ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南洋編 21 ~大島大尉の御厚意~

2010年07月22日 | 人生航海
こうして、付き添いの看護生活も二ヶ月を過ぎた頃には、医療検査の結果、菌も出なくなったので、大島大尉も大丈夫だという事になった。

ようやくにして、大島大尉の隔離は解かれて、私の役目も終わる事になったのである。

そして、間もない頃に、私は、大島大尉から呼ばれた。

「この度は、大変な迷惑を掛けてすまなかった。今は、何ひとつの礼も出来ないが、今のうちに一度、内地に帰る気はないか?」と言ってくれたのである。

「一度、帰国して、志願兵として申請するという名目で、一度日本に帰国しろ。手続きの事は全部任せてくれ。悪いようにはしないから、一日でも早く帰国できるように手配をしておく」と言って勧めてくれたのであった。

いつまでも、ラバウルに居たならば、いつどうなるか分からないし、毎日の空襲で生命の保障も無く、当時は、ソロモン諸島のガダルカナル島でも多くの戦死者が出て、戦況不利が伝わっていた頃である。

大島大尉は、すでに戦争の行方をある程度知っていて、私を助けてくれようとしていたのである。

私は、とにかく内地に帰れば、何とかなると考えて、大島大尉の親切に対して感謝して、「志願兵として申請する」という名目で、帰国の手続きをお願いしたのである。

もし、あのままラバウルに残っていた場合、どうなったのか想像もつかない。

しかし、大島大尉のお陰で帰国が出来て、その御蔭様で、現在も元気で存在しているのである。

その後、半月ぐらい過ぎた頃、予定通りに帰国船が入港して、お世話になった分隊の人達や同僚に礼を述べて、別れを惜しみ出発することになった。

その際、大島大尉は、私の手を握り、言葉少なく「ありがとう!」と目を潤ませて、「いつまでも元気で!」と言ったあとに、「もし高松方面に行く事があれば、家に立ち寄り、この手紙を家内に渡してくれ」と頼まれた。

「いずれ、検疫の際には、開封されるが、別に何も書いていないから」と言い、一通の手紙を預かったのである。