ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

徴兵検査前後 2 ~甲乙~

2010年07月30日 | 人生航海
それから数日後、役場から、正式通知があった。

尾道の対岸にある向島の小学校で徴兵検査が行われた。

今回は少ないとの事だったが、百島から私を含めて皆で十数名で向かった。

私が、志願兵で申請したと知ると、「人の嫌がる軍隊に志願してまで出て来る馬鹿もいる」と百島の他の皆に冷やかされた。

検査の前日は、尾道の街に出て中央桟橋近くの旅館に泊まった。

他の皆は、私よりも二級上の組で、いよいよ明日から酒も煙草も飲めるし、未成年者の最後の日だと言いながら、もう一人前になった積もりなのか、夜中頃まで酒を飲んで騒いでいた。

そして、翌日の検査結果、私は、乙種合格となった。

志願兵の場合、甲種合格者以外は入隊出来ず、結局は、不合格と同じ事である。

私は、乙種であっても、内心は嬉しく思った。

そうなる事を、大島大尉は、十二分解っていた事であって、私をラバウルから帰国させたのである。

私に対する大島大尉のご厚意であったと思うと、改めて有り難い事と思ったのである。

その為、入隊することは無くなった。

いつまでも遊ぶことも出来ないので、何処かに就職口がないかと探した。

折り良く、呉の海軍航空廠で工員募集があって、早速入廠試験を受けて簡単に合格が出来た。

そして、すぐに海軍航空廠で働くことになったのである。

その航空廠は、呉市の広町にあり、同じ敷地内に呉海軍工廠もあり、正門は別々であったが、構内は堀も柵も無く、行き来も自由だった。

こうして、帰国後の就職先も決まり落ち着いたので、気になっていた高松の大島邸に、お詫びとお礼の手紙を書いて出したのである。