豊かに」というスローガンのもと、大掛かりには年に1度、地元中学生・高校生・小学生と、自治会はじめ多くの地域住民を募って、海岸清掃を実施している。
今年18回目を数える大々的活動を11月10日に計画している。小規模はまた別途実施している。

大雨や台風襲来によって、白いきれいな砂浜は大量の漂着物やごみに覆われる。当日の作業分担や細かい計画を立てるためには何回かの現場視察、いわゆる下見が必要となる。今日は、台風10号以来その爪痕や実際の海岸状況を見に行った。想像以上の流木・竹・プラスティック類など多彩であった。

 

 

これらをもとに、当日まであと何度の台風や大雨による漂着があるのか、そんな現実を踏まえた効率よい作業を実施するために何が必要か、これまで通りのやり方でいいのか、等々執行部が中心となって基本方針を決めることになる。今日の下見段階では写真の通り。このまんまで11月10日を迎えられればいいのだが。まだまだ何度かの大量ごみが押し寄せてくる予定で、その時を待っている。

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「救急の日」

2024年09月09日 | 晴耕雨読

 気が付けば9月も上旬最後の日、つまり9月9日  「救急の日」  である。この日を一つの契機として、各地にもたらす地震・津波・雨災害等々、いつ襲い来るか分からない災害に備える心を育てる啓蒙の日。様々な対策や避難による命を守る行動など、改めて気持ちに銘ずる日である。

一方でこれほど大切な日もあれば、うっかりしていてこの日までに準備しなけりゃいけなかったのを思い出し、慌てふためいても後の祭りというお粗末。
どこを捜し歩いても秋ジャガの種芋が見つからない。全て売り切れで入荷のめどが立たないとのこと。どうするよ、こまったね~。たとえ小さな家庭菜園とはいえ「晴耕雨読」を標榜するオーナーに失格の烙印の危機迫る。 

              
                 購入予定でった秋ジャガ種芋
今年は早くから畑も作ったことだし、背に腹は代えられぬ。種芋をあきらめて、食用のジャガイモを植えることにした。収穫量があるだろうか、味はどうなんだろう。取り敢えず準備はした。遅くとも1週間以内には植えよう。そこで気になるのが、種芋と食用芋の違いである。どこが?なにが違うの?

最も大きな違いは用途である。 スーパーで売られているジャガイモは食用でそのまま料理に使って食べる。 反面、種芋は最初から種芋用として栽培されているため、一般的なジャガイモとは管理方法が異なる。 .種芋を栽培するには、病気の被害が出ないよう、食用のジャガイモを栽培する時には使わない薬剤を使う場合もあるということ。ウイルス対策も栽培法に含まれている。

このように、食用と種芋用とでは栽培途中の管理や作り方が異なるため、明確に使用を区別するのが好ましい。と言われているのだが、まいいか、ダメで元々。せっかく土壌改良も試み、下肥えもしっかり入れた畑に、今年は食料用の芋を種として植えてみよう。その分、毎日畑に下りて足音を聞かせ声掛けもしよう。
出来ることをして果報を待つとしよう。春先の結果が楽しみである。

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「定年という制度」

2024年09月08日 | ニュース・世相

           

❝ 一年を十日で暮らすいい男 ❞ などと羨望や揶揄で語られたこともある日本の国技『大相撲』。
かつて大相撲興行団体などと呼ばれたり、紆余曲折を経て現在は、公益財団法人日本相撲協会として定着している。その大相撲令和6年秋場所が東京両国国技館で始まった。相変わらず調子が悪ければ休場が認められる特権を持つ横綱照ノ富士は休場である。まあそれは置いといて。

今場所限りで大相撲の世界から引退する大御所がいる。一瞬の勝敗を見極め東西どちらかに軍配を上げ勝敗を判定する行司さん、それも行司最高位の立行司第38代木村庄之助その人である。
今場所千秋楽に65歳を迎えるため定年退職するのだという。確かにルール・相撲協会規則なのだから、当然と言えば当然なのだが、永年行司一筋に努めあげ協会への貢献も大なるものがあると思うし、個人的な見解としては、心身共に大丈夫という証明があるなら、少しの延長を認めるゆとりがあってもいいんじゃないかな、などと勝手に思う。

微妙な勝敗判定に迷う時、検査役が土俵に上がりビデオ判定で勝敗を決する。そこには、最初に判定を下す軍配を上げた行司の弁明や説明は取り入れられない。古来の行司さんは腰に刀を差していた。これは、勝敗について行司の判定にケチをつけるのは許されないことで、行司は刀にかけてでも自らの判定を押し通す権限が与えられていた。その一方で、行司の判定が間違っていたら、自分の刀で自らの命を絶ってお詫びをする。そんな諸刃の刃であったという話も聞いたことがある。

いずれにしても一瞬の勝敗を判定する審判役は、間違いがなくて当たり前。一つ間違えば降格させられる厳しさを持っている。
何かと物申したい大相撲会ではあるが、65歳という定年を全うした第38代木村庄之助さんの勇退に拍手を贈りたい。

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「足回り、一新」

2024年09月07日 | つれづれ噺

                      
  

野の花や草木に夜露が降り始め、それが白く見えることから「白露」と呼ぶ二十四節季を迎えた。
朝夕の涼しさも本物に近づいていく季節、と言われているはずなのだが今年の夏はなかなか終わりが見えてこない。いつからが残暑なのかさえわからないほど、いつまで待っても厳しい暑さが続く。

カブ・大根・人参・小松菜など冬野菜のタネまきが迫っているのに、これほどの高温では撒いたタネがすぐに腐るんじゃないかなどと、その勇気がなかなか出てこない。それでも季節は廻り、経験則による自作の農作業日誌に尻を叩かれる時季となってきた。少しでも早く冬野菜の植え付け作業を済ませ、涼しさも本物になったら、クルマで出かけられる範囲のドライブを考えてみよう、などと思い立った矢先、倅から車の足回りを新しくしたら、という提案を受けた。

たとえ軽自動車とはいえ、高齢者夫婦の価値観から考えると決して安い買い物ではなかったハイブリッド新車。カーキチの倅らからみれば新車購入なら足回り、すなわちホイールも純正ではなく別売りの洒落たものにしてはどうか、というご意見もあったのだが、待てよ、純正で付いている新品タイヤを軒下に保管して高価なアルミホイールを履く必要がどこにある。などと反論して純正のまま乗り始めて1年余が過ぎた。

先の見えているクルマ使用期間なら、見栄えにこだわってかっこよく乗りこなすのもありかな、と少し考え方を変えてみた。今さら年寄りが見栄を張ることもないという定説に少し逆らって、倅推奨のアルミホールタイヤに交換した。早速に孫姉妹が丁寧にホイールを磨き上げてきれいにしてくれた。小5と小1の孫姉妹でも、じいちゃんばあちゃんがかっこいいクルマに乗る方が気分いいようである。無駄な出費かもしれないが、価値判断はひとそれぞれ画一ではないということ。ま、ホンのプチ贅沢。明日からまた一つ颯爽と(笑)

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「晩夏の汗にも負けず」

2024年09月06日 | 季節の移ろい・出来事

             
               体中汗びっしょり それでも笑顔で。

9月第一週に予定していた同好会のグラウンドゴルフ。火・水・金の三日間を予定通り無事終えた。
正直、暑かったね~。誰に言うともなく「暑い!」「メガネが汗で濡れるよ」などと口にしながら、それでも初日は7人、次の日6人、そして今日4人。日を追って参加人数が減ったのは、歯医者に眼医者に整形外科にと病院予約ゆえの欠席者。無理もないやね、いずれ劣らぬ診察券の保持者である。

かく言う私も、ついこの前までは自他ともに認める健康優良爺で、診察券は保持していても実際の活用はほとんどなかった。歯医者の定期検診はまあしゃーないか、という程度だった。ついこの前と言えばかっこいいが、かれこれ3年目になる左肩の故障以来、自慢じゃないが一気に病気持ちトップに躍り出たね~(笑)
それでも、公園グラウンドゴルフは言い出しっぺの手前、可能な限り声をかけ自らも参加に努めてきた。

子どもたちの夏休みを終えて公園の使用が自由になった9月、満を持して再開したのはよかったが、予想通りの陽射しで暑いのなんの。もちろん日除け帽子をかぶっていてもその上から汗は流れ落ちる。帰ったら何はなくとも先ずシャワー。昼食を済ませたらちょっとお昼寝。この極楽を味わいたくて、万全ではない体調ではあっても、仲間との談笑や軽い勝負の世界に出かけて行く。

兎に角暑い。晩夏などという言葉の響きとは裏腹な暑さに耐えている。季節は晩夏だが、グラウンドゴルフにはバンカーはないので、ダラダラ汗を流しても冷たい水で喉を潤し、饒舌を飛ばしながら頑張っている。それも病院通い以外はおおむね元気で参加するこの心意気。仲間・ゲーム・脳トレと言ったものは「元気に生きる」必須アイテムなのかもしれないね。

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