明治中期、まだ江ノ電や小田急線がなかった時代、人々は東海道線の藤沢停車場から海までを歩いていました。
当時の鵠沼の道がそのまま残っている訳ではありませんが、その気になって辿ってみました。
当初の鵠沼停車場は北口だけだったようなので、藤沢駅北口から西に歩いて、一本松の踏切に向かいました。
ここから踏切を渡って鵠沼の道を歩きました。
踏切を渡ると、すぐ左に曲がる道は、藤沢駅南口に通じています。
次にもう一本左折の道がありますが、そこを進むと橘の辻があり、辻から江ノ島裏街道に向かうことが出来ます。
この日は最初の道を右折して西へ向かいました。
右手奥に高層マンションが見え、手前には新しい住宅街があります。
うろ覚えの記憶では、確かこの辺に自動車教習所が在ったような気がします。
道幅が狭くうねっているので、人も車も要注意の道ですが、そんなに車は通りません。
師走に向けて庭木の手入れに励んでいる人がいました。
少し進むと、左手に「保存樹木」の指定がある生垣がありました。
少なくなったので、なんとか残したいという願いが感じられました。