昨日は私の誕生日でした。
終戦から二年。皆が先に希望を抱き始めた頃に団塊の世代として多くの仲間と生を受けた。
この村の古い神社の近くの、これまた古い萱吹きの家で産婆さんに取り上げられたのです。
四人続いた女の子の後に生まれた、待望の男の子でも有ったようです。
梅雨のさなかでは有るけれど、きっと昨日のように晴れた日だったに違いない。
と、思わされるような私の今の性格です。
そして、この村で育ち、この山の上の畑で遊んだり、山中を掛け廻ったり、
山裾の水の冷たい小川で遊んだり、畑で桑の実を採って食べたりして育った。
昨日の記事にも追記としてアップしたけれど、朝食には妻が赤飯を炊いてくれた。
そして、誕生日とて、朝から忙しく働き、夕食の食卓に着いたのは七時過ぎ。
忙しいなか、出掛けた妻はいつの間にか準備した誕生祝いの御馳走を食卓に並べた。
初めてみる、イシモチの姿作り、そして、大好きなトビウオの刺身の盛り合わせ。
「びっくりしないでよ」と言いながら、カツオのたたきのサラダも並ぶ。
超多忙な中でも妻は食べ物に手を抜かず、昼休みに常備菜でもあるコブ煮を作っていた。
手前のサンチュの上には鶏の空揚げも出る。
折角の誕生日祝いの御馳走だから、二人でワインでも飲もうか。
先ずはビール、発泡酒で乾杯。「何時もありがとうございます」「いや、こちらこそ」
それにしても、オートバイ、登山、渓流釣り、山菜採りと危険と隣り合わせの趣味を持ち、
父に似て、いや、父以上の酒飲みになりアクシデントも色々有ったなー。
酔って自転車に乗り、落差の大きな側溝に頭から突っ込み、顔面を二十数針縫うけがも経験した。
本当に、ここまで無事に生きてきたのが自分でも不思議なような気もする。
子供の頃はどちらかと言うと身体も弱く、良く病気にもなっていたのに、
今日まで命にかかわるような大病にもならず、強かった同級生が相次いで先立つ中、
今日まで、文字通り大過なく過ごせてきたのだから、上出来と言えよう。
さて、折角ここまで生きてきたのだから、もう少し頑張りたいと欲も出る。
金銭欲にも名誉欲にも縁も未練も無い性格だけれど、したい事はまだまだ沢山ある。
それには、今のように一日に十一、二時間も働くような生活も見直さなくてはならないかなー。
昨日の午前中は農家組合長として、減反の現地確認に同行し案内役を務めた。
結局昨日も携帯組み込みの万歩計は、1万8千歩を越える数値になっていました。
もっとも、五月の最多忙期には一日2万歩を越える日も何日か有りましたけれども。
いや、まあ、元気で働け、美味しくお酒を飲めるのは有難いことですね。