畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

豚の腿を丸焼きで

2013-04-21 22:53:15 | 食べ物

 一昨日、知人に焼き肉に誘われた。
長い付き合いの「津南ポーク」のご主人が我が家経由で豚肉を届けるために、
その配達用の車に乗せて頂いて会場へと向かった。

 到着した会場で早速焼き肉の支度を始めます。
小さいように見えるけれども、これは生後六か月の豚の腿が丸々一本の6キロ。


 私が何回も取り寄せたセットは横に半切りのドラム缶に炭火のセットだった。
だが今回はガスの火で焼くセットで、しかも肉に満遍なく火を通すための回転もモーター使用の新式。
タレを塗った豚肉が遠火にあぶられ徐々に美味しそうに色づき香りだす。


 実はこの腿肉は「津南ポーク」さんが考えだされた方式で既にボイルが済んでいます。
旨みを逃がさぬよう、75度前後の湯温でじっくりとボイルされ、生ハム状態になっている。
それを焼くと言うよりも、炙りながらタレを絡ませて美味しく仕上げようと言う寸法。


 タレが絡み美味しそうな匂いが立ち上ると鋭利な包丁とフォークを使って切り分ける。
出来るだけ薄く、削ぎ取るように切るのが美味しく食べる秘訣でもある。


 三時から始めて、宵闇の迫ってきた六時近くになってようやく骨の付近にまで到着。
「骨際がもっとも美味しい」って言うけれどもここまで到着すると満腹中枢も飽和点に近い。


 会費は千円で、飲み物は各自持参と言うお誘いでも有った。
私は缶ビールと「越後ワインの赤」を持参して飲みながら焼き肉のカットを手伝う。

 最後の仕上げ、骨際のカットの際は骨の固さに滑る包丁と、酔いのまわった手つきで、
とうとう、左手の中指の先までカットしてしまった。

 これで味付けが和風タレでは無くて岩塩だったらテキサスのカウボーイか、
またはアルゼンチンのガウチョと言ったところでしょう。
私の夕食はこの焼き肉とワインオンリーで済んでしまいました。

 さて皆さん、この美味しい「豚腿肉」の丸焼を食べたかったらスベルべが取り持ちます。
但し、2~30人分は有りますから、少人数だと骨際にたどり着くまでにギブアップの可能性も大きい。

 そして、国道117号線の「津南道の駅」の中には津南ポークさん直営の「豚かつとんとん」と言う店も有ります。
名物の「メガトン定食」はなんと300グラムの超美味しい豚カツですから是非挑戦をして下さい。
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友の引っ越しを手伝う

2013-04-21 11:36:41 | 暮らし

 昨日の朝は中学校の同級生でもある友人の引越しを手伝った。
彼は、何時も私の畑仕事を献身的に手伝ってくれている。

 重度のアルコール依存症から立ち直ったと思ったらうつ病を発症。
そんな彼を私の山の畑に連れてきた別の友人がいた。
一日中家に閉じこもって過ごしていた彼を、人目に着かない山の畑で草取りでもしたら変化する。
そんな風に考えた末に、彼を家から連れ出す事にしたようでした。

 山の畑と空気が気に行ったのか、それからは天気さえ良ければ毎日山の畑に通ってきた。
日毎日毎に目に見えるように元気を取り戻し、日焼けの強さと共に自信も取り戻してきたのだった。

 彼の兄思いの妹さんから丁寧な年賀状頂いたのもそんな年が明けてからだった。
同級生のお陰で、兄が立ち直れたとつづられていた。

 昨年の暮れに近所のオジサンが衝撃的な情報をもたらせてくれた。
病院で彼に会い、何の用件か尋ねると「妹が癌になってしまった」と告げたとの事でした。

 妻が友人たちとの集まりに行き、妹さんが亡くなられたらしいとの情報を得て帰ってきた。 
冬はなかなか会う事も無い、いや、出来ない彼が我が家に来たのは暖かな日が続く三月の半ば過ぎ。
葬儀が済んで一週間ほど経過していたのだった。

 「昨年の十月の会社の集団検診で血液の数値に以上が見つかり精密検査の結果、癌が見つかった」
そして、「少しして担当の医者には三月の声は聞けないだろう」と告げられたと続ける。

 医者に告げられた日よりも頑張り、3月の14日にこの世を去られたのだったとか。
病気続きで居所をも失った彼は、兄思いの妹さんの家に寄宿して暮らしていた。
そして、妹さんの四十九日を待って、兄を頼って引っ越しをする事になったのでした。

 独り身で過ごしてきた彼の荷物はあっけないほど、そして失礼だけれど笑いたくなるほど少なかった。
彼をかばってくれた、妹さんのご主人に私も挨拶をと思ったけれども仕事に出勤したとのことで、
不在で有り、私としても無念を残して彼の寄宿先を発った。

 この家の脇は昔の街道で有り、ここから橋がかかっていたのだと言う。
今は立派な橋が少し下流方に掛けられ、ここの橋は撤去されたのだったらしい。
川は夏場には全く水を見る事も無いその名も『水無川』で、越後三山から流れ出る清流です。

 最後に彼に家の裏を案内してもらった。
そこには、八畳間がそっくりと入るような巨大な岩が鎮座していた。

 そう言えば、この家の近くの酒屋さんの前にも、六畳間の部屋ほども有る大岩が有ったっけ。
みんなあの『水無川』によって上流から流されて来たものらしい。

 夏場は水の枯れ果てるこの川は、ひとたび豪雨となると、ゴロゴロと音を立てて石が流されてくると言う。
そんな話を聞きながら、彼の住処を後にしたのだった。
もう二度と、この地を訪れる事も無いだろうと、少し寂しい気持ちを抱きながら。 
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山古志の春(終わり)

2013-04-21 05:16:51 | 山菜

 この山々の間には山懐に抱かれるような村も有るのです。
それにしても、急斜面の途中に出来た養鯉池ですねー。


 小千谷市に通ずる道路はご覧の通り除雪はまだ終わっていません。
左下にブナの木の芽ぶきだか眩しいような緑色を見つけました。


 「花譜」さん、今度は滝が見えますか。ほら、左の小さな谷ですよ。
「雪が溶けて 川となって 山を下り谷を走るよ~♪」です。 


 マックスと帰途に付き何時ものビューポイントで軽トラを停める。
中央左に「関越高速道」が見えますが、我が家は右手の尾根に隠れもう少しのところで見えない。
そして、雄大な山容を見せてくれるはずの越後三山も春霞に隠れています。


 ここにも水田が顔を出し始めています。
山の上の集落の水田は、村から下方の谷間に有り、村人はそこへ下って耕作をしていたようです。


 我が家から見るとよく見える「木沢」集落だけれども、道路からは我が家はなかなか見えない。
見えるはずの尾根に向かってかなり歩いたけれども目的の場所の尾根は途中で崩れていて行けなかった。
ようやく、木々の間から我が家を見つけることが出来ました。


 さて、マックスや帰ろうかな。
春の日差しを浴びてマックスは眩しそうな顔を向けます。

                     (終わり)
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