
小学生へのバドミントンの指導が一昨日終わりました。
今回、前期のバドミントンクラブに参加した六人の豆選手たちです。

バドミントン関わってから随分長い年月が過ぎ去った。
これは後ろの横断幕を見ると昭和58年第二回社会人リーグと有ります。
私がバドミントンに本格的に取り組んだ三十歳代の始め頃社会人リーグが発足。
第一回から監督兼任の選手としてチームの名付けにもなってチームをけん引。
向かって右のサーブの態勢に入っているのが当時の私です。

新潟支社代表として全社大会の北海道大会にまで遠征しました。
北九州大会にも出場しましたが、全国、全社の厚い選手層の壁は破れませんでしたね。
なにせ、全日本シニア選手権のダブルス優勝者まで出場するような大会でしたから。

社会人リーグも発足当初に比べたら体育館などが新設され、環境も随分良くなりました。
でも、こんな風に体育館に入り、試合を待つ、ひりひりとした緊張感が懐かしい。

その後、我がチーム「フォルテ」の監督は若い後輩たちに譲り事実上の引退をしています。
これはスベルべママと所用で出かけた際に立ち寄り応援した際の光景です。

でも、前の写真は「第28回」と有りますが、その前年「第27回大会」には別のチームで出場。
還暦を越えてからの貴重な一勝を記録した大会でした。
一昨日の小学生への指導の際も、ダブルスの話の中で、「良いか、こちらがシャトルを上げてしまったら、
サイドバイサイドって横に並んで守りの態勢になるんだぞ」。
「反対に相手がシャトルを上げたら、トップアンドバック。一人がスマッシュの態勢に入り、
もう一人のパートナーはネットの前に出て、短いリターンに備えるんだぞ」。
なんて説明して、コートを動いて見せていると、なんだかもう一度社会人リーグにも出たくなっちゃいました。