なぜここを訪れたかと言うと日曜から月曜日に掛け一泊二日の小旅行。
その際に、旧新津市に単身赴任していた際の行き帰りに脇をいつも通り過ぎていたから。
一度は見て見たいと思っていて、宿泊地に行く前に立ち寄ったのでした。
庭は京都の庭師「広瀬万次郎」の作によるもので京風の枯山水。仏道の理に適うという。
庭を見渡す、畳敷き二段廊下です。
驚きは右手上の庇を支える丸桁で長さ11間約20mもの吉野杉の一本物です。
この長さがすべて同じ太さで、節の無い天然絞りの銘木には驚かされる。
どうやって運搬してきたかと言うと海路大阪から新潟へ。そして信濃川を船で運んできた。
庭だけをアップしてみます。
奥の石の五重塔は須弥山を表したものと言われています。残念なのは紅葉が見られなかったことです。
国鉄の民営分割に伴い、田上町が買い取り文化財として保存されている。
来客用の風呂場、トイレがあり古いながらも清潔で広大なもので驚きました。
それに増して驚かされたのは、廊下を進み少し奥に行くと当主専用のそれがあり驚きました。
何代目かの銀行の頭取まて勤められた人物の肖像写真がありましたが気品があります。
今のファッション通販であぶく銭をつかみ宇宙旅行を試みた品性に欠けた人物とは違います。
そして、この建物を建てた理由は、不況に苦しむ小作人に仕事を与える意味もあったと言うから本物の豪農の考え方は違います。
(続く)
離れ座敷、ですか。広大なお座敷です。迎賓館みたいなものだったのでしょうか。いつもきれいに整えておくのは大変だったでしょうね。
庭の木は雪に備えて雪除けがしてありますね。四季を通じてお庭を見るだけでも癒されそうです。
とにかく、軒、庇を支える北山杉の通し柱には驚かされました。
まず最初に思ったことは、どうやって関西からこの地越後迄運んだかでした。
船運がほとんどだと知り謎も解けました。
こうして雪国は庭木もすべて雪囲いをしなければならず、保守には大変な手間がかかります。
管理人さんは紅葉時にぜひ来てくださいお誘いくださいましたよ。