ふぶきの部屋

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皇室ウイークリー

2024-11-24 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

天皇家

11月16日・・・両陛下 → 百合子妃弔問

       愛子内親王 → 拝訣

11月18日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

              勲章受章者に会う

11月19日・・・天皇陛下 → 通常業務

11月20日・・・両陛下 → 第35回高松宮殿下記念世界文化賞受賞者に会う

       天皇陛下 → 離任大使に会う

11月21日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

 「穢れ」に触れないと言う意味では、儀式に出る事もそうだけど、そもそも宮邸にいかない事が重要なのではと私は思います。意味がわからずに「儀式にでなきゃいいんでしょ」ってのが平成と令和流っぽいけど、それは違うと思います。

 世界文化賞の接見では、予定を越える1時間以上そこにいたらしく、立ちっぱなしで1時間も立ってた方々に気の毒。しかもまてどくらせど二人は来ないので、みんなそれぞれ勝手に喋り出す。もう、こういうのはやめた方がいいと思います。

「私達はフランス語で話しました」と天皇がマスコミに語ったそうですが、フランス語をどの程度話し、何をどうしたがない今、「だから?」と言われてもしょうがない。語学に変にこだわるのはコンプレックスの裏返しですか?

 週刊誌曰く「佳子さんが愛子の面倒を見てくれてありがたい」と皇后が言ったとされています。何で22歳の社会人の面倒を佳子様がみなくちゃいけないのか、わかりません。佳子様はサリバン先生じゃないし、介護職員でも女官でもない。

カミングアウト?と言われていますが、頑なに認めないでしょうし、かといってこれ以上佳子様を煩わせるなら皇嗣家は毅然としてお断りをと思います。

そもそも皇后陛下は単独で行動出来ない。それはどんなに頑張っても「手順」を覚えられないから。母がそうなら娘もそう。

来年、アメリカに両陛下が行くのではと週刊誌は希望的観測で書いていますが、宮中晩さん会でお酒を飲まされた恨みは怖い。トランプは絶対に呼ばないでしょう。

バロン君の年齢を考えると、佳子様や悠仁殿下ならありえるかも。

 

皇嗣家

11月15日・・・一家 → 崇仁親王妃百合子殿下薨去につき弔問

11月16日・・・一家 → 故崇仁親王妃百合子 拝訣

11月18日・・・両殿下 → トルコ訪問につき進講を受ける

11月19日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議(オンライン)

11月21日・・・妃殿下 → 「第51回 日本賞 教育コンテンツ国際コンクール」授賞式出席

 悠仁殿下は学生にも関わらず、ご立派です。ご自分の運命をおわかりになっているのでしょう。

 

弔問の上皇夫妻

華子妃殿下

またも信子妃殿下が外に追いやられる結果になってしまいました。

どうも、このままいくと、三笠宮邸は彬子女王が、寛仁親王邸は瑤子女王が、職員宿舎は信子妃が使う。3家に分かれて独立した生計を営む事になりそうです。

それは「女性宮家」と同じ事で許されないと思うのですが、宮内庁がしっかりしていれば三笠宮殿下がお亡くなりになった時に、きちんと彬子女王を説得できたはず。

彬子女王は喪主・当主で屋敷を赤坂と京都に持つ、稀に見る富裕な皇族になります。

 

私は百合子妃が愛育会の総裁職を紀子様に受け継がせた時から、正直、信子妃も孫達もあてにしてなかったような気がします。

本来は信子妃に受け継がれる筈の公務が紀子妃に渡った。三笠宮家の総裁職は秋篠宮殿下に受け継がれた。彬子女王でも瑤子女王でもありません。

百合子妃は孫達がひたすら、普通に嫁いでいかれる事を案じておられたと思います。

とはいっても、元は寛仁殿下の横暴さとそれを許した三笠宮夫妻の躾の結果です。

末端とはいえ、皇室の権威を貶めてしまう事は必至。

天皇家といい、三笠宮といい、なぜこんなにも悠仁親王に重荷を負わせるような事をするのか。親族としてありえない。

次世代を担う悠仁親王と佳子様、そして将来の妃殿下が皇室に灯を再びともしてくれることを願っています。

 

 広隆寺の聖徳太子像の話 

私は実は広隆寺が大好きで。

前にも書いたと思いますが、外国人観光客がわんさかいる中で、唯一静寂に包まれたこの寺院は私の大切な思い出の一つです。

でも知らなかったのは、秘仏である聖徳太子像に、天皇が即位の時に着た「黄櫨染の袍」を着せるという風習。

即位の度に天皇着用の黄櫨染の袍を着せていたのです。

それは「次期天皇」になる筈だった聖徳太子へのオマージュというか、思いがあったからでしょう。

現在、着用しているのは平成の衣装ですが、これは上皇が自分のではなく新しく御作りになって着せたもの。

平成6年に着替えがなされたそうです。

しかし、令和6年にもなるのに、このお着換えはなされていない。

なぜか。

上皇への遠慮ではないか・・・・と言う事ですが私はそうは思いません。

今上はこういう事が行われていることを受け継がなかったか、知らん顔したか、側近が意見しなかったか。

元々東宮時代から神仏に対しての信仰が薄く、嵯峨野の神社でも東宮だけ寄進がないのを見ましたし、いつもいつも徳仁親王は寺や神社への奉納が一切ないのです。

それは恐らく皇后の意向というか、別な宗教にハマっている皇后の影響なのかと思われます。

でも、私が今上なら自分だけこれをやらないと、何だか天皇として認められていないような、自ら「私は中継ぎです」と言ってるようなもので、すごく嫌な気になると思うのですが、今上自身はそう思ってないんですね。

日本史に詳しい筈の今上がこの話を知らない筈はないと思うし、そうなら故意にしないんだろうと思うし、二重権威かもとか思うし。

聖徳太子は今上にとって「歴史上の人物」で道長程のインパクトはないのかも。

秋篠宮殿下の即位まで待たないといけませんね。

 

ちなみに雑誌等では秋篠宮は即位を拒否していると言われていますが、チャールズ国王も70代で即位しています。

70代でも80代でも別に構わないと私は思います。

もし、その上で体調に難があれば悠仁殿下を摂政にしたらいいので。

そもそも、近代から譲位の項目もないのに、(だから上皇后なんて変な身位を作った)皇嗣や皇太子のまま天皇にならずに息子に譲った人の身位を考える程宮内庁は頭よくないと思うんです。

それならちゃんと次の世代を引っ張って欲しい。同世代としてそう思います。

 

 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (夜桜蓮)
2024-11-24 07:39:06
おはようございます。
三笠宮家が持つ邸宅の行方は気になりますね。広大な邸宅ですし、彬子さまは京都に拠点を置いているし、なんとか一つの邸宅にまとまってほしいですね。
悠仁さまはご自分のお立場を分かっておいでのようなので、ご成婚も早いと思います。その時、空いた旧三笠宮邸か旧寛仁親王邸のどちらかを悠仁親王邸として使用できたら経費も浮くなと考えました。
将来の天皇陛下の邸宅。新たに建てていただくのは個人的には歓迎しますが、うるさい方々がいますので。
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