遊行寺坂・一里塚跡 2012-11-15 | 藤沢 大鋸の石段上りの結果、思いがけず遊行寺坂を下りました。 途中に「一里塚跡」の標識があって、「このあたりの道路両側の崖上、現在は何も残っていません。」とあります。 何度もこの場所を歩いて、「何も残っていない」のはよく承知しているのですが、 左手の石段を上ってみました。 石段の上には、木柵があり中に入れないようになっていました。 木柵の向う側は草原と茂みがあるだけでした。 現在の遊行寺坂は切通しの道なので、両側の崖上と言っても地形が変わり、昔の姿は残っていないのでしょう。
大鋸3丁目の長い石段 2012-11-14 | 藤沢 山王神社から県道302号線を遊行寺側に進み、すぐに右脇の細道に入りました。 終りが見えない石段が続いていたので、つい上ってみようと思ったのです。 同じような石段がどこまでも続いていたので、途中、左脇にあった稲荷社で一息入れました。 石段を掃除していた女性に、どこに出られるか聞くと、遊行寺坂上まで続いていると言われました。 めげずに、こつこつ石段を上ると、緑の広場に出ました。 ここは市民のための一坪農園のようになっていました。 場所が良いのでしょう、野菜の生育もなかなかの出来栄えでした。 道なりに更に進むと、またまた緑の広場に出ました。 今度は農園ではなく、子供の頃の記憶がよみがえる「原っぱ」でした。 環境整備のために、いろいろ規制もありますが、洒落たアイデアです。 「原っぱ」からまたしばらく歩いて、無事遊行寺坂にたどり着きました。
大鋸・山王神社 2012-11-13 | 藤沢 大鋸3丁目の県道302号線沿いにある山王神社を訪ねました。 道路からいきなり急な石段を上ったところにありました。 資料によると、この神社は藤沢宿最初の鎮守様で、寛永年間(1624~44)旧藤沢高校あたりに勧進されましたが、 安永年間(1772~81)に現在の位置に移されたようです。 社の左手奥にある庚申供養塔です。 大分摩耗が進んでいますが、立派な庚申塔です。 境内入口には、よく手入れをされた草花が日差しに耀いていました。
御幣公園のイチョウ 2012-11-12 | 藤沢 滝川の左岸、藤が岡1丁目にある御幣公園です。 まだ黄葉のはじめといったところですが、イチョウが青空の下で輝いていました。 逆光になっても、イチョウが明るいので、様子が変わりません。 明るく静かな公園でした。
滝川の流れ 2012-11-11 | 藤沢 感応院の横を流れる滝川です。 この川は横浜に源流があり、鎌倉を抜けて藤沢を流れる準用河川です。 一見用水のような流れですが、長い間水害で周辺の住民を苦しめた歴史があります。 特にこの瑞光橋周辺は水害が大変だったようです。 現在は上流の柄沢橋近くに、地下水路により境川に直接放流する分水路を新設し治水が完了しています。 「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあわむとぞ思う」と言う短歌がありますが、 この滝川は、「われたらそのままあわない」仕組みに変わったのです。
感応院の弘法大師修行像 2012-11-10 | 藤沢 まだイチョウの黄葉には早いと思いましたが、散歩の都合で感応院を訪ねました。 感応院は創立建保6年(1218)で藤沢宿では最も古い寺院とされています。 感応院には弘法大師像が2つあり、1つは本堂内にある木造弘法大師像で、相模国準四国八十八箇所の一番です。 境内中央には弘法大師修行石像があり、これは二十三番になっています。 八十八箇所を巡礼する人は、ここに2度来ることになります。 いつも気になる、三島神社です。 三島神社は源頼朝が建久4年(1193)に勧進したと伝わっているので、感応院より古い神社です。 この社殿は自由に回転するように出来ていますが、保存のため触ることは出来ません。
大鋸の舟玉神社 2012-11-09 | 藤沢 境川の左岸、大鋸の舟玉神社です。 鎌倉3代将軍源実朝が宋に渡る船の用材を切り出したところ伝わっています。 このあたりの職人により、遊行寺の造営や、玉縄城、小田原城の修築が行われたようです。 狭い境内なので、あまり被写体がありません。 狛犬さんに敬意を表しました。 社殿の内部に興味があったので、戸口の隙間にレンズを入れ、内部の様子を撮りました。 壁に掛けてある絵の額は社殿の雰囲気でしたが、その他の調度品は教室のようでした。 いろいろと活用されているのでしょう。
遊行通りの庚申堂 2012-11-08 | 藤沢 藤沢駅北口から遊行通りで5分程の庚申堂です。 珍しく柵が開いていたので、境内に入って参拝しました。 社の右手にある掲示です。 重要文化財の木造の青面金剛像の説明ですが、60年に1度しか開帳されないので、 実際に目にするチャンスはなさそうです。 掃除の都合で戸が開いていたので、ひょっとして像が見えるかも知れないとのぞきましたが、 そうは問屋が卸さないでした。 境内にはいいろいろな庚申供養塔が並んでいます。 奥の方にあるこの2つの庚申供養塔はなかなか立派な石造物です。 奥の左側の庚申供養塔は寛文13年(1673)建立で、これも藤沢市の有形文化財の指定がありました。 庚申堂をゆっくり拝見出来たので、大変満足しました。
箱根湯本の店看板 2012-11-07 | あちらこちら 整備されて歩き易くなった箱根湯本の商店街で面白い店看板に目をとめました。 「うさぎや」という饅頭屋さんのようです。 魚の干物やかまぼこなどの店が何軒も並ぶ中で、一番大きな店看板でした。
芦ノ湖の海賊船 2012-11-06 | あちらこちら ススキ見物のついでに、芦ノ湖の桃源台から海賊船に乗りました。 芦ノ湖に海賊船は似合わないと思いますが、人気があるようです。 右手の海賊船の方が立派でしたが、乗ったのは左手の海賊船です。 湖から眺めた芦ノ湖スカイラインが走る山並みです。 まだ紅葉の気配は感じられませんでした。 それでも水辺の木立の中には紅葉の始まった様子も見えました。 目的地の元箱根に近づく海賊船から見た景色です。 右手は恩賜箱根公園、左手の水辺に小さく箱根神社の赤鳥居が見えます。 背景の山並みは二子山です。 元箱根港に近づくと、ここだけと言うような紅葉が迎えてくれました。 40分程の船旅でした。
仙石原のススキ 2012-11-05 | あちらこちら 突然思い立って、仙石原のススキを見に出掛けました。 まだ午前中で10時を過ぎた頃ですが、ススキ見物の人々が結構集まっていました。 ただいちめんのススキです。 日差しに輝くススキの草原の向うに見えるのは金時山です。
平塚・海と川⑦光と風の花つづみ 2012-11-04 | あちらこちら 馬入緑道の終点からもう一度相模川河畔の戻り、馬入ふれあい公園のコスモス畑を見に行きました。 「光と風の花のつづみ」というキャッチフレーズに惹かれたからです。 コスモスはすでに盛りを過ぎた感じでした。 黄色のコスモス畑は、まだまだ元気な花盛りでした。 光と風と花だけの場所ですが、晴れた日の休日には多くの人が訪れるようです。 極めて健康的な場所でした。
平塚・海と川⑥連光寺と馬入緑道 2012-11-03 | あちらこちら 馬入橋で国道1号線を西に向かい、馬入交差点を右折して連光寺を訪ねました。 境内の左手の小さな社の中に安置された「持ち上げ地蔵」を参拝しました。 願い事を念じながらこの地蔵様を持ち上げ、軽く感じたら願いが叶うということです。 誰でも軽く感じそうな小さな地蔵様でした。 連光寺の先から馬入緑道に入りました。 生垣の下の大きな岩に小さな字で「馬入緑道」と刻んでありました。 最近は歩行者専用のこうした緑道が、各地で整備されていますが、 樹木の大きさや、付帯設備などを見ると、かなり年季の入った緑道のようでした。
平塚・海と川⑤湘南潮来 2012-11-02 | あちらこちら 相模川右岸の土手にある「湘南八景・湘南潮来」の碑です。 正直に言って、「なるほど、ここが潮来か」というのが感想でした。 川向こうは湘南シーサイドカントリークラブです。 右岸の土手から平塚競輪場が見えたので、入口に近づいて眺めました。 一度も競輪場に入ったことがないので、人々が通う気持ちを感じることは出来ませんでした。 土手に戻って、上流に進むと、右手の河川敷に作られた公園のような広場が続いていました。 少し進んで、広場の一部が平塚競輪場の駐車場でありことが分かりました。 競輪場に来る人は、自転車で来るわけでないので、やはりそれなりの駐車場が必要なのでしょう。
平塚・海と川④須賀港 2012-11-01 | あちらこちら 港稲荷神社の横が須賀港です。 自然の港として早くから開け、近世には相模川上流各地に米や塩を運ぶ商港としてにぎわったようです。 千石船も出入りしたので、千石河岸という名前が残っているのでしょう。 相模川河口に新港が出来ましたが、まだまだ現役の港のようです。 港の側の公園には、「相州須賀湊の碑」が建っています。 並んで建っている「舟繋ぎの石」です。 公園の奥にひっそりとした社跡がありました。 由来も名前も不明ですが、参拝する人があるようです。