霞みがかったような雲の多い日、山並みの彼方に「巻機山」が見える。
私の所属する山の会のホームグランドのような山で、私も十回を越える登山経験が有る。
新潟県独特とも思える、老齢期の山で、険しい沢筋からは想像できないようななだらかな山頂が特徴。
その昔、十月十日は「町民登山」と称して、山の会以外の登山者を募集して集団登山をした。
今は、遭難者が続出する事が理由で入山禁止になった「米子沢(こめござわ)」もこうして登った。
危険な場所はザイルで誘導したとは言え、初心者を連れてよくぞ無事故で登れたものだったと思う。
本格的にロッククライミングには取り組まずに私の登山は終わったが、
この沢は、フリークライミングとしては最高のフィールドだったと今も信じている。
巻機山の特徴である、なだらかな山頂付近を望む二人。
左が私で、右は長身でバスケット部のポイントゲッターだった同級生。
おや、誰かの気取った地下足袋スタイルの右足が片隅に入っているぞ。
こんな沢登りスタイルは、きっと、その後八海山で遭難転落死した友達に違いないぞ。
そんな、一見穏やかだけれども遭難も多い「巻機山」に家族と犬を連れて登ったのだから、
私も乱暴と言うか、無謀と言うか怖いもの知らずだったなー。
顔がはっきりと見える写真ばかりで、登ったコース「ぬくび沢コース」の険しいコースは紹介しない。
でも、私たち家族が登った翌日には、東京からの登山者が同じコースで転落死亡。
ニュースでそのことを知り、わが身と重ね合わせ寒気を覚えたことも思い出す。
当時飼っていた、犬のチロは今のマックスとは一味違う優しい性格の犬だった。
必死に岩場を登っていたが、ふと気付くと雪渓の雪の上にチロの足から滲む血の跡を見つけた。
岩場を登るうちに、足の爪が減り、つま先が剥き出しになってしまっていたのだった。
私は荷物を家族に分散して背負ってもらい、チロを肩に担いで岩場を登った。
ようやく頂上部のなだらかな稜線に取り着くと、それまでしょんぼりと尾を垂らしていたチロが、
涼しい風と、風景に再び元気を取り戻し、尻尾をピンと上げ、元気よく歩き始めたのだった。
尾根道の桜坂コースを下り、駐車場が見えるところまで来ると、チロはダッシュして車まで行った。
バンの後ろのドアを開けると、いち早く飛び乗りやっと安心した。と、言うような表情を見せたっけ。
危険であろうが、家族でそれを共有する、力を合わせてそれを乗り切る。
そんなことも学ぶことが出来たと思っているのは、危険な体験を家族にさせ、得々としていた、
馬鹿な自己満足に浸る、父親だけだったのだろうか。