ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南洋編 22 ~さらばココボ、ラバウル~

2010年07月23日 | 人生航海
ラバウルを出港して、数日後、平穏な南太平洋を北上中に、突然、敵潜水艦から魚雷の攻撃を受け、私達のすぐ後ろの浅香丸に命中した。

その為、各船は船列を崩して、単独で航走して逃げる他はなかった。

護衛艦が直ちに急行して、付近一帯に大砲を撃ち込んで、爆雷を落として各艦は、報復攻撃を行ったのである。

敵潜水艦から魚雷攻撃を受けて、沈没する姿を見たのは初めての事だった。

次は、この船が狙われるのかと思うと怖かった。

魚雷が命中した瞬間に水柱が高く上がり、まもなく船首から徐々に沈みはじめて、完全に沈むまでは、かなりの時間があった。

その間に、護衛艦が、乗組員を救助する為、タラップや縄梯子を降ろしていた。

救助される人達の中に多くの女性の姿が見えた。

しばらく、その様子を眺めていた。

船首から沈みはじめると、船尾が高く上がって、垂直近くになった瞬間だった。

船は、海中に突っ込むが如く沈んだのであった。

ココボには、慰安所があった。

空襲を受けた際に、直撃されて、経営者が即死したらしい。

その後の詳細は知らないが、後を継ぐ経営者がなく、その後、慰安所は閉鎖になったらしい。

そこで働いていた女性が、浅香丸で帰国中だったらしい。

当時、まだ日本軍は、健在で心配は無いと信じていた矢先の事だった。


(注:インターネットでの検索結果:
   ゲゲゲの漫画家水木しげるの他の著作「水木しげる伝~戦中編~」によれば、
   彼女たち(ココボの慰安婦たち)は、その後、病院船でココポを離れたが、途中潜水
   艦にやられ、全員が死亡したという”という内容記載があるが・・。
   
   父は、偶然その現場に居合わせて、救助された彼女たちを目撃していたようである。

   だが浅香丸の航海歴をチェックする限りにおいて「浅香丸」という船名記述に関して
   父の記憶違いではないのかと思う。)