ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南洋編 11 ~ハーレーダビッドソン~

2010年07月06日 | 人生航海
その仕事に就く事になって、私は、いつも公用証を貰っていたので、外出は自由であった。

特別待遇の扱いを受けていたのであった。

その為、車も自由に乗れたし、ある程度気ままに行動も出来たのである。

その頃は、まだ見たこともなかった珍しいハーレダビッドソンのオートバイにも乗り、走り廻ることもできた。

オートバイの運転は、初めは難しいと思ったが、若い頃でもあったので、覚えるのも早かったのであろう。

すぐに慣れてきた。

夕方になると、人通りの少ないタンジョンベラの大通りを走りながら覚えたのである。

そんな事も楽しみであったが、青春というのか、若き日の一コマであった。

その頃は、日本の軍票紙幣が使用されていたが、最初にスラバヤに入った時に、戦利品も多くあったらしい。

港の埠頭には、何処かに逃げる予定だったらしい貴重品(宝石類や高級時計)を積んだ船が、日本軍の進撃が速かったので逃げ遅れて、そのままになっていたらしい。

そして、多くの貴重品を挑発したという噂も聞いた。

敵方が残した兵器類や放棄した戦利品を徴発して使用したが、オートバイも自動車も徴発品であった。

従って、それら全てが戦利品だった。

最初に、私達がスラバヤに入った頃、近くの街を、よく見て廻った。

ある事務所は、もぬけのからだったが、机の引き出しの中には、ジャワ紙幣が何十束もあった。

どうせ使えない紙幣だと思い、そのまま置いてきたが、あとで聞けば、軍票と同様に使えたと知って、複雑な想いをしたものである。