ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南洋編 12 ~スラバヤと郷愁~

2010年07月07日 | 人生航海
その頃になって分かったが、同郷の藤本一二三さんの所属していた船舶工兵隊が、すぐ近くにある事を知った。

早速、サイダーやコーヒー等を数箱を車に積んで行ったが、本人は不在で会うことは出来なかった。

品物を渡して貰うように衛兵に頼んで、「また来ます」と言って帰ったが、その後は多忙に追われて再会はできなかった。

後日、一二三さんは満期の為、兵役を終えて帰国したと聞いた。

その後、終戦後まで、一二三さんとは、会う機会は無かった。

それまでの軍属生活の中で、私は、此処スラバヤにおいての暮らしが、一番充実した日々であったかもしれない。

何故、私にあんな仕事が出来る様になっていたのか、不思議に思う他にはない。

よくよく考えて見ると、全てが運としか思えない。

また、毎日のように市街地にも出かけて行ったが、いつしか中国人の若い店員と親しくなった。

何度も会ううちに、マレー語で話すことが楽しみになり、国や人種は違っても、友情や人情に変わりはなく、人間の心の温かさをも知ったのである。

クラガンに敵前上陸して以来、一年が過ぎた頃に最前線のラバウルに移動が決まった。

スラバヤには多くの想いを残したままだった。

今想うと、毎日平然と過ごして、おもうままに戦争など何処吹く風とばかりに過ごしていても、矢張り、私も人の子であった。

「故里は遠きに在りて想うものなり」・・という言葉が、その通りであると実感していた。

人は誰でも、故郷を遠く離れて、初めて郷愁の念にかられ、家族を想い、恋しくなったが、私も歳若くして、故里を離れ、中国や南方の遠い処で働いたが、人は誰しも故郷を忘れる事なく、想いを胸に秘めて、自分の生まれた空の方角を見つめ、親兄弟や田舎を思い出して懐かしみ、心引かれ、椰子の葉の隙間に見える、月に手を合わせて、家族の無事を念じつつ過ごした時も度々あった事を思い出す。